業界動向
Access Accepted第320回:ゲーマー的視点から見た,Appleとスティーブ・ジョブズ氏の歴史
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1996年にAppleに復帰して以来,iMacを初め,iPhoneやiPadを次々に成功させ,業績不振に陥っていた同社を時価総額で世界最大の企業に押し上げたスティーブ・ジョブズ氏が2011年10月5日,逝去した。56歳だった。35年にわたり,ハイテク,IT,さらにはアニメ業界にも大きな足跡を残してきたジョブズ氏であり,ゲーム産業にとってもさまざまな影響を与えてきた。今回は,そんなジョブズ氏とAppleの過去を,ゲーマー的な視点から振り返ってみよう。
デジタル革命の立役者とゲームの関係
北米時間の2011年10月5日,スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)氏がカリフォルニア州パロアルトの自宅で他界した。Appleの創業者の一人であり,コンピュータの分野だけでなく,携帯型デジタル音楽プレイヤーやスマートフォンなどで「Digital Revolution」と呼ばれる現象を引き起こしてきたカリスマ経営者の,56歳の若すぎる死だった。
筆者は仕事柄,長らくWindowsユーザーであり,Apple製品とはあまり縁がなかったが,2011年の初めに購入した「iPad 2」は,仕事から趣味まで,筆者のライフスタイルをたちまち一変させてしまった。やはり,ジョブズのビジョンには驚くべきものがあり,彼の功績と,世界におよぼした影響には敬意を表せざるを得ない。
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スティーブ・ジョブズ氏の経歴や人となりについては,さまざまなサイトで公開され,数多くの書籍が出版されている。ジョブズ氏の「一般的な」側面についてはそれらを参照していただくとして,当連載ではゲーマー視点から見たApple,そしてジョブズ氏について振り返ってみよう。「えっ,Appleとゲーム?」と思う読者も多いかも知れないが,かつては「Appleといえばゲーム」という時代が存在したのだ。それは,1977年,今から34年前にリリースされた「Apple II」がもたらしたものだった。
キレイにデザインされたキーボード付きのケースに収められたApple IIは,むき出しの基板だったり,不格好な四角い箱に収められていたパーソナルコンピュータがほとんどだった時代,画期的な製品だった。世界初のパーソナルコンピュータというわけではなかったが,スプレッドシート「VisiCalc」が利用できたほか,純正品やサードパーティによるフロッピーディスクドライブ,モデムなどが豊富に用意されたことで,大きな人気を獲得したのだ。
VisiCalcに代表されるように,Apple IIはあくまでもビジネス向けというスタンスであり,スティーブ・ジョブズ氏も,「ゲームはお飾り的なものでしかない」と語ったこともあった。しかし,Appleが好むと好まざるとに関わらず,Apple IIシリーズが,欧米ゲーム業界の基礎を作ったハードウェアの一つになったことに間違いはない。
「Ultima」シリーズでRPGジャンルに大きな影響を与えたリチャード・ギャリオット(Richard Garriott)氏の処女作となる「Akalabeth: World of Doom」(1980年)は,Apple II向けのタイトルであり,さらに,シリーズ屈指の名作として知られ,多くの機種に移植された「Ultima IV: Quest for the Avatar」(1985年)も,Apple IIがメインプラットフォームだった。
1981年にはカナダに本拠を置くSir-Tech Softwareから「Wizardry: Providing Grounds of the Mad Overload」がApple IIをメインターゲットとしてリリースされている。さらに,Muse Softwareは1982年,史上初のステルスアクションゲーム「Castle Wolfenstein」をApple II向けにリリースした。id Softwareが制作した「Wolfenstein 3D」は,この作品に刺激されて制作されたものだ。Wolfenstein 3Dから始まる流れが,こんにちのFPSというジャンルを作り上げたことは,いまさら言うまでもない。
ゲーム業界でキャリアの第一歩を踏み出したジョブズ氏
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1974年春,ATARIの玄関口に現れたジョブズ氏を面接したのは,「Pong」の生みの親,アル・アルコーン(Al Alcorn)氏だった。髪の毛がボザボザでシャワーも何日も浴びていない様子。しかも,面接だというのに裸足でやってきたジョブズ氏だったが,大学を中退したあと,しばらくHewlett-Packardでエンジニアをしていたと語ったため,アルコーン氏はジョブズ氏の格好には目をつぶり,採用することを決めた。
ATARIの創業者であるノーラン・ブッシュネル(Nolan Bushnell)氏はのちにジョブズ氏を,「ヒッピー文化に染まっていたが,テクノロジーに目を輝かせる,頭の回転が速そうな若造という印象」と語っている。
ATARIで夜間勤務の仕事を与えられたジョブズ氏の働きぶりはけっして誉められたものではなかったが,アーケード機の基板交換などはそれなりにこなしていたようだ。仕事を始めてからわずか半年ほどで,ジョブズ氏は「精神的な修行のためにインドに行く」と言い出してATARIを辞めてしまうのだが,数か月後に帰国したときにはすぐに同社に再就職ているので,ATARIのスタッフもジョブズ氏に好感情を持っていたのかも知れない。
とはいえ,ジョブズ氏が再就職した頃には,ATARIはアーケードゲーム機市場で次々と出てくるライバルメーカーに押され,かつての勢いを失いつつあった。
このときに設計されたのが新製品の「Breakout」だったが,内蔵されていたTTLと呼ばれる部品が多すぎて高価になり,商品化が難しかった。ジョブズ氏は,それらを合計で50個以下にするようブッシュネル氏に命じられ,なんと4日間で目標以下の46個にまで減らしてしまった。
あまりにも有名な話だが,ジョブズ氏はHewlett-Packardで知り合ったスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)氏を毎晩,オフィス招いてTTL減らしの仕事をさせていたのだ。ジョブズ氏はエンジニアとしての知識や経験はほとんど持っておらず,Hewlett-Packardで働いていたという経歴もせいぜいインターンシップ程度で,ウォズニアック氏の作業をテストする程度の作業しかできなかったらしい。
口八丁で就職したジョブズ氏と,電子部品をいじっているだけで楽しいオタク体質のウォズニアック氏。対照的な二人のスティーブは,このようにしてBreakoutを完成させ,ジョブズ氏は報酬として受け取った700ドルをウォズニアック氏と折半した。
ところが,実はジョブズ氏はボーナスとしてさらに5000ドルを手にしており,これを,実質的に開発を行ったウォズニアック氏には内緒のまま,懐にしまった。これまた,あまりにも有名なエピソードだ。
ジョブズ氏の優れた“仕事ぶり”は社内に知れわたったが,その頃,ジョブズ氏とウォズニアック氏が,自宅のガレージで試作していたのが「Apple I」だった。試作機を見せられたアルコーン氏も完成に手を貸したが,ゲーム専用ではなかったことから,ATARIは販売には興味を示さず,その代わりアルコーン氏は,知人のベンチャーキャピタリストをジョブズ氏に紹介した。かくして,ジョブズ氏は1976年4月1日にAppleを設立し,さらにチューンアップした名機,Apple IIを生み出すことになったのである。
米ゲーム業界の成長を促したApple II
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Apple IIは,ゲームの孵卵器として,さまざまなジャンルのタイトルを生み出してきた。例えば,Infocomが1980年に発売したテキストアドベンチャー「Zork: The Great Underground Empire」は,Ultima同様,RPGの歴史にその名を残す大人気作になった。
ケンとロベルタのウィリアムズ夫妻(Ken & Roberta Williams)が設立したOn-Line Systems(後のSierra On-Line/Vivendi Interactive)は,世界初のグラフィックス付きアドベンチャー「Mystery House」を1980年にリリースし,さらに1984年の作品,「King's Quest I: Quest for the Crown」では,ゲームとして初となるアニメーションを取り入れ,マウスで場所やアイコンをクリックする,“ポイント&クリック”のゲームシステムを完成させた。
1982年にシド・マイヤー氏らが立ち上げたMicroProseは,さほどApple IIに力を入れていなかったようだが,1985年にApple II向けに移植したフライトシミュレータ「F-15 Strike Eagle」は140万本のセールスを記録しており,さらに1980年代の名作の一つに数えられる「Sid Meier's Pirates!」は,1987年にCommodore 64向けのオリジナル版から移植され,こちらもヒットした。
1982年に設立されたElectronic Artsも,Appleと関わりの深いメーカーだ。創設者のトリップ・ホーキンス(Trip Hawkins)氏は,それまでAppleでマーケティング部門を率いていたが,スティーブ・ジョブズ氏がゲーム業界のサポートにあまり熱意を示さないことに業を煮やし,Apple在籍中にゲーム開発会社を設立。さらに,退職後にAppleからプロデューサーやプログラマーを引き抜き,ベンチャーキャピタルから資金を集め,とうとうElectronic Arts創業に至る。彼は,ハーバード大学に在学中,大学側と交渉して「ゲーム理論学部」を創設させたというエピソードを持つほどのゲームマニアだった。
創業期のElectronic ArtsにはApple IIをメインプラットフォームにしたゲームが多く,「Hard Hat Mack」や,初のデジタルピンボール「Pinball Construction Set」などが初期のヒット作として知られている。
リアルなグラフィックスを制作するために,当時としては珍しい5年もの開発期間をかけた「John Madden Football」は1988年にApple IIで発売され,Electronic Artsのドル箱ゲームとして現在まで続く,業界最長寿シリーズの一つとなった。
新たなゲームプラットフォームの誕生
このように,1980年代にはApple IIに向けた革新的なゲームソフトが次々に誕生していったが,トリップ・ホーキンス氏のエピソードからも分かるように,当時のジョブズ氏はゲーム産業を重視しておらず,1987年にIBM-PCが登場すると,主流はMS-DOSのゲームに移っていった。そして,1990年代に登場したWindows PCやDirectXなどによってコンシューマ機以外のゲーム市場は完全にPCが主導する形になり,ゲーム業界に対するAppleの影響力は完全に失われたのだ。
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1996年,Appleはバンダイ デジタル エンターテイメントと提携したゲーム専用機,「Pippin @」(ピピン アットマーク)を発売したが,「Microsoft Windows 95」ベースのPCに加え,セガサターン,PlayStation,ニンテンドー64などがひしめくゲーム市場には受け入れられず,全世界累計でわずか4万2000台しか出荷されなかったと言われるほどの大失敗になった。当時,迷走を続けていたAppleを象徴するようなPippin @は,1997年に製造を中止。ちなみに1996年にAppleに復帰したジョブズ氏は,その年,暫定CEOに就任している。
当時,Macプラットフォームで孤軍奮闘していたのがBungie Softwareだ。1994年,Macゲーマーの間で語り継がれる名作「Marathon」を発売した同社は,翌年「Marathon II: Durandal」を,そして2001年にはアクションゲーム「Oni」をリリース。MacゲーマーにとってBungie Softwareは頼もしいデベロッパであった。
そんなBungie Softwareが,2002年の発売が予定されていたコンシューマ機,Xbox向けタイトルを探していたMicrosoftスタッフの目にとまり,2000年に買収されてしまったのは,なんとも皮肉な話だろう。Bungie Softwareはやがてメガヒット作「Halo」を作り出すのだから,その感はさらに強くなる。
2001年,ジョブズ氏は「MacOS X」の発表のために,id Softwareのジョン・カーマック(John Carmack)氏をMacworld Conference & Expoに迎え,Mac版「DOOM 3」の紹介をしたが,ゲーマーにアピールするには至らなかった。
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そんな流れを変えたのが,2007年にリリースされた「iPhone」と「iPod Touch」,そして2010年に登場した「iPad」だ。これらのApple製品については,ここで詳しく説明することを避けるが,思いがけない,新たなプラットフォームとしてゲーム業界から熱い視線を集めているのも,ご存じのとおり。なんと,3億5000万本という超ヒットになったRovioの「Angry Birds」のように,新たな伝説が次々と生まれている。
現在のiOSを搭載した携帯機に向けたアプリのうち,23%がゲームだという。iPad以前のデータだが,2010年にはモバイルゲーム市場の34%を占めるなど,トップを走るNintendo DS(59%)に次ぐ存在だ。
スティーブ・ジョブズ氏は,ビジョナリーであり,カリスマであり,リーダーであったが,残念ながらゲーマーではなかった。しかし,彼のビジョンがゲーム業界に大きな影響を与え,業界のターニングポイントになったことは間違いない。筆者が聞いていたラジオの中で「スティーブは,トーマス・エジソンやヘンリー・フォードのように未来まで語り告がれる人物だ」という言葉があった。ゲーマーとしても私達は,スティーブ・ジョブズという名前を忘れることなく,同じ時代を生きていたことを記憶することになるのだろう。
著者紹介:奥谷海人
本誌海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,北米ゲーム業界に知り合いも多い。この「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年に連載が開始された,4Gamerで最も長く続く連載だ。バックナンバーを読むと,移り変わりの激しい欧米ゲーム業界の現状が良く理解できるはず。
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