― 連載 ―

奥谷海人のAccess Accepted

映画とゲームは,似て非なるエンターテイメント。しかし,急速に大型化しているコンテンツ産業という側面から捉えれば,100年の歴史を持つハリウッドの過去から学ぶことは多いはず。ハリウッドの強さの秘密を,ゲーム業界でも応用できると考えている人も少なくないのだ。今回はハリウッドの話を中心に,ゲーム業界にある危機意識を浮き彫りにする。



アメリカのゲーム産業は,1982年に一度大きな不況に見舞われている。日本では「アタリショック」と呼ばれる,市場の飽和現象である。写真は当時2500万台出回っていたという,Atari VCS 2600システム
 「ゲーム産業は,ゴールデン・エイジ〜黄金期〜を迎えている」。筆者がこの言葉を初めて聞いたのは,3DOがリリースされた1990年代中頃の話だ。今ではほとんど聞かれなくなった比喩ではあるが,1894年に初めて登場した映画は,その後紆余曲折を経ながら1920年代に第1期の黄金期,そして'50年代に第2期を迎えた。仮に,1972年に登場したマグナボックス社の「Odyssey」を現在のゲーム産業の基点と考えれば,'90年代中盤はちょうど20年経った頃だったと言える。そして今は,黄金期の狭間にいることになる。
 実際,映画産業が進んできた道と,ゲーム産業のそれとを比較すると,時系列は異なっていても,非常によく似た現象が起きているのに気づく。映画100年の歴史を簡潔に述べるのは不可能に近いが,ゲーム界とダブらせながら,足早に説明してみよう。

 映画の歴史は,有名な発明王トーマス・エジソンが1889年に開発したキネトスコープに始まる。ポストほどの大きさの機械の中を一人ずつ覗き込むというもので,この機械の名称が「シネマ」の語源にもなっている。最初の"キネトスコープ館"がニューヨークでオープンした翌年(1895年),フランスのリュミエール兄弟によってシネマトグラフという映写機が開発されて,現在と同じような,映画館で鑑賞する映画の基礎が出来上がった。
 日本にも,1896年にはさまざまな種類の撮影機が輸入されており,映画鑑賞もかなり早くから行われていた。
 初期の映像は,アクロバットや列車の走る様子など,実世界をそのまま見せるというもので,その後数年のうちに,フェイドイン/フェイドアウトやクローズアップなどの基本技術が発達する。しかしコンテンツは,舞台劇をそのまま正面(観客席側)の位置から撮影した単純なものがほとんどだった。これは,譬えるならば,それこそOdysseyのピンポンゲームのようなギミック程度のものだったであろう。

 技術的には1911年にリールを交換するシステムが開発されて,G・W・グリフィスの「国民の創生」(1915年)などが登場し,長編映画としての映像エンターテイメントの時代に移行する。
 その頃までにはハリウッドで映画スタジオが勃興し始めており,映画スターがスポットライトを受けるようにもなった。リリアン・ギッシュのようなアイドルのほか,チャーリー・チャップリンやバスター・キートン,日系人の早川雪舟のようなスター達が登場している。
 ヨーロッパでも,「カリガリ博士」(1919年)や「メトロポリス」(1927年)でドイツ表現主義と呼ばれる芸術思想が映像化され,また共産化していたロシアでは,「戦艦ポチョムキン」のエイゼンシュテインらが映像を記号として捉えることで映像表現が理論化されていった。
 このあたりが,「サイレント黄金時代」と呼ばれる時代である。


ゲームでは,ロケや俳優へのギャランティがないので,制作コストは雇用人数と制作期間のみに大きく左右される。しかし,コンテンツのライセンスを受けるともなると話は別。2003年の「Enter the Matrix」では,なんと初期制作費の80%がライセンス料という驚きの数字だった
 映画産業に激震が起こったのは,アメリカで,初のサウンド入り映画「ジャズ・シンガー」(1927年)が出現したときだ。翌1928年には「蒸気船ウィリー」として登場したディズニーアニメの先駆け的作品が,1929年にはミュージカルの初期作品「ブロードウェイ・メロディ」(1929年)が,そしてドラマ「西部戦線異状なし」(1930年)や当時最高のハイテク技術を駆使した「キングコング」(1933年)などの大ヒット作が登場している。
 トーキー時代が始まったことで,いち早く産業としてシステム化していたハリウッドのスタジオの存在が,英語が"映像標準語"となった要因の一つであるのは間違いないだろう。恐慌を経て労働組合が組織化されたことも,今のハリウッドの強さにつながっていると考えられる。

 世界大恐慌の影響がなくなり,トーキー映画の制作も当たり前になった頃には,「風と共に去りぬ」(1939年)や「オズの魔法使い」(1939年)のようなコスト高ながらもカラー映像を実現した作品が出現。
 さらに「市民ケーン」(1941年)では,レンズやフィルムの発達により,シャープなフォーカスを駆使した現代的な撮影法を実現している。コンテンツ面では,ミュージカルに続いて,夜を舞台にした犯罪ものの"フィルムノワール",ドイツや日本でも制作された"プロパガンダ映画",そのほかヨーロッパの亡命映画作家達による低予算な実験映像も制作されるなど,多用化を見せ始める。

 無理矢理で恐縮だが,'90年代末に本格的な3Dグラフィックスの時代へと移行し,それに合わせてさまざまな試行錯誤が行われていたことを考えると,現在のゲーム産業はこのあたりにいると考えられるのではないだろうか。
 大恐慌や大戦などグローバルな事件があった時代と比べるのも妙な話だし,すべての映画がトーキーになったようにゲーマーが2Dゲームを見放したわけでもない。しかし,そのような時代やメディアの特性の違いを考慮しても,"混沌とした活力"のある現在のゲーム産業は,黄金期と黄金期に挟まれた'30年代から'40年代までの映画産業と似ている。世界規模で,ゲーム産業がハリウッドに追随しているようにさえ見えてくる。

◆◆北米におけるゲーム市場と映画市場の成長◆◆
 2000年2003年
ゲームソフト/ハード販売約64億ドル(約6720億円)約84億ドル(約8820億円)
映画・興行収入約75億ドル(約7875億円)約93億ドル(約9765億円)
(Source PC Data/Hollywood Reporter)

 この後のハリウッドはどのような道を辿ったのか。不況が顕著になった'20年代後半から企業の合併が繰り返され,MGM,パラマウント,20世紀FOX,ワーナーブラザーズ,RKOといったメジャーの時代をもたらしている。彼らは終戦までの15年間で7500タイトルという膨大な数の映画を生産しているが,現在のゲーム業界と同じく採算がとれる作品の比率は高くはなかった。
 しかし,やがて景気や社会が安定したため,'50年代には娯楽としての絶対的地位を占めるようになった。マリリン・モンロー,グレース・ケリー,マーロン・ブロンド,ジェームス・ディーン,ジャック・レモン,ケリー・グラントなど華々しいスター達を輩出する一方,舞台劇より現実的なメソッド・アクティング法が考案された。第2の黄金期である。

 ところが'50年代後半にもなると,"ブロックバスター"と呼ばれる「ベンハー」(1959年)や「アラビアのロレンス」(1962年)のような大予算の大型映画がリリースされるようになる。スケールの大きい豪華な映画だが,その分失敗すれば被害も大きい,まさに諸刃の剣だ。
 そしてその流れの結果が,20世紀フォックスの「クレオパトラ」(1963年)だった。4年の歳月をかけ,当時としては前代未聞の4400万ドル(当時の相場1ドル360円で換算して約158億円)という制作費が費やされたという。同じ時期の日本で,大学卒の初任給が2万円ほどだったそうだから,その規模の凄さが分かるだろう。
 エリザベス・テーラーが主演した鳴り物入りの映画にも関わらず,'90年代までその制作費が回収できなかったと言われるほどの興行的失敗により,20世紀フォックスは破綻寸前にまで追い込まれた。その影響は大きく,ハリウッド業界全体が再編を強いられたのだ。

 こうしてハリウッドは大きな代償を支払った。その後オフ−ハリウッドやフランス,イギリス,日本など,"ニューウェーブ"と呼ばれる低予算ながらも作家性を前面に押し出した新しい感覚の作品が持てはやされるようになり,一時は完全に勢いが失われてしまう。
 その一方で,大きな失敗を繰り返さないために,制作行程から予算の捻出,脚本の書き方に至るまでの方法論やマーケット論がオープンに構築されて,'80年代から再び力を盛り返すのである。現代ハリウッドの圧倒的な強さは,この頃の経験がモノを言っているのだ。
 アメリカのゲーム業界では,'60年代ハリウッドの二の舞を演じないように,現在活発にゲームの制作論やビジネスのあり方が議論されている。また,IGDA(International Game Developers Association)のような会合を通じ,業界で働く人々のセーフティネットも整備され始めた。30年以上続いているゲーム業界も,過去から学ぶことで,成熟した産業へと脱皮し始めているのだ。


次回こそ,嵐の渦中にいた"あの人物"について書く予定。もう1週間お待ちを


■■奥谷海人(ライター)■■
本誌海外特派員。大学では映画を専攻していただけあり,映画の話を始めると止まらない奥谷氏。今でも「レビューを書くなら,ゲームよりも映画のほうが自信がある」と言って憚らない。学生時代には16mmの30分映画を制作したとのことだが,先日押し入れにしまっていたフィルム缶を開けてみると,その内側にはビッシリとカビが生えていたとか。過去を失ったようで悲しいと語るが,管理を怠った自分を責める気は毛頭ないらしい。


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