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[DICE 2006]「ゴッド・オブ・ウォー」&「ワンダと巨像」 〜 アメリカで好評を得た二つのタイトル
2006/02/15 23:52
■ゴッド・オブ・ウォーのディレクター,ジャッフェ氏の講演
God of Warのディレクター,デイビッド・ジャッフェ氏

 ソニー,任天堂,Microsoft各社の理解を得て開催されているD.I.C.E.サミットだが,インタラクティブ・アチーブメント賞の結果(2月10日掲載)を見ても分かるとおり,今年の話題は「ゴッド・オブ・ウォー」(原題 God of War)と「ワンダと巨像」(英題 Shadow of Colossus)の,プレイステーション2用作品2タイトルにあったようだ。

 まず,初日に行われていた「Chasing Perfection: The Making of “God of War”」(完成を追って:メイキング・オブ“ゴッド・オブ・ウォー”)というセッションでは,Sony Computer Entertainment of America (SCEA)のサンタモニカ本部でディレクターを務める,David Jaffe(デイビッド・ジャッフェ)氏が講演を行った。
 God of Warは,ギリシャ神話を題材にした攻撃的なゲームプレイの作品で,そのアクションやグラフィックス,ストーリーなど,すべての面における完成度の高さで好評を得ており,欧米のゲーム雑誌では2005年度のゲーム賞を独り占めしていたといってもよい。日本でも2005年末にカプコンからリリースされており,プレイした人達からはかなり評価されている。
 ジャッフェ氏は声を発するなり,「まず,この場でプレイステーション3の本体価格と発売日の公表を許可してくれた,Phil Harrison氏(フィル・ハリソン社長/SCE of Europe)に感謝します」と宣言。これはもちろんジョークだが,なんでもこのような壇上に登ってスピーチするのは初めてのことで,これも緊張をほぐすためのものだろう。
 もっとも彼の業界での経歴は長く,大学卒業以来13年間SCEAに勤務しているというアメリカでは珍しい長期就労組で,これまでの代表作に「Twisted Metal」(ツイステッド・メタル)シリーズがある。会場ではサミット期間を通して,断続的にプレス関係者からのインタビューや写真撮影の攻勢にあっており,ゴッド・オブ・ウォーの成功でついに華々しいデビューを飾ったようだ。

 ジャッフェ氏はGod of Warの開発に関して,ゲームデザイナーとしてほぼ完全なコントロールと,彼に言わせると「無限」ともいえる期間と開発費を提供された,二度めの“レアな機会”だったと語った。一度めは,1999年10月にプレイステーション用にリリースされた「ツイステッド・メタル2」が,商業的に成功を収めたあとのことだったという。彼の上司に,次にやりたい作品のことを聞かれて考えた,「Dark Guns」という過激アクションの好きな彼らしいプロジェクトだったそうだが,さまざまな理由から開発中止に追い込まれてしまう。
 その後しばらくは腐っていたというジェッフェ氏だが,いくつかツイステッド・メタルのシリーズ作品を手がけたあと,再び上司から次の作品のチャンスをもらい,そこで「前回は追い立てられているような恐怖心で企画を作っていたが,今後は初心に戻り“ゲーマーとして自分の遊びたいゲームを作る”という情熱で練ったのが,God of Warだった」と話す。開発中はほかの開発者との間に相当イザコザがあったらしく,ジャッフェ氏は「ヤツは自分が何を作ろうとしているのかも分かっていない」と,彼らの上司に直談判に行ったグループもあったなどと打ち明ける。

 さらにジェッフェ氏は,「どんなに才能のある職人(アーティストやプログラマー)が集まっていても,良いゲームができるものではない」と話し,「そこにクリエイティブなマインドを持った,ディレクターが必要なのではないか」と説く。モジュールのような,ゲームプレイや技術を組み立てただけのゲームと,そこを抜け出した領域にある作品(ジャッフェ氏は「ICO」を例に挙げていた)の差は,そこにあるのであり,いかに「職人」と「クリエイティブ・マインド」を組み合わせるのかが成功のカギを握る,ということのようだ。
 サミットに参加していたSCEA社長の吉田修平氏は,「アメリカの開発者は自我が強いように思えるが,殻を破ったときの結束力は素晴らしい」と話していた。ジャッフェ氏を名指ししていたわけではないのだが,開発のある時点で,クリエイティブなジャッフェ氏と,ほかの職人達の意思疎通が行われ,それがゴッド・オブ・ウォーの「完成」へとつながったと考えられるだろう。



■ワンダと巨像の開発者インタビューで感じた“新しい風”
左からローン・ラニング,海道賢仁,上田文人の各氏

 そして,D.I.C.E.サミット最後のセッションを飾ったのが,ソニー・コンピュータエンタテインメントで「ワンダと巨像」を成功させ,「ICO」に続きアメリカでも大きな評価を得た,上田文人氏海道賢仁氏の二人である。
 講義のタイトルは「Outside the Shadows: A Conversation with Creators of ICO and Shadow of Colossus」(影の外から:「ICO」と「ワンダと巨像」のクリエイターとの会話)で,Oddworldシリーズのモデレータとして,日本でも知る人ぞ知るLorne Lanning(ローン・ラニング)氏が,二人にさまざまな質問を浴びせる形式で進行した。ラニング氏は2001年のD.I.C.E.サミットにおいて,自分でプレイしたビデオ映像を使うなどしてICOのゲーム性を細かく解説しており,上田,海道両氏の作品のファンであり,良き理解者であるといえる。

 ラニング氏は,まず上田氏がリードデザイナー,ゲームディレクター,そしてアート・ディレクターという1人3役で,ICOやワンダと巨像を制作していたことを指摘。上田氏は,「確かに忙しかったですね。本当はもっとラクできるならいいのですが,人材にめぐり合わなかったので,仕方なく兼任していたのです」と答え,続けて多忙なときには2日に1度や3日に1度しか帰らなかったと説明する。
 海道氏は「彼が帰らないので,私も帰ることができませんでした。彼らが開発作業しているのに,私だけオフィスを出て行くことはできませんからね」と話を引き継ぐと,ラニング氏が「なかなかのプロデューサーだね」と賞賛し,同時に会場から拍手が沸き上がった。日本の開発現場では多々ある状況だと思われるが,このような連帯感ある職場はアメリカにはないのだろうかと,少し気になった。
 人材不足は深刻だったようで,ワンダと巨像の制作が始まるときにスタッフを募集したところ,集まった500人ほどのうち,雇用できるのは10人程度でしかなく,さらに上田氏の求めるクオリティを導き出せるのは2,3人程度だったという。結果,ICOの場合は20人,ワンダと巨像の最盛期でも35人程度と,大がかりに感じられる作品の割にはずいぶんと小規模な開発チームになっていた。両作品とも,4年という歳月が費やされている。



 ICOとワンダと巨像の開発チームがユニークなのは,開発を続けるうえでのインスピレーションを得るものとして,“CG映像のデモを用意することからすべてが始まる”ということだろう。そもそもICOのプロジェクトが始まったのも,ワープから移籍したばかりの上田氏が,アメリカ赴任前の吉田氏に「こんなゲームを作りたいんだ」と,後のイコやヨルダにつながるキャラクターが描かれた映像を見せたことが原点となった。
 「ゲームの企画をプレゼンテーションするうえで最も効果的だと思ったからムービーを作ったのではなく,私のバックグラウンドがCGアニメータで,ほかにやり方を知らなかったから作ったのです」と上田氏は説明するが,この,一人で4か月間PCの前に座って作り上げたという映像は会場でも流され,ラニング氏を含め多くの開発者達は,そのクオリティの高さに明らかに驚愕していた。
 ゲーム開発の経験がなかった上田氏に,吉田氏も当初は半信半疑だったらしいが,この映像を見て彼のビジョンを具現化できる人材として引き合わせたのが,海道氏なのである。この手法は,NICOプロジェクトとしてスタートしたワンダと巨像にも引き継がれたが,結果論として,ほかの“職人”達にとってもゲームのクオリティを映像デモにまで持っていく指針として機能したのは,いうまでもないだろう。

 ヨルダというキャラクターを“ヘルスゲージ”に見立てたICOと,巨像を“動くレベル”に見立てたワンダと巨像からは,何か新しいものに挑戦しようという意思が確認できる。映画では,よく「作家性」などという言葉で説明されるが,例えば,古くはヒッチコックや小津安二郎,最近でもタランティーノやピーター・ジャクソンなど,一目で誰が作ったのか分かるような映像を作り出す,強烈なビジョンを持った映画監督は多い。ICOとワンダと巨像の雰囲気が,まるで一つの世界で起こっていることのような共通性を持っているのも,上田氏がアートとゲームのディレクションを握っているからだと考えることができる。
 映画制作とは異なり,ゲーム開発の現場では目に見えて作品が仕上がってくる時間が長いために,ゲーム開発が膨張しはじめた3D世代の昨今では,作家性のにじみ出る作品は極めて少なくなったといってよい。制作方法や作風はまったく違うとはいえ,日本の上田/海道両氏と,アメリカのジャッフェ氏の作品には,「作家ゲーム」という新しい風を感じることができるのではないだろうか。

 今回のセッションで,ICOの主人公が本来なら悪の象徴である角を持っていることに関して,一つの論文を書き上げたいと話していたラニング氏。上田氏からは「ただカメラを引いたときに,プレイヤーキャラクターが確認できなくなるので目立たせただけで,真意はない」とあしらわれて会場の笑いも誘っていたが,海道氏もこぼしていたように,実際は実に「現実的」な現場でしかないのかもしれない。
 商業利益のための続編作りにはまったく興味のなさそうな素振りの二人は,次の挑戦にしか興味がないようだった。(奥谷海人)


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http://www.4gamer.net/news/history/2006.02/20060215235241detail.html