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奥谷海人のAccess Accepted / 第205回:ハリウッドの歴史に学ぶゲーム産業の今後 その2
1920年代に「黄金期」を迎えたハリウッドの映画産業は,1929年に生じた世界恐慌を乗り越え,その後再び「黄金期」を迎えた。世界恐慌以上ともいわれる不況に見舞われている現在,その影響はゲーム産業にも現われている。大恐慌を経験済みであるハリウッドの歴史を紐解けば,なにかが見えてくるかもしれない。
ゲーム産業は,戦前の映画産業よりも遥かに早いスピードで進化しており,技術やジャンル,流通システムに至るまで,次々と新しいものが生まれている。ちなみに画像は,2007年に発売された「Portal」だ。アイデアが受けてヒットした本作だが,2009年中に発表されるというウワサの続編「Portal 2」も,成功するのだろうか
「第14回:ハリウッドの歴史に学ぶゲーム産業の今後」で紹介したように,1900年初頭に産声をあげたハリウッドの映画産業は,1929年10月に起きた株の大暴落に端を発する世界恐慌の影響を受けながらも,その後再び黄金期を迎えた。
現在は,世界恐慌以上ともいわれる不況に見舞われ,その影響はゲーム産業にも現われている。それは,スタジオ閉鎖や人員削減といったニュースが増えていることからも分かるだろう。
危機的状況を回避した経験があるハリウッドには,ゲーム産業が学ぶべきことが隠されているかもしれないし,ないかもしれない。まずは,世界恐慌前後の1920年代から1930年代のハリウッドの歴史を振り返ろう。
1920年代のハリウッドは,まさに革命的な時代を迎えており,映画に音声がつくようになったり,フィルムがカラー化されたりと,さまざまな新しい技術が取り込まれ,それまでになかった革新的な作品が次々と生まれたのだ。さらに,セルゲイ・エイゼンシュテインによって,視点の異なる複数のカットを組み合わせる「モンタージュ理論」がもたらされるなど,撮影技法も大きく発展した。
また,チャーリー・チャップリンやバスター・キートンに代表される,コメディ映画が増えたのも特徴だ。社会や政治を風刺したり,お色気要素の強いシーンを挿入したりと,当時としては,開放的で過激な作品が多く作られた。
大衆に娯楽として受け入れられたことで,巨大な劇場が各地に建設され,のちに5大メジャーと呼ばれる映画配給会社,MGM(Metro-Goldwyn-Mayer),Paramount Pictures,Warner Bros. Entertainment,Twentieth Century Fox Film,そしてRKO(Radio-Keith-Orpheum Radio Pictures Incorporated)の基礎が完成。1930年から1945年までに,5大メジャーによって7500本にもおよぶ映画が生み出された。
ちなみに,この7500本という数字には,スタジオの空き時間にBユニットと呼ばれる低予算映画専門のチームに施設を貸し出して作られた作品も含まれており,これが「B級映画」の語源である。
1930年代のアメリカでは,映画は5セントほどで鑑賞でき,前座のB級映画やニュースを含めて4時間ほどを,映画館内で過ごすのが一般的だったという。当時はまだテレビが普及しておらず,映画は大衆にとって一番のエンターテイメントだったのだ。そんな状況ではあったが,世界恐慌の影響は大きかった。失業者が急激に増えた1933年には,興行収入が40%近くも減り,5大メジャーは5億ドル(約450億円)という負債を抱えてしまったのだ。
そんな危機を迎えたハリウッドは,「世相に合わせたコンテンツの制作」と「自己改造」を行いつつ,じっと堪え忍んだ。
1930年代前半のハリウッド映画は,リアルな描写を増やし,世相を色濃く反映させた作品が多かった。一般的にエンターテイメントを楽しむ人々は,「現実からの逃避」を目的にしているといわれることが多いのだが,その逆をいったのだ。
例えば,1931年に公開された「犯罪王リコ」には,「生きるために罪を犯している自分達に,罪悪感を抱かせる説教を行っている」という理由で,教会の前で牧師を撃ち殺してしまうシーンがある。「民衆の敵」(1931年公開)では,主人公が貧困から家族を守るために,裏社会を自滅するまで突き進んでいく姿が描かれるなど,人々が理想とするような夢物語ではなく,民衆の思いを代弁するような映画が多く作られたのだ。
また,マルクス兄弟が主演した「我輩はカモである」(1933年)のように政治家達を風刺する作品や,「フランケンシュタイン」「キングコング」のように,異民族間での恋愛を連想させる映画も増えた。この頃に作られた映画の暴力表現,社会風刺,性描写などは,それまでのものになかったリアリズムがあり,当時としては過激だったのである。
しかし,その後のハリウッドは一気に保守化へ進む。その発端は,1933年にLegion of Decencyと呼ばれる宗教色が強い業界団体が結成されたことだ。その翌年からメジャー各社は,映画の内容から俳優達の私生活に至るまで規制し,同時に政界や宗教界への働きかけを盛んに行うようになった。そうした動きへの反発はあったが,遺産を巡るドタバタが描かれた「オペラハット」(1936年)のような人間味溢れる作品や,「風と共に去りぬ」(1939年)など,誰からも愛されるような作品を多く作り,娯楽の王様としての地位を不動のものとしたのである。
ハリウッドは,時代の流れに合わせて自らの体質を変え,作品の多様化を推し進めながら,じっと耐え続けたのだ。不況を乗り越えたというよりは,なんとか生き延びたという表現のほうが正しいだろう。
さて,もうお気づきかもしれないが,ゲームもまた,本格的にビジネスが始まってから約30年で,大不況を迎えているのである。ただの偶然といえばそれまでだが,映画もゲームも,技術革新の恩恵を受けながら,さまざまな作品が生み出されてきた娯楽だ。生まれた時代こそ異なるものの,発展の歴史には似ている部分も多い。
もちろん,世界恐慌の頃とは人々の価値観などがまったく異なるし,漫画/アニメ,テレビ,インターネットなど,娯楽の種類も圧倒的に増えている。今回紹介した映画を年代順に観て,ハリウッド映画の移り変わりを感じてみるのも面白いだろう。そのサバイバル術には,ゲーム業界が不況に立ち向かうためのヒントがあるかもしれない。
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