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【Jerry Chu】「才能のムダ遣い」に満ちた「FINAL FANTASY XV」
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印刷2017/06/12 12:00

連載

【Jerry Chu】「才能のムダ遣い」に満ちた「FINAL FANTASY XV」

Jerry Chu /  香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー

Jerry Chu「ゲームを知る掘る語る」

Twitter:@akemi_cyan


「才能のムダ遣い」に満ちた「FINAL FANTASY XV」


 これは「FINAL FANTASY XV」PlayStation 4 / Xbox One)の本編をクリアすると開放されるコンテンツの話である。ストーリーに関するネタバレはないが,クリア後の隠しダンジョンに言及しているので注意してほしい

 「FINAL FANTASY XV」の本編をクリア後,とあるクエストを達成すると主人公の車・レガリアは空を飛べるようになり,高レベルのモンスターが潜む未踏のエリアにたどり着ける。周囲に岩しかない殺風景な場所だが,その奥には謎の四角い建物がそびえている。これが「プティウォス遺跡」と呼ばれる隠しダンジョンだ。

 プティウォス遺跡はモンスターと戦闘するダンジョンではなく,「Tomb Raider」シリーズや「Uncharted」シリーズを思わせる3Dプラットフォーマーになっている。本編を知る人からすれば,実に奇妙に映るだろう。
 狭い足場から足場へと飛び移り,ギミックを作動させることで道を切り開く。そんな「謎解きダンジョン」である。一部のプレイヤーには「マリオダンジョン」とも呼ばれているようだ。

照明と色彩を欠いた無骨なダンジョンである
FINAL FANTASY XV

 「FINAL FANTASY XV」のセールスポイントと言えば,仲間同士の絆,強敵との戦闘,広大な世界,雄壮なBGMなど。だが,プティウォス遺跡にはこうしたRPGの魅力が感じられない。
 敵が出てこないので戦闘は発生しない。ダンジョンには主人公しか入れないので,仲間とのやりとりもない。BGMやカットシーンといった演出も皆無。薄暗い地下室の中で,淡々とパズルを解いていくだけだ。

細い足場には補正がなく,少しでも進行方向を間違えると下に落ちる……
FINAL FANTASY XV

 しかも,このダンジョンは難度が非常に高い。「Uncharted」シリーズではプレイヤーが足場を踏み外しても,主人公が自動的に足場の端を掴んでぶら下がるので,多少のミスを気にしなくてもいい。
 だが,「FINAL FANTASY XV」には「ぶら下がる」というアクションはなく,足場を飛び移る際は的確に着地しないと容赦なく落ちる。さらに高い場所から飛び降りると,主人公は地面を転がる。そのため,狙った場所に着地するのはことさら困難である。

白く光るオブジェクトが唯一の手かがりとなる
FINAL FANTASY XV

 そればかりか,ダンジョンの構造も非常に入り組んでいる。ただでさえ複雑な構造なのに,動く壁とギミックによって変化し続ける。ヒントはないし,照明が少ないので,そもそもどこに向かえばいいのかすら分からない。理不尽とも思えるほどにシビアだ。

動く壁やトラップが主人公の行く手を阻む
FINAL FANTASY XV

 繰り返しになるが,プティウォス遺跡には美麗なビジュアルや仲間との連携,血が滾る戦闘といった「FINAL FANTASY XV」らしい魅力が皆無である。本格的なRPGである「FINAL FANTASY XV」のコンテンツとして,プラットフォーマーのダンジョンが存在するのは場違いではないだろうか。

 「FINAL FANTASY XV」の長所を活用しないレベルデザイン。プレイヤーをイライラさせるシビアな難度。「これを作って誰が喜ぶというのか」と問いたくなったが,それと同時に溢れんばかりの遊び心を感じ取った


愚かしいことに打ち込むのは楽しさの本質


 「FINAL FANTASY XV」をプレイしているとき,Ian Bogost氏の新刊「Play Anything: The Pleasure of Limits, the Uses of Boredom, and the Secret of Games」を読んでいた。ゲームデザイナー兼学者である氏が,「楽しさ」と「遊び」の本質をさまざまな視点から迫っている。

 「テレビを見て楽しかった」とか「友達と出かけて楽しかった」とか,我々はふだん「楽しい」という言葉を漠然と使ってきた。しかし,「楽しさ」というものを定義することは難しい。
 そこで,Ian Bogost氏は「たとえ愚かしいことにも真剣に取り込む。その中にこそ,楽しさが生まれる」と「fun(楽しさ)」に対する独自の解釈を講じた。
 筆者の「FINAL FANTASY XV」観に影響を与えた1冊なので,この場を借りて本書の論点を要約したい。



 制限があってこそ,ゲームは楽しくなる。サッカーは「手を使うことなく,ボールをゴールまで運ぶ」というルールをプレイヤーに課す。「テトリス」では「降り注ぐブロックを次々と並べる」というルールをプレイヤーに強いる。
 このようなルールは一見,理不尽なものに思えるだろう。だが,その愚かしいルールを真摯に受け入れ,その制限内で知恵を絞ることによって,初めて感じられる楽しさがある。
 親に連れられてデパートを歩くのは楽しくないかもしれないが,「フロアタイルの隙間を踏まないで歩く」というルールを自らに課すと,歩くことが途端に楽しくなる。つまらないことから逃げるだけでは,楽しさは生まれない。現実を受け入れ,自己に制限をかけることが楽しさへの近道である。

 制限を設けることは,時として創作の一助になる。詩人は定められた韻律と行数,文字数などに従って詩を書かなければならない。「ぺちゃくちゃ(PechaKucha)」と呼ばれるプレゼンテーションの形式では,20枚のスライドを1枚あたり20秒だけで講演を行う。与えられた食材だけを使って,料理の腕を競うコンテスト番組もある。
 このような巧みに設定された制限は創作意欲を刺激し,クリエイターに創意工夫を促す。

 毎年,「International Obfuscated C Code Contest」というプログラミングのコンテストが行われている。「C言語で最も難読なコードを書こう」という常識を反したコンテストだ。
 参加作品のうちで特筆すべきものは,1990年にBrian Westley氏が提出した作品だ。コード自体は喧嘩しているカップルの間に交わされた手紙に読めるが,コンピュータプログラムとしても機能する。プログラムとフィクションを両立したこの作品は,C言語に隠された可能性を示してくれる。

 文学の分野において,読者が演劇や小説をフィクションであることを忘れ,登場人物に感情移入する現象を「不信の停止(Suspension of disbelief)」と呼ぶ。これにちなんで,Ian Bogost氏は「楽しさは不信の停止よりも,愚昧の停止(Suspension of folly)を求める」と主張する。
 つまり,「今の自分は愚かしいことを行っている」という自覚を捨てて,愚かしいことに当たり前のように打ち込むことが楽しさにつながるというわけだ。
 手を使わずにボールを運ぶのは愚行。わざわざ難読なコードを書くのは無益。しかし,そんな愚かしいルールを真摯に受け止めて,工夫を凝らす。その過程で我々は物事に隠された可能性を発見して,楽しさを感じる。


プティウォス遺跡は,まさに才能のムダ遣い


 Ian Bogost氏が主張する「愚昧の停止」を日本語に言い換えると,「才能のムダ遣い」に近いのではないだろうか。
 アニメやゲームの映像と音声を編集して,パロディ動画(いわゆるMAD動画)を作る。ボーカロイドの歌をアレンジした歌ってみる。受け手が瞠目するほどの職人技を持ちながら,こうした「無益」な制作に費やす人がいる。当人の真剣さと作品自体のバカバカしさ,そのギャップに我々は滑稽さを感じつつ称賛を送る。

 「FINAL FANTASY XV」の隠しダンジョンは,まさに「才能のムダ遣い」だと思う。「FINAL FANTASY XV」のゲームエンジンでプラットフォーマーダンジョンを作ること自体,C言語で手紙を書くことと同じくらいにバカげた話だ。
 だが,こうした突飛なアイデアに真正面から取り組んでいる。当然,筆者はプティウォス遺跡がどのような経緯で立案され,どのように制作されたのかを知らない。しかし,そこに張り巡らされたギミックからは,開発陣の職人らしい執着心がしっかりと読み取れる。


本筋から外れたものにも真剣に打ち込む


 思えば,「FINAL FANTASY XV」に見られる「才能のムダ遣い」はそれだけではない。
 主人公一行がキャンプで作る料理のCGモデルは,ボスキャラクターをも上回るほどの精密さを誇る。Eater.comのインタビューにおいて,本作のアートディレクター 長谷川朋広氏は「おいしそうに見える料理のCGモデルを作るために,スタッフはキャンプで料理を作ってみた」と語っている。
 「それはゲームの面白さに関係ないのでは?」と思うかもしれないが,真剣にアウトドア料理を作っているスタッフの姿を見ると,感服せずにはいられない。

「そんなに作り込む必要があるのか」というほど,つぶさに描き込まれた料理のCGモデル
FINAL FANTASY XV

 また,主人公の仲間であるプロンプトは旅の途中,自撮りや記念写真を勝手に撮ってくれる。今年のGDCでも紹介されたとおり,この自動撮影機能を実現するために独自のAIシステムが築かれたという(参考映像)。
 撮影するタイミングからカメラの位置や角度,被写体のリアクション,写真にかかるフィルタリングまで,すべてがAIによって緻密に計算されている。「AIに写真を撮ってもらう」という他愛ないアイデアに対しても,プロの名に恥じぬ技術力が発揮されているのだ。

 「プラットフォーマーダンジョン」「リアルな料理」「自動撮影機能」といったものは,おそらくRPGファンが作品に求めているものではないだろう。それにもかかわらず,全身全霊で取り組む姿勢は,Ian Bogost氏の言う「愚昧の停止」を思わせる。
 「RPG」という制約のもとに,ゲームデザイナーやアーティスト,プログラマーが意匠を凝らして,それぞれに良質なコンテンツを作り上げた。そこからはRPGの新しい可能性が垣間見える。

 「FINAL FANTASY XV」のゲームエンジンでプラットフォーマーが作られたことには,驚きしかない。「リアルな料理」と「自動撮影機能」も最初はおまけのように思えるが,ゲームを進めていくうちに「このゲームに必要不可欠な要素だ」と気づいた。
 「FINAL FANTASY XV」の冒険は,仲間と繰り広げるロードトリップだ。料理と写真はロードトリップに彩りを与える。キャンプで身体を休め,今夜の料理を楽しみにしながら,冒険の一日を写真と共に振り返る。この感覚はほかのRPGで味わえない。

 つまらない現実でも趣向を凝らして,物事に新しい可能性を見出す。これが,Ian Bogost氏が語る楽しさの本質だ。
 「FINAL FANTASY XV」はRPGの様式を保ちながら,「3Dプラットフォーマー」と「ロードトリップ」というRPGの新たな可能性を発掘してくれた。これはまさに,Ian Bogost氏の思想の具現ではないだろうか。
 「才能のムダ遣い」を貫いた「FINAL FANTASY XV」には,唯一無二の自由奔放さが感じられる。


主食より副菜が目立つ


 もちろん,「こんなものを作る余裕があるなら,本編の制作に力を注いだほうが良かったのでは?」という意見もあるだろう。
 確かに,本編のストーリーやサブクエストには粗がある。物語の展開が唐突すぎると感じたこともある。発売後の無料アップデートでストーリーを補完しているものの,「発売日に購入したファンをβテスター扱いするのか」という不満も目にした。

 だが,その溢れんばかりの遊び心を知ってしまうと,どうしても筆者には非難できない。サイドディッシュのインパクトが強すぎて,メインディッシュの欠点を忘れてしまったようなものだ。
 決して完璧なRPGではないが,飛び抜けた遊び心がこれでもかと詰まっている。「FINAL FANTASY XV」とはそんな怪作だ。

■■Jerry Chu■■
香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー。中学の頃は「真・三國無双」や「デビルメイクライ」などをやり込み,最近は主に洋ゲーをプレイしている。なるべく商業論を避け,文化的な視点からゲームを論じていきたい。
  • 関連タイトル:

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