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「Spacewar」を作ったメンバーの一人,Alan Kotok氏,亡くなる
2006/06/06 23:41
Alan Kotok氏の死を伝える,W3Cのホームページ
 Alan Kotok氏がアメリカ時間5月26日,マサチューセッツの自宅で亡くなった。64歳だった。同氏はW3C(World Wide Web Consortium)のシステムチームのリーダーであり,またMIT(マサチューセッツ工科大学)サイトのマネージャーでもあった。
 なぜ,4Gamerで同氏の逝去を伝えるのかといえば,彼が伝説のコンピュータゲーム「Spacewar」を作った仲間の一人だからだ。SpacewarはDEC(1998年にCompaq Computerに買収される)が開発/販売して一世を風靡したミニコン(大型コンピュータより小さく安価)PDP-1上で,スティーブ・ラッセルら,MITの学生達によって作り上げられた。販売目的ではなく,「コンピュータではこんなこともできる」という遊びのために作られたゲームだったため諸説あるが,一般に1961年のこととされている。Kotok氏はのちにDECのエンジニアとして活躍する。
 普通,「世界初のコンピュータゲーム」として認められているのは,ニューヨーク州アップトンにあったブルックヘイブン国立研究所の研究者,ウィリー・ヒギンボーサム博士が制作した「Tennis for Two」(1958年)だ。これは,大型コンピュータ(とはいえ,性能は現在のプログラム電卓ほど)とオシロスコープの組み合わせで遊ぶもので,これを「ビデオゲームの祖先」と呼ぶのは,歴史的に正しいのだろうけどあまりピンとこない。
 対してSpacewarは,二人のプレイヤーが操作する宇宙船がミサイルを撃ち合うというコンセプトのゲームで,重力や慣性の計算までちゃんとしてあり,現在のゲームのイメージにかなり近い。もっとも,PDP-1は全部で50台ほどしか売れなかったので,「コンピュータゲームが人口に膾炙する」というわけにはいかなかった。
 そんなSpacewarに目をつけたのがノラン・ブッシュネルだ。ブッシュネルは,このSpacewarを商品化するためにノッチングという会社に入り,Spacewarをアーケード筐体「Computer Space」に仕上げた。彼はこの機械を会社の近くのバーに置いたが,結果として,Computer Spaceは酔っ払いには難しすぎ,まったく人気が出なかった。
 一計を案じたブッシュネルはノッチングを辞め,自分の会社“アタリ”を設立。このアタリが送り出したのが,史上初の大ヒットゲーム「Pong」であり,かくしてコンピュータでゲームをするという革新的なコンセプトがごく当たり前のことになっていくのである。
 余談だが,売れ残りのComputer Spaceは日本にも輸入されたようで,筆者は,もうほとんど記憶の霧の彼方ではあるが,どこかの温泉でそれを遊んだ覚えがある。いやもう,操縦は難しいし,ブラックホールがわけ分かんないわでもう……。

 Alan Kotok氏の名前は,それ以外にもステーィブン・レヴィーの歴史的名著「ハッカーズ」(原題 Hackers: Heroes of the Computer Revolution)などにも見ることができる。
 なお,Tennis for two,Spacewar,Computer Space,の実際の映像が「こちら」にあるので,興味のある人は見てほしい。ゲームの父祖達の一人の早すぎる死を悼み,同氏の冥福を祈りたい。(松本隆一)

PDP-1に作られたSpacewars(左)とゲーム画面(再現展示)

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http://www.4gamer.net/news/history/2006.06/20060606234109detail.html