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印刷2009/12/21 17:51

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「『世界名作劇場』になったガンダムなんて見たくない」CG嫌いの富野由悠季氏が挑むCGアニメ「Ring of Gundam」制作秘話

残念ながらSIGGRAPHの特別講演は完全に撮影禁止であり,講演のオフィシャル素材も存在しないため,記事中の写真はCEDEC 2009での監督の講演時のものを使用していることを最初にお断りしておきたい
 日本で初めて開催されたSIGGRAPH Asia 2009には大勢のクリエーターが集まっていた。そんななかで,ゲームのみならず日本の映像制作に多大な影響を与えた「機動戦士ガンダム」で知られる富野由悠季氏の講演が行われた。SIGGRAPHにおける富野氏の演題は「Ring of Gundam : No Hints for Creation in Your Manuals」(リング・オブ・ガンダム:マニュアルに創作のヒントはない)と題されており,まさにそのタイトルどおりの講演が行われたといっていいだろう。

 「Ring of Gundam」とは,この夏のGUNDAM BIG EXPOにあわせて制作された,ガンダム30周年記念作品ショートフィルムのタイトルである。この作品は,5分という短い時間であったが,全編フルCGで制作されており,明らかにこれまでのガンダム・シリーズとは一線を画する作品になっていた。
 また,富野氏は従来CGによる作画をあまり好んでいないという発言があちこちでなされていたため,大雑把にいうと「CG嫌いのはずだった富野監督が総監督として進行するフル3DCGアニメーション」という観点でも注目された作品であったといえるだろう。
 今回の講演は,Ring of Gundamの制作プロセスをRobotの西井育生氏が解説し,その後,富野由悠季監督が大いに語るという構成で行われた。最先端のCGアニメーション作成の現場がどのように運営され,また富野監督がそこから何を創りだそうとしたのかを紹介していきたい。


次世代の新しいアニメーション表現の模索


 まず最初にCG担当の西井氏は,Ring of Gundamは次世代の新しいアニメーション表現の模索である,と語った。ざっくばらんにいってしまえば,次世代スタンダードを生み出すための実験であるということだ。
 では実験であるから,制作体制もまた実験らしい小規模なものであったのかというと,まったくそういうことはない。
 Ring of Gundamは,サンライズとRobotおよび外部チームが共同して行う初めての企画であり,ここには片手の指を超える企業や団体が関わっている。作業分担もまた,プロデュースからデザイン,3Dモデリング,プレビジュアリゼーション(いってみれば3Dアニメの“ラフ”)やキャラアニメーションなどなど,多岐にわたっている。

 Ring of Gundamの大きな特徴は「富野監督作品である」ということであり,それはつまりドラマ性を重視するということだ,と西井氏はいう。
 このため,作品の舞台となる背景世界は設定レベルまでしっかりと煮詰められており,ドラマの中心的存在となるキャラクターやメカについても討論が繰り返されている。
 とくに興味深いのは,キャラクターのアニメーションの制作過程である。
 キャラクターそのものは2Dのスケッチをもとに3Dモデルが起こされており,ごく普通に考えればあとはモーションキャプチャで絵を作っていけばいいはずだ。
 しかし,Ring of Gundamではモーションキャプチャは採用されなかった。その代わり,実際に舞台役者を起用,彼らにシーンを演じてもらい(当然ながら富野監督が演技指導もする),この実写映像から手でアニメを起こすという作業が行われている。
 これについて西井氏は,「モーションキャプチャという技術はとても優秀になってきたが,絵コンテおよびプリビジュアリゼーションにおける監督の拘りを実現するには,モーションキャプチャでどんなに頑張っても難しかった。キャラクターへの思いが乗っていかない」と語った。
 そしてまた,「最初,富野監督から絵コンテを受け取ったとき,『ここに全部描いてあるから,あとは勝手にやってくれ』といわれた。ところが,受け取ってすぐにはその言葉の意味が分からず,何度も絵コンテを見直したり,スタッフと議論していくなかで,『全部描いてある』ことが理解できるようになった。そして驚いたのは,そうやって理解できるようになって初めて,『本当に全部描いてある』ことが分かって,とても驚くとともに恥ずかしい気持ちになった」とも語っている。

 ロボットの動きや効果についても新しい試みが行われている。
 動きについては,まずモビルスーツの兵器としての位置を再確認することから始まっている。モビルスーツは重装甲を持った重たい兵器のように思えるが,物語の中では空を飛ぶ兵器として運用される。その,空を飛ぶという,戦闘機のような軽さを感じさせるのが,一つの指針であった。そのうえで,人間型兵器の動きとして,トップアスリートのような美しく無駄のない動きが意識されているという。
 また,噴射の炎や爆発といった効果に関しては,これまでのアニメーションや映像作品のなかで一種の記号として用いられるようにすらなっている定番の表現を見直し,実際のロケットエンジンや核爆発などをベースとした表現が行われている。

 総じていえば,Ring of Gundamは,3DCGアニメーション制作の現場にとっても,また富野監督にとっても,互いに何ができて何を目指し得るのかを確認し研究しあう,文字どおり実験の場であったようだ。そしてそれこそが「次世代の新しいアニメーション表現の模索」という目標の実現であったといえるだろう。


ハリウッドに負けない環境を目指して


 さて,実験といいつつも,相当規模の組織運営が必要となったRing of Gundamだが,これについて富野監督はまったく異なる視点を持っていた。
 富野監督は,いきなりこう宣言することから講演を始める――「役者に演技をしてもらう必要などない。絵コンテを見て,そこから作画まですべてをやる,それがアニメーターだ。CGは,そこで大量に余分なことをしている。本当に,余分な作業が山ほど増えた。キャラクターが2名しか出てこない,ワンカットのシーンを作るために,役者まで動員しないと作れない。これはつまり,本当のクリエーターがいなくなってしまったということだ」
 いきなりの全否定だが,ここに至るまでには富野監督自身にも試行錯誤があったようだ。

 「Ring of GundamでRobotと組んで仕事をすると決めたのは,現在の東京のCGワークを調べてみたかったからだ。サンライズのCG部は,2Dのアニメに傾斜してしまっている。映画的なテイストが必要となったときに,これでは難しい」
 「Robotと組んで制作したことで,役者を使ったものをベースとすることが可能になった。これはサンライズでは,割愛されてしまう作業だ。けれど,映画的画像を手に入れるためには,こういった手法が必要となってくる」
 「事実,キャメロン監督の『アバター』という映画がモーションキャプチャーで絵を作っているが,まだ未完成も甚だしい」


 つまり,アニメが従来のアニメで留まらず,新しい映像表現を手に入れるためには,とりあえず現状では「余分な作業」を大量に行うしかない,ということだろう。

 また,実験としてのRing of Gundamで得たものとして,「実写系スタッフのクセが分かった」ことを挙げる。

 「彼らは実写への適合性が高い。しかし,ショットごとの完成度は高くても,1枚の絵から1フレーム20秒程度の動画を作るということができない。1フレームのなかで,星や風,背景のスピード感といったものを作ることもできない」
 「つまり,スタッフに性能の差がある。その性能差を見極め,総合的にプロジェクトやプロダクトを動かしていくことが必要だ。才能を統合するのがディレクターやプロデューサーの仕事だが,Ring of Gundamでは,例えばアニメーター50人でチームを組んで仕事をするといった状況とは違っている。これはとても勉強になった」


 この戦訓が得られたことは非常に重要なことだと思うが,一方で,「では作品としてのRing of Gundamはどうか」ということになると,「気に入っていない!」と断じる。

 「タイプの違うデザイナーを集め,良いところも悪いところも全部入れて一枚の絵にしていて,統合はされていない。これは現時点において,まだ知らぬ方法があるのではないかという実験なのだ」
 「だから新しい提案が出てきたら嬉しいし,どうやったらより良い方法になるのかを1年,2年とかけて作っていくつもりだ。日本だけに留まらず,アジアという地域を前提として,ハリウッドに負けない環境を構築したい」



ドラマを伝える媒体としての動画


 しかしながら,この「地域」という考え方にも罠があるという。

 「メディア芸術祭の審査員として,短編アニメーションをたくさん見てきた。そしてそれらの作品に対して,『それぞれのローカル性を出してほしい,個性を出してほしい』と訴えてきた」
 「ところがローカル性・地域性が意識された作品は,作り手の辛い内面の吐露になりがちだ。地域性と言った途端に,病的な物語への傾斜が始まる。これはなぜか?」
 「ゲームも映像も,公の場所に出す以上,それはエンターテイメントであり,楽しみの媒体だ。ところが地域性が意識されると,楽しさは消え,辛くなる。なぜそうなってしまうのか? これをクリアしていく制作方法があるのではないか?」
 「セルアニメだとか,完全実写だとか,そういうところに囚われていてはダメだ。日本人として,ハリウッドに,あるいは宮崎駿に勝ちたいじゃないか! 宮崎作品は,日本人の作品だと分かる。でもそこには,ワールドワイドに読める物語があるらしい。どうやったら,これを乗り越えられるのか。そのための実験が必要なのだ」


 そしてこれに伴い,CGの技術者という視点の大切さもまた訴える。

 「画像作品の性能とはどういうものなのか,CGが得意な人からの提案がほしい」
 「映画とは,かなりロジカルなものだ。なのに文科系の人間に任せすぎているせいで,つまらなくなっている。今ではCGにもデザイナー畑の人間が増えているが,もともとデジタル作画は理科系の人が多かった。CGの現場から,映像作品の性能とはもっとロジカルなものなのだという提案がほしい」


 富野監督は,「映像の面白さ」という点について,さらにもう一段階議論を先に進める。

 「見た目だけ綺麗,見た目だけ精密。その羅列は,クソ面白くない。けれど,そういう作品がどうしても増えてしまう。動く絵というものは,面白いはずなのに,もう面白くない!」
 「10年前,恐竜がリアルに動くというのは,それだけで珍しかった。だからジュラシック・パークは大ヒットした。でも1・2回見たら,もうそれでイヤになってしまう」
 「なぜなら,そこにドラマがなく,ただ精密なだけだからだ。それでは1回しか見てもらえない。ドラマは,何度でも見る。それがドラマの性能なのだ」
 「動く絵というものは,ドラマを描くのに最適な手法だ。映画や映像というものは,ドラマを作る媒体といってもいい」
 「ただし,そこで感性ではなく,ロジカルに作っていくことが必要になる。そういった場面は,理系のセンスが必要になるだろう」



「気になったら,調べろ」


 富野監督が持つ「絵」へのこだわりは別の角度からも発揮される。

 「美しい絵,精密な絵。それだけでは無価値だ。絵画の世界にもそういう絵はあるが,そういった絵が例えば印象派の絵より高く評価されるか? それを,考えなくてはならない」

 この,「考える」という言葉をもとに,議論は先へと進む。

 「ジョヴァンニ・サバンティーニという画家がいる。ロカルノに行ったときに見に行ったのだけれども,セバンティーニ美術館という専門の美術館まである。かなり緻密な油絵を描いた人で,印象派の絵も学び,前衛絵画も描いた。クリムトに隣接する画家の一人でもある。
 このプロフィールを聞くと大層な画家のように思えるけれど,ではサバンティーニの絵を思い出すことができるだろうか? ルノワールやクリムト,モネの絵であれば思い浮かべることができるけれど,サバンティーニは?」
 「美術館があり,相当な大作も含めていくつもの作品を残している彼は,なぜ有名でないのか? なぜ世界的な画家ではないのか? なぜ『ああ,こう描いてたらセザンヌには勝てないよね』とボクですらそう思えてしまうのか? ――それを,考えてください」
 「こういったことを,パワーポイントを使って説明することはできる。でも,しない。したら,すぱんと忘れてしまうから。気になったら,調べろ。ネットで調べるだけじゃなく,画集を探せ。そして『富野が言うほどダメじゃねーよな』とか,自分で考える。それを自分でやらないと,スキルは伸びない」



「見るに耐えないと感じられないなら,この仕事は辞めちまえ!」


 富野監督の舌鋒は留まることを知らず,さらに先鋭化する。

 「CGを制作する場面において,PCでのワークは,キーボードやマウスにとらわれすぎている。絵を描くといったとき,自分の,人間の手はどのように動くか。あるいは大作を描く絵描きの体はどう動くのか? 人間は全身が動く。全身を使わないと,表現はできない」
 「たくさんの絵を描くというのは,手の仕事ではない。絵は格闘技であり,全身を使うものだ。全身を使えていない人の絵は,それが分かってしまう」
 「そして,その『全身が使えていない絵』かどうかを,分かるようになれ! 今の多くのCGワークは,手先だけでやっているからあの程度になってしまう。『アバター』ではモーションキャプチャがどうしたこうしたいっているが,あんなものは見るに耐えない!」
 「あれが見るに耐えないと感じられないなら,この仕事は辞めちまえ!」


 このご時世に仕事を辞めてしまえとは非常に過激な言動のように思えるし,やもすれば誇張表現にも聞こえそうだが,監督は明らかに本気でそう訴えていた。

 「動きを描くという仕事においては,風でも波でもすべては演技だ。そのことを『分かってくれ』と言っても,分からない人は分からない。分かる人しか分かってくれない」
 「もしあなたが『分かる』というのであれば,7〜8歳までの経験を思い出してほしい。そのころ,あなたは絵を描き散らしていたか? あたりかまわず絵を描き散らすというのは,非常に悪い癖だ。『そんなところに描くな!』とか怒られたことがあるか? ないのなら,絵に関わる仕事は辞めておけ」
 「これは演技にもいえることだが,もちろん中にはスキルを身につけて上手になる人はいる。でも,その努力と研鑽は,歌舞伎役者のような,文字どおりプロとしての努力や研鑽だ。つまり365日,同じことを考え続けられるか,ということだ」
 「デジタルの技術を理解していって,そこで自分のやりたい表現があるとか,あるいは他者の要求に返す能力があるとか思う人は,7〜8歳までに絵を描き散らしてきた習慣があればそれでいいが,そうでないなら30〜40歳でどんどん苦しくなっていき,50にもなれば年金頼みの暮らしになる。早く転職したほうがいいだろう」



「トリは俺がとってやる」


 最後に,質疑応答の時間が設定された。
 会場からの質問に先立って,Robotの西井氏が今までの講演に関して補足的な質問を行った。
 まず,役者に演技させ,それをもとにしてアニメーションを作るという手法については,「不要というにはいったが,とても面白い。アニメーターが思う以上の良い動きをしてくれる面白さがある」「自分の予定している演技を引き出すことではない。スタジオワークの醍醐味とは,一人では限界のあるものが,二人だとものすごくできることが増える,そこだと思う」と語った。

 また,こういった方法論を総括して「正解はまだ見つかっていない。Ring of Gundamはほとんど失敗作だ」と快調に爆弾発言を飛ばしたうえで,監督は表現の自由度という問題を語った。

 「実写と2Dアニメについて,映像を構成していく根本は一緒だ。ただ,絵で作っていくのと,本物の役者を使わざるを得ないのでは,やはり差は出てくる。その違いの一つ一つは,作品論に入らざるをえないだろう。表情が違うのは,個々の作品である以上当然だし,手法によってドラマは変わってくる」
 「アニメにもできないことはあるし,3DCGにもできないことがある。まったくの自由というわけではない。でもその制限を乗り越えていくから,作品になる」
 「映画の尺で例えると分かりやすいが,映画には1時間40分〜50分という最適とされる尺がある。それで,ディレクターズカット版はというと,概ねつまらない。時間にしても,予算にしても,この役者を使わなきゃいけないというのでも,制限というものはあったほうがいい」


 さて,ここまで富野監督は3DCGが「大量に余分なことをしている」「自由ではない」といってきたが,改めて「今後やりたいこと」を語り始めたところで,ぽろりと本音が吐露された。

 「画像を作ることに関し,CGは優れている。自由度も高い。自由だからこそ,難しい。動く絵を使ってドラマを伝えるというのは素晴らしいことだけれど,一般に流通させる動画を作るにあたってCGというのはとてもよい」
 「CGに対しては,便利すぎて嫉妬しているんです。それと,自分が実際にオペできなくて,それで呪ってる。自分でできたら文句なんていいません」
 「でも,もう自分自身では,PC上でのアニメーションは作らない。果てしなく時間がかかることが分かったから。気分転換に写真を加工して遊ぶくらいはするけれど,アニメーションを手がけるとなると,ドラマを作ったり考えたりする時間がなくなってしまう」


 本音が出たからというわけでもないだろうが,ここで富野監督はさらに深い本音を掘り起こす。

 「映像を作る根本には,仕事で求められているものを想像し洞察する力がある。想像力については,ノーベル賞をとった益川博士が良いことをいっている――『創造的な力とは,次に来るべきものを想像し表現することだ。それが新しいものを生み出していく。この作業で大切なことは,過去で起きたことを抽象化し,本質的なものを見抜くことだ』」
 「よく,『カッコよければいい』といわれる。では,カッコよいの本質は? カッコよいとは何だ? 現状,カッコよいは定型化されていっている。結果,なにもかも,全部コピーじゃないか! 何を作っているというんだ! そんなものは,パッチワークを作っているだけ,あちこちをつなぎあわせてできたものだ。
 新しいものを,自分の感性で見出し,自分で判断しなくてはいけない。
 なかには,自分はいちスタッフでいい,アーティストでなくていいと思う人もいるだろう。しかしアニメーターの仕事とは,一つのコンテから,まったく見えないところも全部作っていく仕事だ。『説明されないと分かりませんよ』というのは,想像力がないということ。そんな発言をした奴はこの仕事を辞めろ!」
 「次のもの,明日のもの,見えないものを作る。だから,『FFみたいなもの』を作っても,それはコピーでしかない。FFそれ自体はいい。コピー元を作ったのだから,それは商売になる」


 このあたりから,トークはかなりぶっちゃけ模様を増していく。「ガンダムを超えて,その先に何を作るのか」という問いに対して,富野監督は「分かっていたら作らない。分からないから作る」といい切る。

 「ただ,Ring of Gundamをやってみて,これから何をしていくべきかは見えたし,何ができるかも見えた。3DCGの自由度を知ったし,『ここをきちんとやれば一本の作品になる』という部分も分かった」
 「でも,それがどこに着地するかは,分からない。分かっているところに着地するつもりはない。自分はパッチワーク屋になりたくないから。『世界名作劇場』になったガンダムなんて見たくない」
 「ぼくは,人と同じものでないものを作れるという思い,自信がある。自惚れといっていい。でも,適性のない人は転職したほうがいいだろう。
 それでも,ここしかないと思うなら,それを信じてコツコツやるしかない。テレビアニメを始めたとき,それは最下層の職業だった。30年,40年生きられるだなんて,思っていなかった。
 だから,今から30年先のことなんて分からない。でも,食えているか,野垂れ死にしているか,どちらかだということだけはいえる。それを目指すしかないし,それが怖いなら転職したほうがいい」


 同様に,この業界を目指す人に対するアドバイスという質問に対しても,「そんなものはない」と一蹴。

 「だって,『あのときあそこでお前がいったアドバイスのせいで,俺は死ぬことになった』とかイヤだから」
 「ガンダムのときも,誰も助けてはくれなかった。あのとき近くにいた現場のスタッフが寄り集まって作ったのがガンダム。そういう時の運が来たら,それを掴めるように自分を研鑽する,それくらいしかない」
 「『化ける』必要はない。自然に死ぬまで生き続けられればそれでいいし,それはとても難しいことだ」
 「毎日毎日,飽きずにコツコツやった人の勝ちです。億劫がらず,自己研鑽し,スキルを高めていく。教えられるようなものではない。なぜなら人間,実際にやるのは『自分』であって,『あなた』ではないから。教える人は,あなた自身になることはできない」
 「富野がこうやって喋っているのは,自分を縛るためだ。俺はまだ,ここにいるみんなには負ける気がしない。FFに負けっぱなしなんて嫌だ! そういう思いがないと無気力になってしまう」
 「気力を奮い立たせるため,FFにやられっぱなしになんてならない,ドンキーコングに負けっぱなしなんてならない,という。それに,ガンダム程度の成功でも,相当に気持ちのいいものです。FFとドンキーを倒したら,どんなに気持ちがいいか!」
 「30年前,ガンダムを作ったときの合言葉は,『ヤマトを潰せ!』でした」――そして西井氏の「でも復活しちゃいましたね」というツッコミを物理的に蹴飛ばしつつ――「あれは復活してない! してないのにタイトルにだけ復活とかつけるな!」


 歯に衣着せぬトークは,富野監督の闘争心そのものといえるのかもしれない。最後に監督は,こう断言した。

 「FFはね,ファイナルっていってる。だから俺は,『トリは俺がとってやる』『潰れろ!』って思ってるよ!」
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