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  • Tozai Games
  • 発売日:2009/03/26
  • 価格:1200円(税込)
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ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃
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印刷2012/07/23 12:00

インタビュー

ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃

 ファミリーコンピュータ(以下,ファミコン)黎明期の1985年12月にアイレムから発売された,「スペランカー」という作品をご存じの方も多いだろう。自分の身長程度の高さから落ちるだけで死んでしまうという,「テレビゲーム史上最弱」と讃えられた(?)冒険家が主人公として活躍するアクションゲームだ。ひ弱な主人公の伝説は,当時その難度に歯ぎしりしたファンから,その頃まだ生まれていなかった若いプレイヤーにまで広く伝えられ,発売から27年が経過した現在も愛され続けている。

「みんなでスペランカー」
画像集#018のサムネイル/ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃

 そんなスペランカーをこの時代にリメイクし,「みんなでスペランカー」として,日本の現地法人と共に自社ブランドでリリースしているのが,北米に本社を持つTozai, Inc.(以下Tozai社)で,ブランドはTOZAI GAMESだ(編注:そのままトーザイ ゲームスと読む)。そして,同社でシニアアドバイザーの役職に就いており,みんなでスペランカーの仕掛け人でもあるゲームクリエイターが,スコット津村(Scott K. Tsumura)氏という人物である。

 スコット氏は,これまで業界の表舞台に立ったことはほとんどなく,おそらく,その名を初めて聞くという人が大半ではなかろうか。しかし氏は,1980年代に「ロードランナー」「スパルタンX」「ムーンパトロール」「ジッピーレース」「10ヤードファイト」といったアイレムの初期アーケード名作の数々を手掛け,ファミコン版スペランカーの制作にプロデューサーとして並々ならぬ情熱を注ぎ,今日(こんにち)まで,裏方として30年以上ゲーム業界を支えてきた経歴を持っている。30代,40代のゲーマーであれば,必ずどこかで一度は,氏の作品を遊んだことがあるはずだ。

 今回,そんな氏が来日するという情報を聞きつけたので,取るものも取りあえずお会いし,お話を聞かせてもらうことにした。当時の制作裏話はもちろんのこと,謎に包まれた経歴や,現在のゲーム業界について思うことを,スコット氏自らにお話いただいたので,ぜひ一読を。


画像集#001のサムネイル/ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃

Tozai社シニアアドバイザー/エグゼクティブプロデューサー
スコット津村氏

 現在シアトルに住む氏の趣味は,写真。(ご本人はおそらく謙遜すると思うが)プロ顔負けの写真を,粛々とご自分のブログに掲載する。写真に付いた,どこか優しい短いコメント共々,氏の人となりを大変よく表していると思うので,ぜひご覧いだだきたい。また,氏はヨドバシカメラのWebサイト上で写真エッセイ「The Wind from Seattle」を連載している。

画像集#002のサムネイル/ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃
画像集#004のサムネイル/ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃


御年70歳,業界歴37年のスコット氏
人生を変えたのはロードランナーとスペランカー


4Gamer:
 本日はお時間をいただきありがとうございます。今回,スコットさんが来日すると聞いて,ぜひお話をうかがえればと思いまして,無理矢理時間を作っていただきました。

画像集#005のサムネイル/ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃
スコット津村氏(以下,スコット氏):
 こちらこそ,ありがとうございます。

4Gamer:
 スコットさんは,非常に長い間ゲーム業界にいらっしゃいますが,これまであまり表に出てくることはありませんでしたよね。

スコット氏:
 そうなんですよね。ゲームへの関わりはすごく長いんですけど。
 それじゃあまずは,僕の人生を変えた「ロードランナー」と「スペランカー」という,2つのゲームとの運命的な出会いについてお話させてください。

4Gamer:
 ぜひお願いします。スペランカーやロードランナーというと,懐かしさを感じますが,そもそもスコットさんは,ゲーム業界に身を置いて何年になるのでしょう。

スコット氏:
 確か1975年頃からなので,そこから数えると37年になります。

4Gamer:
 37年前というと,僕はまだ5歳の子供ですね……。失礼ですが,今はおいくつなんでしょうか。

スコット氏:
 70歳です。

4Gamer:
 もっとお若いかと……。

スコット氏:
 よくそう言われます(笑)。
 37年前の当時,そのころの僕は日本人だったんですが(※現在はアメリカ国籍を得ている),テレビゲームが流行する以前の時代にゲーム業界に携わりました。当時は,アイレムの前身となるIPMという会社にいたんです。

4Gamer:
 後にカプコンを創業する,辻本(憲三)さんが立ち上げた会社ですね。

スコット氏:
 そうです。よく知ってますねえ。その頃のゲームといえば,コインを入れるとランプがカチャカチャ回って当たりか外れかが出るような,子供向けのものしかなかったんですよ。IPMはそのレンタル事業を行っていました。

4Gamer:
 そこから,どういったきっかけでテレビゲームに関わることに?

スコット氏:
 1976年に「スペースインベーダー」が登場したのが大きな転機になりました。インベーダーを見て,IPMでもテレビゲームを作ってみようということになったんです。で,交流のあった京都の村田製作所に「テレビゲームを作ってくれ」とお願いしてみたんですよ。村田製作所はテレビゲームなんて作っていなくて,完全に場違いな相談だったんですけど(笑)。

4Gamer:
 そもそもなんで相談したんですか,それは(笑)。

スコット氏:
 いやあ,あの頃は若かったので,無鉄砲だったんでしょうね。
 ところが,場違いにも関わらず,「関連会社がOEMで電子機器を製造しているから,そこに相談してみたらどうか」と,非常に丁寧に対応していただけました。そこで紹介してもらったのが,七尾電機(編注:当時すでにあったナナオに,この後組み込まれ子会社となる)だったんです。

4Gamer:
 ディスプレイで名を馳せる前のナナオですね。

スコット氏:
 ええ。そして話を持っていったところ,面白そうだからぜひ作ってみようということになり,七尾電機さんもゲーム業界に参入し,テーブル型のゲーム筐体を手掛けるようになりました。テレビゲームの隆盛は,彼らにとってもチャンスだったようで,彼らが持っていたディスプレイの技術と,テレビゲームというマーケットがうまく合致したんですね。

4Gamer:
 ちなみに,スコットさんはそのときはおいくつでした?

スコット氏:
 確か1977年だったので,35歳ぐらいかな?

4Gamer:
 当時はまだ,終身雇用制が普通に機能してましたし,35歳というと上のほうの役職に就かれていてもおかしくはないお歳ですよね。当然,それまでにいろいろとお仕事はされていたかと思いますが,どういった経歴をお持ちなのでしょう。

スコット氏:
 実は,テレビゲームに関わるまでに,十数回職を変えているんですよ。

4Gamer:
 それはまた,なんとも壮大な職歴ですね……。

スコット氏:
 経歴を話そうと思うと,一晩かかってしまいます。いいですか?(笑)

4Gamer:
 ぜひともお聞きしたいんですが,今回は10分くらいでお願いします(笑)。

スコット氏:
 ざっと思い出してみても,先物相場のセールスマン,貿易会社での小物の輸入,バーテンダー,服屋,病院の車の運転手,内装や配管土木の職人,それから塗装関係……。

4Gamer:
 覚えているのがすごい。しかし,なんでまたそんなに多くの職業を?

スコット氏:
 当時の僕は,新聞広告に出ている求人欄を見るのが好きだったんですよ。あれを見ていると,それぞれが一体どういった商売なのかが気になって,とにかく自分でやってみたくなるんです。自分の将来をどうするかよりも,いろいろな世界を知ってみたいという欲求のほうが強かったんですね。一つのところに勤めて,そこで人生を全うしようという気はまったくない。言ってみれば,フリーターの元祖です。

4Gamer:
 当時,30歳過ぎまで定職を持たずにフラフラしているというのは,それなりの覚悟が必要だった気がしますが。

スコット氏:
 社会的にはそうかもしれませんが,僕には覚悟はまったくありませんでしたよ。

4Gamer:
 そうなんですか。

スコット氏:
 逆にそういう気持ちを持ってしまうと,何もできなくなってしまいますから。僕は,食べていくだけなら,皿洗いでもなんでもやればいいと考えていたので,とにかく自分の興味があるものを試してみたかったんです。そうしていれば,そのうち自分の進むべき道が決まってくると思っていましたから。

4Gamer:
 なるほど。終身雇用と,それに伴う社会保障という,当時の社会のあり方とは逆を向いた生き方ですね。

スコット氏:
 そうなんですよ。当時は,その人の経験を尊しとしない時代でしたから,面接で履歴書を見せると「君は尻が軽いね」なんてよく言われました。

4Gamer:
 それだけの職歴を持っていながら,ゲーム業界には30年以上いらっしゃるんですよね。言うならば,スコットさんにとってゲームの仕事は“水が合っている”んだと思いますが,具体的にどんなところが合っていたと思いますか。

スコット氏:
 “楽しみを売る仕事”だからでしょうね。ゲームを遊んでいて嫌になる人って,普通はいませんよね。ゲームは楽しいものですから。それを売る仕事はとてもやり甲斐があります。

4Gamer:
 ではゲームに対してやりがいを初めて感じたのは,どのタイミングでしょう。

スコット氏:
 そうですね……アイレムで,アーケードゲームの取締役開発部長をやっていた頃ですかね。

4Gamer:
 当時のアイレムというと,「ジッピーレース」あたりでしょうか。

スコット氏:
 そうそう! ジッピーレースは僕がやりました。「ムーンパトロール」や「スパルタンX」なども,僕のプロデュースした作品ですよ。

4Gamer:
 アイレム初期の黄金タイトルじゃないですか!

スコット氏:
 アーケードゲームの全盛期でしたね。部下に優秀なゲームデザイナーやプログラマーが多くいました。彼らは現在も,業界で非常に重要な仕事をしていますよ。いまの4Gamerの読者の皆さんも,名前は知ってると思います。
 ちょうどその頃,僕はプライベートで「ロードランナー」にハマっていたんですが,それを世界的に売っていたブローダーバンドという会社の社長が来日して,お会いする機会を得たんです。


4Gamer:
 ブローダーバンドとはまた,懐かしい名前が出てきましたね。

スコット氏:
 あなたくらいの歳だと懐かしいでしょう? 後にアイレムは,ブローダーバンドからライセンスを受けてファミコンでスペランカーを作ることになるんですけど,その前に,アーケードでロードランナーを作っていたんです。実はその時,ロードランナーでアーケードゲーム業界からちょっとした反発がありまして。

4Gamer:
 どういった内容でしょうか。

スコット氏:
 「PCのゲームを我々の業界に持ってくるとは何事だ!」というんですよ。アーケードゲームがPCに移植されることがあっても,PCのゲームをアーケードに移植するのは許さないという言い分ですね。
 当時,アーケードゲームは面白くなければ遊んでもらえないし,長く遊べすぎてもビジネスにならないという,両者のはざまをうまく引っぱっていくことが求められた業界でした。一方のPCゲームは,ソフトを買ってしまえばずっと遊べるものなので,その作り方の違いは,アーケードの人達にとって,プライドが許さないものだったんですね。

4Gamer:
 ……昔も今も,一部の業界人はなんだか同じようなことを言ってますね。

スコット氏:
 うん,昔からそうなんだよね。ところが,そんな声を押し切って発売したアーケード版ロードランナーは大成功して,最終的にシリーズで4本出ることになりました。

4Gamer:
 あれ,そんなにあったんですか。それは恥ずかしながら知りませんでした。

スコット氏:
 そのぐらいヒットしたんです。そんなロードランナーのライセンス元であるブローダーバンドは,当時PCゲーム部門ではElectronic Artsと並ぶほどの勢いがあり,販売力にも余力があったので,日本のPCゲームをアメリカで売り込もうと呼びかけていました。「あなた方はゲームを作って,それをアメリカに持ってきてくれれば,ブローダーバンドのセールスチームがローカライズと販売を行って,ロイヤリティをお支払いします」という内容で。そのころ僕は何をしていたかというと,ブローダーバンドの社長と一緒に,日本のPCゲームメーカーにそのベンチャー企画を紹介して回っていました。

4Gamer:
 それはロードランナーやスペランカーがきっかけで?

スコット氏:
 そうなります。そして,そんな僕らの働きかけに対して,日本の13社が賛同してくれて,晴れてブローダーバンドのお膝元であるサンフランシスコに,ジョイントベンチャー企業を立ち上げることが決まりました。ただ,当然,誰か日本人も現地に行かなければならないという話になって,そこでみんなが指差したのが僕だったんです。

4Gamer:
 ようやく,スコットさんがアメリカに行くまでの話につながってきましたね。

画像集#008のサムネイル/ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃
スコット氏:
 でも,その時の僕は,アイレムでアーケードゲームを作っていたので,PCゲームのことはまったく知らなかったんですよ。それなのに,ロードランナーやスペランカーの成功,そしてブローダーバンドが,僕をアメリカに行かざるを得ない状態にしちゃったわけです。これはもう,運命というものでしょう?(笑)

4Gamer:
 アメリカからはすぐ帰ってくる予定だったんですか?

スコット氏:
 もともとは1年だけの予定でした。ただ,日本からアメリカへPCゲームを持っていくシステムは1年で構築できたんですが,僕が渡米した翌年の1989年頃から,任天堂とセガの家庭用ゲーム機がアメリカで爆発的に伸びてきまして。その結果,PCゲームの市場に陰りが見えてきてしまったんですよ。
 そこで僕は「うちも家庭用ゲームをやるべきだ」と進言したんです。ところが,今度はPCゲームの人間が「あんな子供向けのゲームは売れない」と言ってきて……。

4Gamer:
 歴史は繰り返されますね。

スコット氏:
 ホントに(笑)。それで,家庭用ゲームを作ろうという僕の意見に賛同してくれたのは,当時PCゲームメーカーだったBPS(Bullet-Proof Software)の1社だけでした。

4Gamer:
 懐かしいですねえ,BPS。スコットさんの次の行動はなんとなく予想できますが,もしかして……。

スコット氏:
 ええ,ベンチャー企業立ち上げの目標は果たしたということで,僕はまた会社を辞めてしまいました。そして,BPSのヘンク・ロジャースと一緒に,NINTENDO OF AMERICA(以下,NOA)のあるシアトルで,BPSのアメリカ現地法人を作ったんです。

4Gamer:
 なんかそうそうたる名前が次々に登場しますね。ヘンク・ロジャースって,「ザ・ブラックオニキス」の作者じゃないですか!

スコット氏:
 うん,ホントに古い話ですよね(笑)。で,それによって1年で日本に帰るわけにはいかなくなってしまい,そこからシアトルで新たな生活が始まったんですけど……。

4Gamer:
 また何かトラブルが?

スコット氏:
 BPSが買収されて,今度は出社のためにサンフランシスコまで行かないといけなくなってしまったんです。でも,そのころすでに家族をシアトルに呼んでいたので,平日はサンフランシスコで過ごして,土日はシアトルに帰るという暮らしをせざるを得なかったんですよ。

4Gamer:
 ……サンフランシスコとシアトルって,ちょっと通うには厳しい距離だと思うんですが。

スコット氏:
 うん,無理でした(笑)。2年ぐらい続けましたが,さすがにしんどくなったので,またまた会社を辞めてしまいましてね。今度は,1996年にシアトルでコンサルティングの会社と開発会社を同時に設立しました。前者が,現在のTozai社というわけですね。

4Gamer:
 ここにきて,やっとTozai社の名前が(笑)。

スコット氏:
 いやでも,僕は一度Tozai社を抜けているんですよ。

4Gamer:
 え?

スコット氏:
 実は,その2社の設立後に,任天堂から開発会社の立ち上げに協力してくれないかと声がかかったんです。そこでTozai社は現社長に任せて,僕はシアトルでNINTENDO SOFTWARE TECHNOLOGYという開発会社を設立し,社長を4年間勤めていました。

4Gamer:
 4年間というのは,期限が決まってたんですか?

スコット氏:
 いえ,そのときはNOAの荒川社長とずっと仕事をしていたんですが,彼がNOAを退職するということで,僕も一緒に辞めちゃいました。なので,勤めていたのは4年間。

4Gamer:
 本当に決断が早いというか,スパっと辞めてしまうんですね。

スコット氏:
 僕の経験上,次の行動は深く考えると間違えるんですよ。もちろん,考えずに決断して失敗することもありますが,何にせよやらずに失敗するより,まずはやってみて失敗するほうがいいですから。
 そんなこんなで,BPSを辞めて以降7社ぐらい会社を転々としていたところ,Tozai社がそれまでのコンサルティング事業だけでなく,自社ブランドでゲームを出すことになりました。その機会にTozai社に戻ってきて,現在に至るというわけです。

4Gamer:
 ああ,なるほど。TOZAI GAMESブランドの作品は,最近出てきたものなんですね。これまで,ゲームメディアとして仕事をしていながら,スコットさんやTozai社のお名前を耳にする機会がほとんどなかったのは,なぜだろうと疑問に思ってたんですよ。スコットさんほどの業界歴をお持ちの方であれば,もっと話題になっていてもおかしくはないですから。

スコット氏:
 うん,表立って活動を始めたのは,つい最近の話だから。ともあれ,長くなりましたけど,僕の人生は,ロードランナーとスペランカーで完全に変わってしまったんですよ。この2本がアメリカに渡るきっかけを作ってくれて,今では市民権まで持っているわけですからね。

4Gamer:
 私ごときの若造が言うことではないですが,とても充実した人生を送ってますね。

スコット氏:
 ええ,とても楽しい人生ですよ。自分の意識を持ちすぎず,自由に,無理をせずに幸福をつかむのがいいと思うんですよね。人によって幸福の形は違いますが,僕は目の前にある不安定なロマンを,いかに楽しめるかを大事に考えています。

4Gamer:
 今の若者は――いや,少なからず私もそうですが――そういう生き方を羨ましく感じるのではないでしょうか。

スコット氏:
 今の社会はお金が中心ですからね。それも一つの目標だと思いますが,それだけじゃない。こういう人生もあるということも,今の若者に知ってもらいたいな。

4Gamer:
 人間,年齢を重ねていくにつれ,人生に対する考え方がなんとなく変わっていくじゃないですか。僕も若い頃は何かを成功させたいと思っていましたが,40歳を過ぎるとそれがなくなって「何を成したか」のほうが重要だと思うようになってきました。
 ただ,スコットさんは流れに身を任せるような生き方を貫いていて,とても羨ましく思います。とくに今の時代,その生き方ができる人は少ないでしょうし。

スコット氏:
 何歳だからこれをしなければいけないとか,こんな歳でこんなことをしてはいけないという意識がまったくないんですよね。今は70歳ですが,機会があれば恋もできます。もちろん,家族には内緒ですけど(笑)。
 僕は年齢の枠をあまり考えたことがなくて,ふと気付いたら70歳だったんですよ。もちろん肉体的には衰えていますが,精神的な衰えはまったく感じません。

4Gamer:
 スコットさんは,お話をしていても本当にお若く感じます。僕は近所のボランティアセンターなどで,スコットさんと同年代の方々に会う機会が多いのですが,スコットさんほど若々しい方は見たことがありません。一体何が違うんでしょう?

スコット氏:
 興味が足りてないのかもしれないね。

4Gamer:
 すなわち,刺激と言い換えてもいいですか?

スコット氏:
 うん,刺激でもいいです。何かを見たとき,誰かといるとき,その時その時で興味が沸いてくるというのが大事なんですよ。外を歩いていてサワサワと音が聞こえたとき,青葉が春風になびいていることに気付いて豊かな気分になるとか,そんな感性を保つことも若さの秘訣なのかもしれませんね。

画像集#006のサムネイル/ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃


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