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劇場版「名探偵コナン」の静野孔文監督が考える“アニメの監督”とは。その一風変わった経歴と作品への取り組みが語られた講演をレポート
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印刷2017/03/27 19:16

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劇場版「名探偵コナン」の静野孔文監督が考える“アニメの監督”とは。その一風変わった経歴と作品への取り組みが語られた講演をレポート

劇場版「名探偵コナン」の静野孔文監督が考える“アニメの監督”とは。その一風変わった経歴と作品への取り組みが語られた講演をレポート
 2017年3月25日,東京ビッグサイトで開催されたAnimeJapan 2017のセミナーステージにて,「アニメの『監督』について」と題された対談形式の講演が行われた。登壇したのは,2011年から劇場版「名探偵コナン」の監督を務める静野孔文氏だ。
 2016年公開の「名探偵コナン 純黒の悪夢」では興行収入63億円超という,劇場版「名探偵コナン」シリーズの最高成績を叩き出した静野監督。今回の講演ではその一風変わった経歴と,「監督」としての作品への取り組みが語られた。


「夢の中に生きていた」幼少時代


静野孔文監督
 最初は,静野監督が“アニメの監督”という仕事を得るまでの経歴が語られた。
 「小さい頃の思い出」を問われた静野監督の第一声は「中学2〜3年生くらいからのことしか覚えていない」。この発言自体はそれほど珍しいことではないが,小学生時代以前のことを覚えていない理由は「夢の中に生きていた」からだという。

 静野監督は幼少期,新宿歌舞伎町の近くに家があったため,当時はまだ営業していた「ミラノ座」で映画を見るのが「遊び」だった。映画やドラマを見ては,自分が作品の主役になりきったり,自分なりのストーリーを考えたりといった形で「物語の世界に生きていた」のである(ちなみに「インディ・ジョーンズ」の第1作に強い衝撃を受け,それからはインディ・ジョーンズになりきっている時間が長かったそうだ)。
 静野監督ののめり込み具合は相当なもので,物語の世界に浸るあまり,ほかの児童とほぼコミュニケーションを取らなかったため,心配した担任が静野監督の親を呼び出して面談が行われたことも。また,静野監督は「文字が読めない子供だった」そうで,必然的に学力で落ちこぼれ,そのあたりも面談で問題視されていたという。

 このように「一人でいる時間が長かった」静野監督も,中学生2年生頃になって「物心がついた」。学校でも友人を作るようになり,コミュニケーションも取るようになった結果,「記憶」ができていったというわけだ。ただ,「物心がついた」あとも一人でいることがまったく苦ではなかったため,担任には小学生時代と同様に心配されたという。静野監督曰く「26〜7歳くらいまで,それが普通じゃないということに気づかなかった」。
 ともあれ,幼少期に物語を見て「自分ならこうする」という形でストーリー作りを楽しみ続けてきた静野監督は「それを今では仕事としてやっている」と語る。担任に心配された一人遊びは,今の監督にとって役立っているのである。


家族の勧めでアメリカ留学


 高校に入学してからも,静野監督は我が道を進み続ける。
 高校生になると,家族に対して将来の夢を「ハリウッド映画の監督になりたい」と語った。そこで家族から「高校在学中にロサンゼルスの大学に留学しては?」と勧められると,それに従いアメリカ留学を果たす。勧めるほうも勧めるほうなら,行くほうも行くほうである。
 とはいえ,アメリカに留学したからといって,即座に現地で映画監督になれるわけがない。やがて監督は日本に帰国することになり,そのまま「親のすねをかじり続け」ていたが,26歳頃になって両親から「そろそろ,お前も働いたほうがいいんじゃないか」と言われたので,日本で映画監督を目指すことにしたという。

 その当時,日本映画はラブロマンスものが中心だった。静野監督が「ラブロマンスが嫌いというわけではないけれど,そればっかりでもつまらない」と感じていた矢先,監督はテレビ東京で放映されていたアニメに出会う。
 そのアニメの「タイトルも覚えていない」というが,静野監督は「アニメならば,実写では無理なすごい映像も作れる」「アニメならではの映像表現がある」「手で描けば何でも表現できる,アニメってすごい!」と感動。さっそくスポンサーとなっていた代々木アニメーション学院に電話して,「どうしたらアニメの監督になれますか?」と聞いた。
 これに対する代アニの返答は「ウチに入学して制作コースで勉強すれば,監督になれますよ」というものだったそうで,かくして翌年,静野監督は代々木アニメーション学院に入学する。

 代アニに入学した静野監督だが,講義に出てみると「これは違う」と感じたという。というのも,代アニの講義では,静野監督にしてみれば「これって監督の仕事なのか?」と疑いたくなることばかりを教えられたからだ。
 実際,当時の講義で教えられていたのは「絵を描く人にやる気を出してもらうための電話の掛け方」であったり,あるいは自分で絵を描くような実習が多かったという。そのため,静野監督はいつも教室の後ろのほうに座って,シナリオを書いたり,絵コンテを描いたりしていたそうだ。絵に描いたような不良学生である。


社会の洗礼を浴びて


 そんな若き(そろそろ若いとも言えない年齢だが)静野監督も代アニを出て,ついに社会で仕事を始めるようになった。だが,いざ社会人になってみると,戸惑うことばかりだったという。
 というのも,静野監督は「社会人としての口の聞き方も知らなければ,電話の作法も知らない若造」などというレベルではなく,「電車の乗り方や切符の買い方すら知らなかった」のである。「働くってこんなことなのか!」「社会に出るってこういうことなのか!」と,日々苦労が続いたそうだ。

 「そうは言ってもアメリカに留学していたのだから,電車くらいは乗ったことがあるのでは?」と思うだろう。実際,モデレーターもそこを突っ込んでいたが,アメリカでは「大学がホームステイ先を用意してくれて,行けばホストファミリーが世話をしてくれた」「アメリカでも大学には行かず,ラスベガスに行ったりしていた」らしい。
 何ともコメントし難い逸話だが,モデレーターの「ご家族に恵まれましたね」という発言には多くの聴講者が首肯していた。静野監督自身,その自覚はあるようで「今の僕がこの仕事をできているのも,信じてくれた親のおかげ」と語っている。

 ともあれ,社会人として小さなアニメ会社に入った静野監督だが,ここでも紆余曲折はあったという。だが,「これを話すと“アニメの監督とはどういう仕事か”を話す時間が少なくなる」ということで,この話は省略とあいなった。個人的には,ぜひ聞いてみたいところだ。

 さて,アニメ会社に入社してからアニメの監督となるまで,静野監督はたった2年でキャリアを駆け抜けている。これについては「自分が得意とすること,自分がやりたいことがハッキリしていた」と指摘した。「やりたいことがブレなかったので,監督になるのも早かった」というわけだ。
 「やりたいことが1つだから,夢をつかむのも早かった」と語る静野監督。このあと,その「夢をつかむ」までの凄まじさが語られるのだが,ひとまずはここまでがアニメの監督となるまでの履歴書ということになるだろう。


長期計画で作られる「劇場版コナン」


 では,アニメの監督とは実際にどのような仕事だろうか。静野監督は「作品によって工程はまったく違うけれど,『劇場版コナン』の場合」と前置きしつつ,その実際の流れを簡単に解説した。

 「劇場版コナン」の場合,プロデューサーの間で5年〜10年後までのプランが設計されているという。そこから逆算して,「じゃあ,来年はこういうことをしよう」というラフ案が決まるというわけだ。実際,静野監督が初めて劇場版コナンの監督を引き受けた際,石山桂一プロデューサーから「5年後に20周年を迎えたときに,こうしたい」と伝えられたという。
 そして,そのラフ案に対し,原作者である青山剛昌先生がアイデア出しを行う。静野監督曰く「青山先生は非常にアイデアが豊富で,また原作とのコラボなどについても次々とアイデアが出てくる」そうで,具体的なシナリオを固めていくにあたっても非常に助かっているという。
 ここまで進んだ状態で,あらためてシナリオライターと監督が協議しながら,映画全体の構造を作っていく。この作業工程について,静野監督は「僕はお題をもらって,それを映像化するだけ」「良い作品が完成する原動力としては,プロデューサーや原作者の働きが大きい」と語る。

 そのうえで,「海外のアニメ監督業と日本のアニメ監督業では,仕事の内容に大きな違いがある」と静野監督は指摘する。
 海外においてアニメを作る場合,まずはさまざまなセクションのプロフェッショナルに最高の仕事をしてもらい,監督は仕上がってきたものを選別し,抽出し,ジャッジをして,うまく組み合わせることで作品を作り上げていく。いわば全体を俯瞰する立場での仕事である。
 一方,日本におけるアニメの監督は,監督自身が手を動かすことがままあるという。ときには自分で絵を描いて,細部まで作り込んでいくこともある。それが日本のアニメ監督であり,海外のスタジオでアニメ制作を学んだ静野監督はこの違いに大いに驚いたそうだ。


「やりたいことが見つかったら一気」


 その経歴からも推測できるように,静野監督は特別に絵を学んできたわけではない(代アニではそういった講義の間,ずっとシナリオや絵コンテの「内職」をしていたそうだ)。そのため,「劇場版コナン」の監督を引き受けたとき,「じゃあ,絵を描いてください」と言われて戸惑ったという。「どうやって絵を描けばいいのか」という課題にぶつかったのだ。

 だが,似たような状況は過去にもあったという。
 GONZOを中心として手描きとCGアニメーションのミックスが流行し始めていた頃,静野監督は「CGを使えば,自分でもすぐにアニメの監督になれるのではないか?」と閃いた。そして,それまでほとんどPCに触れたことがなかったというが,PCと3Dソフトを一気に購入。1週間ほどでその使い方を学ぶと,翌週には「自分があらゆる作業を全部やる」ことを前提とした3DCGアニメの企画書を会社に提出。それを見た上司は「本当にお前が全部やれるんだったら,やってみろ」ということで企画にGOサインが出て,かくして静野監督は初めて「アニメの監督」となったのである。

 「劇場版コナン」で絵を描くことが求められたときも,一気に絵の勉強をして,絵が描けるようになったという。今ではパースやレンズ効果の難しい場面の作画をしたり,爆発で飛び散る瓦礫や各種エフェクトを描き込んだり,ときには画面レイアウトを切ったりと,監督が感じる「作画的に弱くなりがちなシーン」を自ら補強しているそうだ。
 2016年公開の「純黒の悪夢」ではオスプレイから撃たれたマシンガンの射撃によって,観覧車のネオンサインが次々に割れていく描写があるが,このシーンの破壊効果は監督自身が手がけたものだという。
 事実上,ゼロからスタートして,極めて短時間のうちにプロとしての技術を身につけてしまった静野監督。その姿勢について,「やりたいことが見つかったら一気」にやってしまうところがあると語り,聴講者を感服させていた。



「ありえない」を「ありえる」ように描く


 「劇場版コナン」の監督を務めるにあたっては,もう1つ大きな苦労があったという。それはシナリオだ。

 シナリオの方向性そのもの(「ミステリ色が強め」「ラブストーリーにする」など)は,プロデューサーから示されるので問題はない。2017年4月公開予定の「名探偵コナン から紅の恋歌」では,シナリオを担当する大倉崇裕氏が「とても素晴らしい脚本を作ってくれた」という。
 しかしながら,「から紅の恋歌」の場合,書き上がったシナリオが量的に膨大だった(過去最大の長さだったそうだ)。そのため,いかにしてこの物語を映画の尺に収めるのか,という問題が発生する。これに加えて,アニメだから得意な表現もあれば,アニメでは難しい表現もあるので,シナリオの良さを最大限に活かすにあたっての取捨選択はとても困難だったという。

 また,そもそも「名探偵コナン」は漫画原作からして台詞が多めである。さらに現代が舞台であり,実在する場所や物を使って物語が進行していくため,SF作品などと比べて作中で「嘘をつける範囲」が狭いのだ。
 しかも,そんな難しい制約がありつつも,「現実ではありえないような爆発事件」が起こったりする。この「ありえない」を「ありえるように見える」にして,作品へと組み込んでいくのは大いに苦労するという。



「一人で作ることには飽きた」


 講演の終盤,「アニメの監督とはどんな仕事なのか」とあらためて問われた静野監督はその多様性を指摘する。
 監督自身は「アニメの監督」と呼ばれているが,「アニメだけにこだわっていない」。実写映画の監督としてのオファーもあり,ゲームのオープニング動画も作り,VRコンテンツも作り,ハリウッド映画のCMを作ることもあり,パチンコの画面を作ることもある。CGメインの作品もあれば,「劇場版コナン」のように手描き作品を手がけることもある。
 また,海外のスタジオと日本のスタジオでは仕事のスタイルが違う,という多様性もある。

 ここにおいて重要になるのは,これらすべての作業工程が違っていることを理解し,作品の個性がどのようなものかを理解し,各メディアの住み分けと強みを活かす。そして,さまざまな現場の流儀に柔軟に合わせ,自分がどのような映像表現を目指し,最後にどういうフィルムになるかを考えることだという。

 この高度な柔軟性を指して,静野監督は「子供時代の逆」と語る。「物語の世界を自分一人で作る」ことに耽溺してきた監督が「もう一人で作ることには飽きた」というのだ。今ではむしろ,「才能あるスタッフの力を借りて作品を作っていく」ことに喜びと楽しみを感じており,多人数で作品を完成させる仕事だからこそ,「柔軟性は監督という仕事にとって必須」と語る。

 最後に静野監督は「アニメの監督という仕事を,僕はやりたくてやっているし,とても楽しんでいる。だからもし,あなたがアニメ業界に入りたい,あるいは監督をやりたいと思うなら,『やったほうがいい』と言いたい。面白くて,楽しくて,お勧めの仕事です」と語った。
 アニメの監督という仕事は,静野監督にとって「楽しいことだけ,やりたいことだけをやっている仕事」であり,「遊びの延長線上に今の仕事がある」のだ。だからこそ,「仕事を楽しんでほしい。楽しめば時間を忘れて没頭できるし,作品が完成したら嬉しいし,とにかくいいことしかない」という発言は,独特の説得力を感じさせるものだった。

劇場版「名探偵コナン から紅の恋歌(ラブレター)」公式サイト

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