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鉄拳プロプレイヤー,弦選手インタビュー。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴を聴いた
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印刷2022/03/12 12:00

インタビュー

鉄拳プロプレイヤー,弦選手インタビュー。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴を聴いた

 鉄拳プロシーンの最前線で活躍する弦選手。その競技シーンを追いかけていた人なら,弦選手が2021年のMVPだったことに異論を唱えることはないだろう。事実,その活躍ぶりを評価され,New York Game Awardsにおいて,年間ベストeスポーツプレイヤーに贈られる「Joltin' Joe Award」を受賞している。

画像集#001のサムネイル/鉄拳プロプレイヤー,弦選手インタビュー。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴を聴いた

 小学生のときに鉄拳を始め,若干13歳にして当時の最高段位である「鉄拳神」に到達した弦選手だが,そのルーツはあまり語られていない。今回4Gamerは,弦選手に時間をいただきインタビューをする機会を得た。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴やプロゲーマーとしての活動など,気になる質問をぶつけてきたのでぜひ読み進めてほしい。

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弦少年と鉄拳の出会い


4Gamer:
 本日はよろしくお願いします。まずはじめに弦選手と鉄拳の出会いについて教えてください。

弦選手:
 両親がゲームセンター好きで,小さい頃からよく遊びに連れていってもらっていたんです。ある日店内を歩いていたら「鉄拳6」の筐体が目に入って,画面はデモ画面だったんですが,デビル仁ががビームを撃っていたんですね。それが幼い自分にはすごくかっこよく見えて,遊んでみたい! って両親にねだったんですよ。

画像集#002のサムネイル/鉄拳プロプレイヤー,弦選手インタビュー。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴を聴いた

4Gamer:
 それは何歳くらいのときでしょうか。

弦選手:
 小学校1年生のときです。

4Gamer:
 まさにビームに惹かれる年齢ですね。そこから鉄拳に少しずつのめり込んでいったと思うのですが,対戦ゲームとして真剣にプレイするようになったのはいつ頃でしたか。

弦選手:
 子供にとっては1クレジットの50円,100円ってすごく大切じゃないですか。だから当時からすごく必死ではありましたよ(笑)。ただ,真剣にプレイを始めたのは鉄拳のICカードを使って段位戦をするようになってからです。

4Gamer:
 当時はICカードに個人の情報が記録される時代でした。

弦選手:
 最初はカードに500円も払うなら,そのお金を対戦に使ったほうがいいと思っていたんですが,周りの強い人はみんなICカードを使って段位戦をしていたんです。ちょっとした憧れのようなものはありましたね。

 でも実は最初に使いだしたICカードはお父さんのものでした。登録されていたキャラがレオだったんですが,あまり勝てなかったのかICカードをゴミ箱に捨てちゃったんですね。それをこっそり拾って,そこからカードを使って段位戦をするようになりました(笑)。

4Gamer:
 そう言われてみると弦選手は昔レオを使っていましたが,ルーツはそこからだったんですか。

弦選手:
 実はそうなんです(笑)。段位戦をやるようになってからは,お父さんのサポートなどもあっていろいろな人と対戦するようになりました。そこから本格的に鉄拳にハマっていきましたね。

4Gamer:
 鉄拳でICカードを使ってプレイしている小学生ってかなり珍しいと思うんですが,周りのプレイヤーはどんな反応をしていましたか。

弦選手:
 小学生が鉄拳を真剣にやっていることが珍しいということもあったと思うんですが,周りの人はみんなすごく優しかったです。ただ,やっぱり相手が大人なので,自分から積極的に話しかけることは少なかったです。

 鉄拳遊んでいるのって,ちょっとやんちゃっぽい人が多いじゃないですか(笑)。だからコンボルートなどの攻略も聞きたかったんですけどなかなか聞けなくて,その人がプレイしている後ろから手の動きを見て,あとで真似をしていましたね。

4Gamer:
 弦選手がプレイしていたゲームセンターは,強い人が集まる場所だったんでしょうか。

弦選手:
 鉄拳と出会ったゲームセンターはメダルゲーム中心で,鉄拳の筐体は1セットしかなかったんですよ。でもある日,常連の人が「近くの違うゲームセンターのほうが筐体も多いし,強い人もたくさんいるよ」って教えてくれたんです。

 そのゲームセンターには今でも活躍している,ちりちりさんやぶっぱめんさん,たいせいさんら,福岡のトッププレイヤーがいまして,それから強い人と交流を持つようになりました。

4Gamer:
 格闘ゲームの攻略って小学生にはかなり複雑でわかりにくいと思うんですが,そのあたりは当時から理解していたんでしょうか。

弦選手:
 正直,話を聞いても全然わかってなかったです(笑)。中学生になるくらいまではフレームのことも全然知らなくて,すべて感覚でプレイしてました。

4Gamer:
 そもそも小学生が対戦が盛んなゲームセンターで遊ぶこと自体,けっこう怖いんじゃないかと思うんですが,そのあたりは大丈夫でしたか。

弦選手:
 最初の頃はお父さんが一緒にきて,後ろから見てくれていました。でもお父さんは鉄拳に関してはスパルタ教育で,対戦相手の人に「子供だからって手加減しなくていいから,ボコボコにしてやってくれ」とか言ってたんですよ(笑)。

4Gamer:
 すごい教育方針ですね(笑)。

弦選手:
 自分は最初のうちは投げ抜けが全然できなかったんですが,お父さんは自分の対戦相手に「あいつは抜けができないから,投げで倒せる」とか伝えるわけです(笑)。だから,遊びに行ってもその日,1回も勝てずに帰るなんてことも日常茶飯事でした。

4Gamer:
 弦選手が負け続けているときに,お父さんからは何か言われましたか。

弦選手:
 負け方にもよるんですけど,同じ技を食らって負け続けたりしたときは,「同じ技を食らいすぎ」みたいなことを言われましたね。家に帰ってからも「家庭用で何時まで鉄拳の練習しなさい」って言われたり。

4Gamer:
 「何時まで勉強しなさい」と言われるのはよくある話ですが,「鉄拳を練習しなさい」と言われる話は聞いたことがないです(笑)。ちなみに,そのときの弦選手は,お父さんより強くなっていたんでしょうか。

弦選手:
 遥かに強かったですよ(笑)。でもお父さんは試合を分析するのがうまくて,よく自分にアドバイスをくれました。アドバイスを聞いて納得することも多くて,今でも感謝していますね。

4Gamer:
 お父さんが理解があったのはよくわかりましたが,お母さんからは何か言われなかったのでしょうか。

弦選手:
 もちろん「勉強や宿題はしなさい」とは言われていたんですけど,ゲームをすることに釘を刺されることはなかったです。お母さんもゲームセンターで遊ぶ人なので,ゲームに対する偏見はなかったんじゃないかと思います。

4Gamer:
 毎日ボコボコにされていたとのことですが,弦選手が当時勝てなかった人たちといい勝負ができるようになってきたのはいつ頃でしょうか。

弦選手:
 少しずつ勝てる相手が増えていって,小学校4,5年生くらいのときは,けっこう強い人に勝てるようになっていました。13歳のときには段位も鉄拳覇皇まで上がって,そのゲームセンターの中で一番高い段位になってました。

4Gamer:
 そのときの使用キャラはレオのままでしたか。

弦選手:
 そのときはボブですね。レオであまり勝てなくなってきたときに,たいせいさんから「ボブが合ってるはずだから使ってみては?」と言われて使ってみたんですが,そこから信じられないスピードで段位が上がっていきました。

EVO Japan 2020より
画像集#010のサムネイル/鉄拳プロプレイヤー,弦選手インタビュー。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴を聴いた

4Gamer:
 弦選手が短期間でそこまで強くなれた理由はどこにあったと分析していますか。弦選手は周囲から反応が速いとも言われていますが。

弦選手:
 確かに反応の速さは当時からよく言われていましたね。知識や経験ではどうしてもベテランの人に敵わないので,反応速度や反撃の精度で勝負をしようと,その部分を重点的に練習したのがよかったのかなと。とくに相手の空振りに反撃を叩き込む,「スカし確定」の速さは当時からズバ抜けていたと思います。

4Gamer:
 フィジカル部分の練習を重点的に行っていたんですね。例えば,下段攻撃を見てからガードする練習などもしていたのでしょうか。

弦選手:
 もちろん練習しました。一般的に23フレームくらいの下段攻撃(平八の影生門,ギガースのエンドミルなど)を見てからガードできる人は反応がいいって言われると思うんですけど,自分は21フレームくらいまでの下段攻撃ならだいたいガードできます。

4Gamer:
 21フレームというと,ラースの水面(シャドウカッター)などでしょうか。

弦選手:
 ラースの水面は余裕でガードできますね。

4Gamer:
 フェンの蒼蛇落襲は発生20フレームですが,このあたりはどうでしょう。

弦選手:
 あの技は少しガードしづらいんですけど,8割くらいの確率でガードできます。

4Gamer:
 下段攻撃のガード率は,鉄拳ではかなりの武器になりますよね。とくにラースの水面は立ち回りの生命線となる技なので,ラース使いは弦選手に苦労していそうです。

弦選手:
 ラースにはほとんど負けたことがないですね。段位戦の相手がラースのときはめちゃくちゃうれしいです(笑)。


EVO2014へ出場。初の海外大会で準優勝という快挙を達成


4Gamer:
 若くして実力を付けていった弦選手ですが,2014年にはラスベガスで開催された「EVO」に出場し,「鉄拳タッグトーナメント2」部門で準優勝という結果を残しました。そもそもEVOはどういった経緯で参加することを決めたのでしょうか。

弦選手:
 Twitchさんと鉄拳コミュティのTEKKENMURA,そして鉄拳大会のMASTERCUPのコラボ企画としてEVOに行かないか? という話が舞い込んできたんです。当時,自分はEVO自体知らなかったし,海外大会にも参加したことがなかったんですが,調べてみるとすごく権威のある大会ということがわかりまして,ありがたくお話を受けさせていただきました。グランドファイナルの相手は韓国のJDCR選手だったんですが,惜しくも敗れてしまい,すごく悔しかったことを覚えています。

EVO2014より
画像集#003のサムネイル/鉄拳プロプレイヤー,弦選手インタビュー。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴を聴いた
画像集#004のサムネイル/鉄拳プロプレイヤー,弦選手インタビュー。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴を聴いた

4Gamer:
 この結果をきっかけに,心境などは何か変わりましたか。

弦選手:
 世界規模の大会で結果を残せたことが自信につながりました。ただ,うれしいという感情よりも,悔しい気持ちの方が勝っていたんですよ。だから,もっと上を目指してがんばっていこうという気持ちになりました。

4Gamer:
 弦選手は2018年頃,大学受験に専念するため,鉄拳シーンから1年ほど身を引いていました。eスポーツが盛り上がりを見せている時期で,歯がゆい気持ちもあったと思うんですがいかがでしたか。

弦選手:
 当時,よく鉄拳やるのを我慢してたなって思いますね(笑)。大会の動画などは見ていたんですが,自分の知っている人たちが活躍していて,正直羨ましかったですね。

4Gamer:
 大学合格直後,海外の名門プロゲーミングチーム「Team Liquid」に加入するという衝撃的な発表がありました。これはどういった経緯があったのでしょうか。

弦選手:
 実は高校2年生のときにTeam Liquidからチームに入らないかって誘われていたんです。EVO2014の活躍を覚えていて,声をかけてくれたみたいです。そのときはTeam Liquidも知らなかったんですが,調べてみるとすごいチームで驚きました(笑)。

 ただ,そのときちょうど大学を目指していたこともあり,「光栄なんですが,鉄拳を1年間やらないと決めているので活動できません」と断ったんです。そうしたら,「大学に受かるまで待っているよ」って言われまして……。

4Gamer:
 それはすごい話ですね。

弦選手:
 大学受験も終わって無事志望校に合格したあとは,すぐにTeam Liquidから連絡がありまして,チームに入れていただくことになりました。

4Gamer:
 そんな背景があったんですね。ただ,プロ1年目は1年間のブランクもあり,なかなか思うような結果を残せなかった時期だったのではないでしょうか。

弦選手:
 海外大会にもよく参加していたんですが,あまり結果を残せず,チームの人に申し訳ない気持ちが強かったですね。精神的にかなりきつい時期が続いていました。チームからはブランクがあるからしょうがないといった言葉を掛けてもらっていましたが,その優しさもむしろプレッシャーになってしまって……。

 ただ振り返ると,あの1年は本当にいい経験になったなって感じています。世界中に遠征して,いろいろなプレイヤーと対戦できましたし,自分を支えてくれたTeam Liquidには本当に感謝しています。


パキスタン勢の台頭と衝撃


4Gamer:
 弦選手が鉄拳を休止している年に,鉄拳界ではパキスタンの超新星,Arslan Ash選手が登場し,激震が走っていました。この出来事は,当時の弦選手にとってもやはり衝撃的だったのでしょうか。

※当時,ほぼ無名に近かったArslan Ash選手は,福岡で開催された「EVO Japan 2019」において,世界トップレベルの選手であるKnee選手,Chanel選手,LowHigh選手,Book選手,チクリン選手といったそうそうたる面子をなぎ倒して優勝。突如として現れたAsh選手の強さに誰もが驚いたが,優勝インタビューでは「パキスタンにはまだまだ強いプレイヤーがたくさんいる」と発言し,世界中の鉄拳プレイヤーに衝撃を与えた。

弦選手:
 当時受験シーズンで鉄拳はプレイしていませんでしたが,地元が福岡ということもあり,「EVO Japan 2019」の会場には自分もいたんですよ。そこでまったく知らないAsh選手が活躍していて,すごく衝撃を受けましたね。

4Gamer:
 当時プレイしていなかったとのことですが,Ash選手と実際に対戦してみたいとは思いましたか。

弦選手:
 もちろんです。でも当時の実力では,対戦したら絶対勝てないだろうなとも思っていました。

4Gamer:
 その後,Ash選手との対戦は実現しましたか。

弦選手:
 鉄拳に復帰してから半年後くらいに,Ash選手がRedBull中野のオフライン大会に参加するために東京にきたんですよ。自分はまだ当時福岡にいたんですが,Ash選手がいるならということで東京に向かいました。大会決勝でAsh選手と当たったんですが,そのときはまったく歯が立たずボコボコにされてしまいましたね。

 それから数か月後に,もう一度Ash選手とガッツリ対戦する機会があったんですけど,そのときもまったく勝てなかったです。ガードが固いうえに,反応も早いしで,考えられるほぼ完璧に近い内容の鉄拳をする選手だと思っています。

Arslan Ash選手
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2021年にDONUTS USGに加入。東京での生活が始まる


4Gamer:
 2021年にTeam Liquidとの契約を終了し,新たなプロゲーミングチーム「DONUTS USG」に加入しました。大学を自主退学し,東京での生活がスタートするなど,さまざまな決断があったと思いますが,当時の心境を詳しく聞かせてください。

弦選手:
 Team Liquid時代は,大学生活とプロゲーマーの活動を並行して行っていたんですが,結果的にどちらも中途半端な状態になってしまっていました。そんなどっちつかずの状態を続けていくのも嫌だったので,最終的に鉄拳の道を選んだんです。専業プロとして活動していくのは決して簡単なことではないと思うんですけど,そのために必要なさまざまな条件を提示してくれたのがDONUTS USGだったんです。

4Gamer:
 大学を辞めて東京で一人暮らしを始めるということに対して,両親の反応はいかがでしたか。

弦選手:
 実は両親になかなかそのことを打ち明けられなくて,大学を辞める3日前に伝えたんです。母親からはすごく怒られましたね。

4Gamer:
 お父さんはどうでしたか。

弦選手:
 それがすごく不思議と言いますか,ちょっと変わっていて,「じゃあこれからはもっと鉄拳ができるな」といった感じの反応でした(笑)。

4Gamer:
 子ども時代からそうですが,お父さんは鉄拳を続けることに対して,すごく理解があるように感じます。ちなみに東京に移り住んで何か変わったことはありましたか。

弦選手:
 東京に移り住んだ理由の1つとして,オフラインでの練習環境が豊富というものがありまして,当時はチームメイトのRangchu選手やpinya選手と集まって対戦会を開いていました。ただ,現在は新型コロナウイルスの影響もあり,機会は減ってしまっています。また元通りの環境になってくれればいいんですが……。

画像集#006のサムネイル/鉄拳プロプレイヤー,弦選手インタビュー。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴を聴いた

4Gamer:
 弦選手は,2021年11月に開催されたRed Bull Kumiteに出場し,見事優勝という結果を残しました。この時の心境はいかがでしたか。

弦選手:
 いろいろな人から祝福の言葉をいただきましたし,本当にうれしかったですね。実は海外大会で優勝したのも初めてだったんです。これまで大会で1度も勝てたことのなかったAnakin選手にもリベンジできて,最高の大会になりました。

 唯一の心残りは,参加予定だったAsh選手が参加できなかったことです。今の自分の実力がどれくらい通用するのか確かめたかったので,次はAsh選手を倒して優勝という結果を残したいですね。

4Gamer:
 そして直近の大型大会となった「TOPANGA LEAGUE x TEKKEN7 シーズン5」でも見事優勝を果たしました。これまでに弦選手は5回TOPANGAリーグに参加し,そのうちの3回も優勝という結果を収めています。国内ではもはや敵無しという結果にも見えますが,どのように感じていますか。

弦選手:
 いや,まったくそんなことはないですね。TOPANGAリーグでの勝利もスコアで見ると7-6や7-5の接戦が多く,まったく油断できない選手ばかりだと思っています。通常の大会であれば2本か3本先取で行われることが多く,まだまだ実力を磨いていかないといけません。

4Gamer:
 近年の活躍は驚異的と言ってもいいと思いますが,それにはどのような理由があると分析していますか。

弦選手:
 大学を辞めたことでプレイ時間が単純に増えたのと,使用キャラクターのバリエーションを増やしていったことが大きいのかなと思います。キャラクターを増やしたきっかけがTOPANGAリーグで,7本先取というふつうの大会にないルールだから,負けたときに原因がハッキリ見えるんですよ。そのおかげで,使用キャラそのものについても見直せました。

 大会で結果を残せるようになってからは,自分のプレイに自信が持てるようになりましたし,メンタル的にもどういった気持ちで臨めばいいのかわかるようになって,その結果また勝つことができる,といういい循環ができていると感じています。それが今の好調につながっているのだと思いますね。

TOPANGA LEAGUE x TEKKEN7 シーズン3より
画像集#008のサムネイル/鉄拳プロプレイヤー,弦選手インタビュー。九州の神童と呼ばれた少年時代から,現在に至るまでの鉄拳歴を聴いた

4Gamer:
 2021年はさまざまな鉄拳プレイヤーが「弦選手の年だった」と話しています。2022年,弦選手はどんな年にしたいですか。

弦選手:
 できる限り大会に出続けて,これまで以上にいい結果を残していきたいですね。また,Discordで若手の鉄拳プレイヤーを育てる活動もしているので,そこで育った若手たちをどんどん大会に参加させていきたいなと思っています。

4Gamer:
 具体的にはどのような活動を行っているのでしょうか。

弦選手:
 Discordのサーバーに初級者から中級者まで現在150人くらいが参加しているんですが,講習会を開いたりとか,メンバー同士での対戦会を頻繁に行ったりしています。

4Gamer:
 かつての弦選手のような,若くして活躍する選手の登場にも期待がかかりますね。では,最後にファンや4Gamerの読者に対して,メッセージをお願いします。

弦選手:
 現在,新型コロナウイルスの影響で大規模なオフライン大会の開催が難しくなっていますが,開催される大会にはできる限り参加したいと思っています。いつも皆さんの声援が励みになっています。今後も応援のほどよろしくお願いします。

4Gamer:
 弦選手のさらなる活躍に期待しております。本日はありがとうございました。

――2022年2月17日収録

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