― 連載 ―


 伝説の小鍛冶,三条宗近 

Illustration by つるみとしゆき

 前回,武蔵坊弁慶の岩融(いわとおし,「こちら」)を紹介したときに,その作者は三条宗近(さんじょうむねちか)とする説があると紹介した。三条宗近は平安初期に実在した鍛冶で,能のテーマにもなるほどの有名な人物。今回は三条宗近と"小狐丸"に触れてみよう。

 三条宗近といえば,能の「小鍛冶」が有名である。これは66代天皇である一条天皇の勅命によって三条宗近が剣を鍛えたという話だ。まずは,あらすじを簡単に紹介しておこう。
 ある日,一条天皇は夢の中で三条宗近に剣を打たせよとの不思議なお告げを受けたため,橘道成という使者は勅命を持って三条宗近のもとへと訪れた。だが宗近はこの仕事に見合った相槌を振るう弟子がいないため,辞退しようとした。しかし勅命ということもあって断るわけにはいかず,納得できる相槌がいないまま刀を打つ羽目になってしまう。
 そこで宗近は,京都の稲荷明神(伏見稲荷)へと出かけると祈った。するとどこからともなく一人の子供が現れたのだ。しかも,その容姿や雰囲気は普通の子供のものではなく,どことなく気高く高貴な雰囲気が漂っている。興味を持った宗近が話しかけると,勅命によって宗近が刀を打たねばならないことや宗近の素性を知っているだけではなく,刀に対する知識などにも通じていた。宗近が驚いていると,続けて「勅命で刀を鍛えられる機会など滅多にないのだから,何を悩んでいるのか! おまえほどの腕があれば立派な刀ができるだろう」と励ました。そして,刀を打つときは自分が相槌を務めようと言い残すと,消えてしまった。
 やがて刀を鍛えるときがくると,例の子供はどこからともなく現れて宗近の相槌を務めた。二人は一心に刀を打つと,素晴らしい刀が鍛えあがった。宗近は子供は稲荷明神の遣いであろうと思ったので,刀の中子の表に「小鍛冶宗近」,裏には「小狐」と刻んだ。無事に刀が完成すると子供は満足そうな顔をして,自分が稲荷明神であると明かし,雲に乗ると稲荷山へと帰っていった。

 実在した? 小狐丸 

 「小鍛冶」の中に登場する小狐丸は架空の刀らしいが,歴史を調べると同名のものが存在している。
 一つは909年に菅原道真の祟りで京都に多数の稲妻が降ったときに,宮中に一匹の白狐が現れて授けた刀が小狐丸とする説だ。この刀は九条家に献上されて家宝となった。それから1370年には,外出中の九条経教に稲妻が落ちてきたときに,経教は腰に差していた小狐丸を抜き払うと,稲妻の軌道を変えてしまったという記録が残っている。
 そのあとは歴史上でしばらく小狐丸の名前を見ることはなく,次に登場するのは徳川吉宗の時代。越前の春日明神社に「小狐丸影」と銘打たれたものが見つかったそうだ。が,影というのは影打ち(同じ刀を二本打って良作を発注者に渡して悪いほうを残すというもの)を示しているそうで,真の小狐丸ではない。また,一般的に影打ちには銘を刻むことはないので,ひょっとしたらまったく関係がない刀なのかもしれない。
 ほかにも,小狐丸は未だに九条家に秘蔵されているとの説や,大和の石上神宮に同名の刀が保管されているという説もある。調べると,ほかにも小狐丸の名を見られるのだが,真偽はともかく,それだけ小狐丸が刀剣界に与えた影響が大きかったのだろう。
 今日,小狐丸の斬れ味や大活躍するエピソードを見ることができないのは残念だが,神と人との共同作業によって生まれた刀というのは,ほとんどないため興味深いといえる。なお小狐丸の作者とされる三条宗近は,源氏に伝わる今剣(いまつるぎ),薄緑(うすみどり)といった刀を鍛えたとも伝えられている。今後機会があれば,そちらも紹介するとしよう。



■■Murayama(ライター)■■
以前Murayamaが,この連載の担当編集者に連れられて吉祥寺の某寿司屋に行ったときのこと。メニューに値段が書かれていないそのお店,「安いから!」と誘われて行ったのに,いざお会計してみると二人で2万円支払うことになり,あんまり安くなくてしょんぼりした経験がある。そしてつい先日,その寿司屋の2軒隣にある別の寿司屋に行ったMurayama。そこもやはりメニューに値段の書かれていない店で,「てきとうにおつまみを」と頼んだところ,いきなりアワビの刺身やアワビの蒸し物などが次々と出てきて,結局二人で3万円もかかってしまった。現在Murayamaは担当編集者に,その2軒の寿司屋の間に建つ焼き肉屋に誘われている。