特集:“あの”木屋善夫氏が「ソーサリアンオンライン」にもの申す!?

“あの”木屋善夫氏が「ソーサリアンオンライン」にもの申す!?伝説的なスタープログラマーが見る,現代のゲーム

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Interview by Iwahama/ginger,Photo by 市原達也 

 

 今をさかのぼること約20年,日本のPC(というか“パソコン”。もっとさかのぼれば“マイコン”)ゲーム業界には,“スター”のつくプログラマーがたくさんいた。中でも筆頭が,当時日本ファルコムに在籍していた木屋善夫氏である。氏が生み出した,「ザナドゥ」「ソーサリアン」などのドラゴンスレイヤーシリーズ(※1)作品は,発売数か月前から当時のゲーム雑誌がこぞって特集にし,発売後も毎月毎月情報が載り,パソコンゲーマー達を書店へと走らせたものだ。

 

 さて,木屋氏は,ドラゴンスレイヤーシリーズ最後の作品,「風の伝説ザナドゥ」(※2)の開発が完了した1993年,同作の発売を待たずに日本アプリケーション(現クレアンスメアード)に移り,そこで逆鱗シリーズなどを生み出す。しかし,「大逆鱗III」(1998年)以降はPCゲームを発表しておらず,日本全国津々浦々の木屋氏ファンをやきもきさせ続けている……というのがここ数年の状況だ。もちろん,今回のインタビューを担当したIwahama/gingerの二人も,やきもきしっぱなし。

 

左から,電遊社 代表取締役社長 林省吾氏,クレアンスメアード 取締役CTO兼オンラインゲーム本部長 木屋善夫氏,電遊社 開発部 エンジニア 倉大輔氏,電遊社 開発担当 取締役 洋谷龍氏。なお,木屋氏の肩書きは,誤字ではない。確かに「オンラインゲーム本部長」なのである。何の本部長なんだろう……

 

 ときは流れて2005年。日本ファルコムが,「ソーサリアンオンライン」を発表した。木屋氏のゲームで育った現役/元PCゲーマー達がこぞって注目したことは言うまでもない。本作の開発に,木屋氏はもちろん,日本ファルコムさえ関わっていないということが明らかになっても,それが変わることはなかった。
 しかし徐々に情報が出てくるにしたがって,かつてのソーサリアンとは,ずいぶんと違うものであることが分かってきた。3D化,オンライン化は時代の流れから必然だろうし,むしろ望むところだが,アクション性までほぼなくなっており,ソーサリアンというタイトル名以外には,音楽や星魔法などに名残を感じる程度。ウリとなるはずの“オリジナルのソーサリアンの初期シナリオを再現した”シナリオは,正式サービス開始から半年近く経った今でも,最初に実装された2本のみで,3本目の実装時期さえ聞こえてきていない。
 はっきり言ってしまえば,せっかくの“ソーサリアン”という素晴らしい素材を,現時点ではまだ生かし切れていない印象だ。
 しかし,オンラインゲームには,サービスしながら進化を続けられるという強みがある。今後のアップデートで,現代のオンラインゲームファンはもちろん,昔のソーサリアンファン達も大満足させるゲームへと育っていく可能性は,十分あるだろう。また,広告配信サービスのアドバプラスと提携するなど,ゲーム外の部分で面白い試みも行われており,電遊社の「次の手」が気になるところだ。

 

・ザナドゥ
国産PCゲーム史上最大のヒットを誇る,アクションRPGの金字塔。(お腹が空いたときのバージョンも含め)あのBGMを今でも思い出すという人は多いはず

 前置きが長くなったが,その「次の手」について,気になる噂を聞いた……のが,今回の記事の発端である。なんと,電遊社が木屋氏とコラボレーションを行うというのだ。
 そんなことを聞いては,当時からPCゲーマーだったものとしては,いてもたってもいられない。早速電遊社にコンタクトを取り,木屋氏を含めたインタビューの場を設けてもらった,という次第である。
 先に結論を言うと,噂は本当だった。確かに“あの”木屋氏が,ソーサリアンオンラインをさらに磨き上げるべく,一肌脱ぐことになっていたのだ!
 このインタビューでは,もちろんそのコラボについても聞いているが,せっかく木屋氏に話を聞ける機会なので,今後(現在〜未来)の話だけでなく,過去も含め,いろいろと幅広く聞いてきた。ただどのパートにせよ,木屋氏のゲーム開発に対する想い/姿勢がかいま見られるはず。木屋氏のファン,ソーサリアンオンラインのファンはもちろん,若手のゲーム開発者達にもぜひ読んでほしい。
 かなり読み応えのあるボリュームになってしまったので,今回のインタビューは本日掲載する「前編」と,明日(5月2日)掲載予定の「後編」の二部構成となっている。なおその構成上,木屋氏の手になる過去の名作ゲームを話題の中心にすえた「前編」では,ほとんどソーサリアンオンラインに触れていない。ソーサリアンオンラインについては,同作の開発にまつわるエピソードや,木屋氏とのコラボレーションの予定など,現在から未来にかけてを語ってもらった「後編」でガッツリ触れているのでご期待を。

 

(※1)……ドラゴンスレイヤーシリーズと一口にいっても,中には現在のRTSにも似たシステムを持つ「ロードモナーク」という作品があるなど,実にバラエティ豊か。当然武器「ドラゴンスレイヤー」すら登場しない作品もあり,あえて共通点を挙げるとすれば,「木屋氏の作品」であるということだった。ちなみに,現在も続く英雄伝説シリーズは,木屋氏が手がけた1作目,2作目のみがドラゴンスレイヤーシリーズとなる。同様に,「ザナドゥ・ネクスト」もドラゴンスレイヤーシリーズには含まない。

(※2)……日本ファルコム初の自社開発コンシューマゲームで,PCエンジン用タイトル。なお「The Last of Dragon Slayer」と副題がついた「風の伝説ザナドゥII」が1995年に発売されているが,木屋氏が関わっていないため,ここではシリーズ作として扱わない。

 

 

過去:二十歳そこそこの若者が,伝説のプログラマーになるまで
〜とくに苦労をして何かを作っていたというよりも,
ただ自分の好きなことを一生懸命やっていた〜

 

プログラマーになったきっかけは,奥さんの出産

 

4Gamer
 本日はよろしくお願いします。林社長を含む電遊社のスタッフにも同席していただいていますし,基本的には「ソーサリアンオンライン」の今後……つまり現在〜未来の話をするつもりですが,せっかくの“木屋さんを交えてのインタビュー”ですので,まずは過去の話から始めたいと思ってます。

 

木屋善夫氏(以下,木屋氏)
 こちらこそ,よろしくお願いします。

 

4Gamer
 例えば私の場合は,まさに木屋さん世代で,当時のゲーム雑誌なんかを見ては「うわ,また木屋さんの髪型が変わっている!」なんて言っていたわけですが,いまの若い読者の中には,木屋さんのことよく知らないという人もいると思うんですね。そこでまずは,木屋さん自身について聞いていきます。

 

木屋氏
 なんでもどうぞ!

 

4Gamer
 では,いまさらではありますが,木屋さんがこの業界に入ったきっかけあたりから聞いてみたいなと……。

 

木屋氏
 それはまた,もの凄い昔の話ですね(笑)。

 

林省吾氏
 まずはその話を30分くらいしますか(笑)。

 

4Gamer
 林さんからもお許しをいただいたようなので,ぜひ。

 

木屋氏
 ではええと,せっかくですので,本当に最初のきっかけから。妻が出産で,しばらく家に帰ってこない時期がありまして,ヒマを持て余していたんです。それで,何か面白いものはないかと思っていたときに,ふと立ち寄ってみたデパートで,パソコンというものが売られていたんです。

 

4Gamer
 その頃は,まだ“マイコン”と呼ばれていましたよね。

 

木屋氏
 そうそう,マイコン! 懐かしいですね。当時はちょうど,PC-6001が発売されたばかりの時期で,手が出ないほどの金額ではないし,ちょっと面白そうだなと思って買ってみたんです(編注:PC-6001は,1981年に8万9800円で発売されている)。そうしたら,そこからハマッてしまったんです。

 

4Gamer
 PC-6001の発売というと,確か25年以上も昔になりますね。

 

木屋氏
 そうですね。私がまだ,21〜22歳の頃です(編注:木屋氏は1960年生まれの46歳)。

 

4Gamer
 ちょっとした興味からマイコンを手に入れて,そこからプログラミングを始めるようになったわけですね。では,日本ファルコム(以下,ファルコム)に出入りするようになったきっかけは,何だったんですか?

 

木屋氏
 ファルコムは当時,いまで言うパソコンショップ(アップルコンピュータの代理店)で,しかも結構ヒマなお店だったので(笑),遊びに行くと加藤さん(ファルコム創業者の加藤正幸氏。現ファルコム会長)がいて,「まぁ,コーヒーでも飲んでいけ」なんてことになって,よく話をしていたんです。

 

4Gamer
 しょっちゅう遊びに行っているうちに,自分で作ったゲームを持ち込むようにもなったと。

 

木屋氏
 ええ,当時のマイコンなんて,自分でプログラムを作る以外,ほとんど使い道がなかったですからね。それで私も,自分で一生懸命にゲームを作っていたところに,加藤さんから「せっかくだから,これを売ってみない?」という話をもらうようになったんです。

 

4Gamer
 そしてそれが,だんだん評判になっていったわけですね。

 

木屋氏
 そうですね。それで最初の頃はお金をもらうんじゃなくて,ゲームを一本作ったらディスプレイを一台とか,プリンターを一台とか,そんな感じでやっていましたよ(笑)。

 

4Gamer
 物々交換だったのか……。ただ,あの当時のアップルマシンは非常に高価で,なかなか手が届かなかったですよね。ゲームをプレイする側としては,どんなゲームで遊んでいたんですか? やはり,アップルマシンだったんでしょうか。

 

木屋氏
 いやあ,アップルマシンを手に入れたのは,ファルコムに入社する前後くらいの時期でした。だって,当時は本体が一台48万円くらいで,給料の5〜6か月分という時代でしたからね。さらにそこへ,ディスプレイやディスクツールを加えると,70万円くらいはしていました。いまから考えると,とんでもない金額ですよね。
 だから,最初がPC-6001で,次にPC-8801を手に入れて,そのあたりのゲームを遊んでいましたよ。「森田のバトルフィールド」とか「ドアドア」とか(いずれも当時のエニックス)。あとは,PC-6001でアスキーが作っていたゲームとか。

 

4Gamer
 どれも懐かしいですねぇ。では,ファルコムに入社する直接的なきっかけは何だったんでしょう。

 

・ドラゴンスレイヤー
シリーズの原点,「ドラゴンスレイヤー」。動作速度が問題視された木屋氏の前作「ぱのらま島」での反省を生かし,マシン語で組むことでスピードアップが図られている。本作をさらに洗練させ大ヒットしたのが,「ザナドゥ」だ

木屋氏
 「ドラゴンスレイヤー」というゲームを趣味で作っていて,それがほぼ完成するという頃に,うっすらと「これ(プログラミング)を仕事ですることになるかもしれないな」と,感じるところがありましたね。そうしたら,ちょうどタイミングよく「(ファルコムに)入らない?」という話をもらって,そのまま入社してしまったわけです。

 

4Gamer
 あのドラゴンスレイヤーを,趣味で作っていたんですか! そりゃ凄い。そして,ドラゴンスレイヤーII,つまり「ザナドゥ」では爆発的な大ヒットを記録しましたね。

 

木屋氏
 まぁ,結構売れたようですね。

 

4Gamer
 謙遜されていますが,結構売れたどころの話じゃありませんよ。しばしば「40万本売れた」と紹介されることがありますが,これはあくまで最初に出たときの全機種版の累計で,その後もファルコム以外の会社を含め何度も何度も再販/リメイクされているので,本当に全部ひっくるめれば,一体何万本売れているのか想像できないほどです。当時のゲーマーなら,みんな頭の中に「ちゃんちゃらちゃんちゃーん〜」というザナドゥのメロディが残っているんじゃないでしょうか(担当熱くなりすぎ)。

 

木屋氏
 いやあ,ありがとうございます。

 

4Gamer
 そのザナドゥの大ヒット後,ゲームシステムを変化させながら,ドラゴンスレイヤーの名前を冠した一連の作品,「ロマンシア」や「ソーサリアン」が生み出されていったわけですね。

 

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タイトル ソーサリアンオンライン
開発元 電遊社 発売元 電遊社
発売日 2006/11/16 価格 基本プレイ無料(アイテム課金)
 
動作環境 OS:Windows 2000/XP(DirectX 8.1以上),CPU:Pentium 4/2.4GHz以上,メモリ:512MB,HDD空き容量:2GB以上,グラフィックスカード:ピクセルシェーダ対応グラフィックスメモリ128MB(GeForce 4Ti,Radeon 9700以上),サウンド:AC97対応,通信回線:ホストはADSL12Mbps以上,クライアントは56kモデム以上

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