業界動向
Access Accepted第341回:開発者の心を支えるゲームジャム
「ゲームジャム」とは,プロ,アマ問わずに開発者達が一か所に集まり,限られた時間でゲームを作っていくというイベントだ。そんなゲームジャムが,ゲーム業界のアイデアの源泉としてだけでなく,ゲーム開発者の心の拠り所としても機能しつつある。今回は,そうしたゲームジャムの歴史を振り返りつつ,その意義について考えてみよう。
日本でも行われる「ゲームジャム」とは?
30時間という限られた時間でゲームを制作するというこの催しには,ゲーム開発者やアマチュアなど44人が参加したが,オンラインでつながった東京,北海道,福岡などの参加者を含めると,総勢120人に達したという。
東北の子供達が描いた絵と,「つながり」という言葉をテーマに,さまざまなゲームが作り出されたこのイベントは,2012年も開催される予定になっている。
「ゲームジャム」という言葉を始めて聞く人もいるかも知れないが,この形式のイベントは,2002年にアメリカで行われた。Microsoftやid Software,EA Maxisなどでゲーム開発に従事してきたプログラマー,クリス・ヘッカー(Chris Hecker)氏の提唱によって開催された0th Indie Game Jamが行われており,これが世界最初のゲームジャムと言われる。ヘッカー氏は2001年,「パブリッシャや市場の制約を受けず,自由なアイデアでゲームを作る実験」の必要性を訴えたマニフェスト「Dogma 2001」をGame Developers Conferenceで発表しており,これを実践したのがゲームジャムだったというわけだ。
最初のゲームジャムには,現在も業界を代表するショーン・バーネット(Sean Barnett)氏,ジョナサン・ブロウ(Jonathan Blow)氏,ダグ・チャーチ(Doug Church)氏など著名な開発者14人が集まり,「10000枚のスプライトを利用する」というテーマでゲームの制作が行われた。開発には,彼らがあらかじめ数週間かけて作ったゲームエンジンが使われたが,このイベントそのものが実験的なものであり,14人が作った14の作品はほとんど未完成だったという。ゲームジャムの経過と結果は2002年のGDCにおいて発表され,好評を以て受け入れられたが,この発表は,現在も,GDCで行われている「Experimental Gameplay Session」というセッションで続けれらている。
このゲームジャムの思想は,GDCの発表を聞いたIGDAのメンバーによってアメリカやヨーロッパに拡散し,規模は小さいながらも,目的を同じくするイベントが各地で開催されるようになっていった。ゲームジャムはまた,ゲーム開発の基盤が整っていない国や地域で,本来なら出会うことのない人々を出会わせ,ゲーム開発者やその予備軍のコミュニティ作りにも一役買っているという。
ちなみにヘッカー氏のマニフェスト,Dogma 2001は,「FPSや横スクロールのゲームは作らない」「ドラゴンやエルフ,兵士は登場させない」など,ゲームの定型を否定するきわめて厳しいものだったが,現在のゲームジャムでは,例えば「週末の48時間で,○○というテーマのゲームを作る」といった,より自由で緩やかなものになっており,そうしたハードルの低さが,インディーズゲームの開発者やアマチュアでも参加しやすい雰囲気を生み出している。
ゲームを作りへの情熱を再認識
定期的に行われる最大規模のゲームジャムといえば,2008年以来デンマークのコペンハーゲンで開催されている,Nordic Game Jamだろう。学生やアマチュアに加えて多数のプロも参加し,最近では著名なゲームクリエイターの講演会なども催されている。
2009年からはIGDAの呼びかけでGlobal Game Jamというイベントも始まり,ゲームジャムはより国際化,ボーダーレス化している。2012年1月に行われたGlobal Game Jamでは,日本を含めた世界47か国の242の場所で,総計10000人を超えるゲーム開発者が腕を競ったという。このときは,大蛇が自分の尾を食べる姿を模した古代ギリシャのシンボル,ウロボロス(Ouroboros)をテーマにした多種多様なゲームが生み出された。
筆者は,GDC 2012のレポート記事の一つで「Glitchhiker」というタイトルを取り上げているが,これは,2011年に行われたGlobal Game Jamの優秀作品で,GDC 2012では,このGlitchhikerを含む10作品の開発者が招待された。上記の記事でも書いたことだが,そのアイデアと仕上がりには驚かされた。
つい先日は,冗談のようなゲームジャムも行われている。2012年3月31日と4月1日に開催されたMolyJam 2012は,著名なゲーム開発者のピーター・モリニュー(Peter Molyneux)氏を語ったニセモノ「PeterMolydeuxNOT」が,2009年夏頃からTwitterに書き込み始めたクレイジーなアイデアが事の起こり。「もし,鏡にしか映らないモンスターが登場したら」とか,「ボスはなぜみんな巨体なんだ? アリぐらいの小さなボスじゃあダメなのか」といったアイデアを実際にゲームにしてしまおうというジャーナリストやゲーム開発者のジョークから始まったものだ(関連記事)。
「48時間以内」などの制限付きで完成させる必要はあるだけに,完成度は必ずしも高くないし,商業作品として通用するものもそれほどはない。しかし,腕やアイデアを競うとか,仲間同士の交流を広げるといったソーシャルな部分で,ゲームジャムが大きな役割を果たしていることは間違いないだろう。
最近,とくにインディーズゲームの開発者達の口から「ゲーム開発で壁に当たっていたとき,ゲームジャムに参加したことでヤル気をもらった」「ゲームジャムで,自分をリフレッシュできた」という言葉をよく聞くようになった。また,ゲームジャムで「愛」をテーマにゲームを作っているうちに,本当にカップルになってしまったという人もGDC 2012に参加していた。
ゲームジャムがゲーム開発者の間で広まり,規模を大きくしていった理由は数多くあるだろうが,技術的,実際的なメリットだけでなく,多くのゲーム開発者にとって「最初にゲームを作りたいと思ったときの情熱」を再認識させてくれる場であることは,とても大きな理由なのかもしれない。
著者紹介:奥谷海人
本誌海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,北米ゲーム業界に知り合いも多い。この「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年に連載が開始された,4Gamerで最も長く続く連載だ。バックナンバーを読むと,移り変わりの激しい欧米ゲーム業界の現状が良く理解できるだろう。
- この記事のURL:
キーワード