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【ドロッセルマイヤーズ渡辺】「FINAL FANTASY XV」と,RPGが語れる唯一の“物語”
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印刷2017/08/12 14:00

連載

【ドロッセルマイヤーズ渡辺】「FINAL FANTASY XV」と,RPGが語れる唯一の“物語”

渡辺範明 / 遊びと創作ボードゲームの店「ドロッセルマイヤーズ」代表

ドロッセルマイヤーズ渡辺の ゲームボーズ

Twitter:@Drosselmeyers_


 リチャード・リンクレイター監督作品「6才のボクが,大人になるまで。」という映画をご存知だろうか。ある男の子の成長を,6才から18才までの12年間かけ,リアルに撮影したものすごい映画だ。ドキュメント映画でもなく,完全な劇映画(フィクション)なのだが,現実に成長していく子役俳優達と老化していく大人俳優達,それぞれの肉体の経年変化がドラマにもたらす圧倒的な説得力。その実在感が作品の魅力になっている。その中に,こんなシーンがある。

 大学の寮に入るため息子が実家をでていく日。息子はこれから暮らすルームメイトへの期待と大学のシステムへの批判を語りながら,荷物の整理をしている。それまで普通に相槌をうっていたのに,不意に泣き出す母親。「どうしたの?」とたずねる息子。「覚悟はしていたけど,あなた浮かれすぎよ」「浮かれてなんかないよ。どうしろっていうの?」「あっけない人生だったわ。あとは私の葬式があるだけ!」

 この母親に共感し,ほろっときてしまうのは親の視点。この母親めんどくせーな,と思うのが子供の視点だろう。ちなみにリアルに二人の子持ちでもある僕は,観るたび涙してしまう。まさに親の心子知らず。親から子供への愛情は,だいたいいつも一方通行なものなのだ。

「6才のボクが,大人になるまで。」 (C) 2014 Boyhood Inc./IFC Productions, L.L.C. All Rights Reserved.

 「FINAL FANTASY XV」PS4 / Xbox One)(以下,FFXV)も,ルシス王国の王子ノクティスが,父親であるルシス王に見送られ旅に出るシーンで始まる。「大事な友人たちに迷惑をかけないように」「未来の奥方に失礼のないように」「途中で投げ出すことは許されない」「気をつけていくんだぞ」。こういう父の言葉を,ノクティスは「んなこと わざわざ(言いに来なくていい)」と軽くあしらうが,実はこれこそルシス王の遺言であったことが,後に分かる。この旅立ちのすぐあと,敵国の謀略により王は殺され,国は占領されてしまうのだ。ノクティスの旅は,気楽な婚前旅行から次代の王として祖国を救うための冒険の旅に意味を変える。

 僕はこのゲームをプレイ中,ずっと「親の視点」でノクティスを見ていた。自分自身が子持ちのおっさんであるという個人的事情によるところもあるが,このオープニング演出に,そう促されたとも言えるだろう。さらに,FFXVには「KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV」という,ゲームの発売に先行して劇場公開された映画版がある。これがまさに,ルシス王を始めとする「大人達」の視点で描かれるFFXVの前日譚なのだ。これを観てからゲーム本編をプレイすると,映画版における大人達の決死の戦いをよそに,ゲームのノクティス達はけっこうのんき&楽しそうにキャンプやドライブを満喫しているように感じられて……親の心子知らず,という一方通行気分はよりいっそう高まる。そうした,なかなか伝わらない親の気持ちをよそに,ノクティスは少しずつ,勝手に成長していく。その過程に,僕はまたほろっときてしまう。



“物語”の器としてのゲーム


 ゲームと“物語”の関係性について,ありがちな誤解が一つある。それはゲームが,小説や映画やマンガのように,“おおむね”この世に存在するどんな“物語”でも語ることのできる,汎用性をもった物語メディアだ,という誤解だ。とくにFFXVのようなRPG(ロールプレイングゲーム)はその誤解が強いジャンルで,ほぼ共通したゲームシステムでも,新しい物語を載せかえることで新作ゲームとして成立するという商品特性が,このようなイメージを成立させてきた。実際,小説のページをめくるように,一種の読み物としてRPGを消費するプレイヤーは多く,その楽しみ方は何も間違っていない。しかしながら,これまで多くのRPGを遊んできたプレイヤーほど,それらの作品が語る“物語”には,一定の「限界」があることに気づいているのではないだろうか。

 僕には昔から,「一つのゲームシステムは,原理的には一つの“物語”しか語ることができない」という持論がある。ゲームシステムはさまざまな物語を互換できる「“物語”の器」ではない。むしろとても不自由なメディアだと思っているのだ。

 例えばFPS(ファーストパーソンシューター)もまた,多くの作品群を擁する巨大ジャンルではあるが,大まかにはどれも「銃で障害を排除する」物語であることに変わりはない。「宇宙を舞台にした異星人との戦い」「第二次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦」「ラスベガスにおけるテロ鎮圧作戦」とバラエティは豊かだが,それらはあくまで表層にすぎない。
 同様に,マリオシリーズに代表されるプラットフォームアクションでは,「体技によって障害を突破し,ゴールにたどり着く」という物語が語られる。主人公がマリオでもヨッシーでもカービィでも大筋は変わらず,何のためにどこを目指すのか? というディテールの違いがあるのみである。
 なら,「かまいたちの夜」「STEINS;GATE」のようなノベルゲームは? RPGやFPSより自由度が高いのは確かだが,おおむね,「運命の選択と結果」についての物語に集約されると言っていいのではないだろうか。「ひぐらしのなく頃に」シリーズのようにシナリオ分岐のないものですらそうなので,やはりジャンル共通のテーマというものが強く感じられる。

 このように,一つのゲームシステムには,それが必然的に語らざるをえない,一つの“物語”がある。ゲームシステムが概ね同じであれば,語られる物語も大筋で同じになり,細かなシステムの差異が,ニュアンスの違いとしてやはり物語に反映される。
 もちろん,これはあくまで原理原則なので例外もたくさんあるのだが,あえてそのゲームシステム固有の「一つの“物語”」を逸脱するシナリオを語ろうとする場合,それ相応の工夫を伴わないと,単にちぐはぐな表現になってしまったりする。

 では,このような考え方でRPGをみた場合に,「RPGというゲームシステムが語ることのできる,ただ一つの“物語”」とは何だろうか。



RPGとは「旅と成長の物語」


 RPGが語ることのできる“物語”とは,いわば「旅と成長の物語」だ。旅は冒険と言い換えてもいい。ここでいう旅とは,非日常,未知,困難へと飛び込む冒険的行為のことだからだ。

1. 敵を倒す。クエストを達成する。
  ↓
2. 経験値,金銭,アイテムなどを得る。
  ↓
3. レベルアップや買い物により自身が強化される。
  ↓
4. 新たなマップに移動し,より高難度な敵やクエストを攻略する。

(以下2〜4繰り返し)

 上に示したのは,RPGというジャンルにおおむね共通する,ゲームシステムのフォーマットだ。この一種の経済サイクルこそが,まさに「旅という新たな経験によって自分自身が成長し,さらに新たな旅におもむく」という物語そのものを形作っている。

 シナリオ上で語られる友情や恋愛,復讐,裏切りといったドラマは,このゲームシステムによって生み出される「旅と成長」の物語を修飾し方向付ける,味付けのようなものだ。「誰が」「なぜ」「どんな」旅をするのか? あるいは,このゲームにおける「成長」とは何なのか。
 FFXVでいえば,「ノクティスという未熟な王子が」「祖国を救うため」「仲間たちと大学生みたいなノリの旅をする」という修飾がなされ,そしてこのゲームにおける成長とは「ノクティスが王=大人になること」と説明される。このシナリオとシステムの相補関係こそが,RPGの醍醐味である。



旅立つ息子が,大人になるまで


 ほかに適切な表現が見つからず「大学生みたいなノリの旅」と書いたが,おそらくFFXVが好きでない人の大半は,ノクティスの,あの独特な若者っぽさについていけないのではないかと思う。分かる。僕も最初はそうだった。あいつ,祖国の命運がかかった旅なのに,すぐ「だりー」「めんどくせー」とか言うし……やたら自己愛は強いし,他人への感謝は足りないし,ほんとファンタジーRPGの主人公としては画期的に生々しい「未熟な若者」なのだ。あのファッションや髪型もめっちゃ気になる。ゲーム開始前の僕は,しきりに「ダウンロードコンテンツとして1000円課金してもいいから,あいつの髪をバリカンで坊主にしたい」と言っていた。

 しかし,そんなノクティスも,前述のオープニングを経て「親の視点」でみてみるとどうだろう? たしかに未熟ではあるけれど,二十歳の頃の自分もそんな感じ……いや,もっとひどくはなかったか? しかもノクティスはこれまで王都インソムニアからほとんど出たことがない,筋金入りの箱入りである。二十歳になってからの,遅すぎる&壮大すぎる「はじめてのおつかい」がこの旅なのだ。しかもその途中で父親は死亡。実家は崩壊。どこにも帰ることができなくなり,亡国の王子として追われる身に。そんな同情すべき状況なのに,一般市民に「チョコボが行方不明になっちゃって」「今日入荷する予定の野菜が届かない」とか言われたら探しに行ってしまう。未熟だけどいい奴なんだよな……。


 むしろ,そんな未熟なノクティスだからこそ,仲間との旅を通じ,少しずつ大人になっていく姿が感動的だ。しかもシナリオ上の成長(人格面の成熟)とゲームシステム上の成長(パラメータの強化)が同じ「王としてふさわしい人間になること」を目指しているため,シナリオとゲームシステム,二つのレイヤーから一つの成長物語が表現されている。
 こう説明すると理屈っぽく聞こえるかもしれないが,要するに一つ一つの戦闘に「ノクティス,なんだかんだ言って今日もがんばってんな……」と思い入れることができるのだ。ここが一致していないRPGでは,戦闘がシナリオの進行を遅延させるための単なる時間稼ぎになってしまう。

 すべてのRPGは「旅と成長の物語」である。その旅から多くを学び,自らの糧にできる存在こそが若者であり,旅を通じた成長をもっとも体現できるのが若者だ。だからFFXVは,こんなにも恥ずかしい「青春ロードムービー」として演出されている。過剰なほどに作り込まれた料理描写も,キャンプ描写も,釣りのミニゲームも,ドライブの風景も,AI制御によって個性あるふるまいをする仲間キャラクターも,すべてが一つのコンセプトに沿って機能している。だから主人公は,未熟なら未熟なほどいい。それでいて時おり見せる愛嬌があり,心の根っこには応援したくなる善良さがある。ゆえにノクティスは理想的な主人公だし,FFXVは傑作RPGだと思う。ぱっと見はすごく変なゲームなんだけど。

 そして大人は,青春ロードムービーが永遠には続かないことを知っている。ありがちな表現だが「終わりがあるからこそ,かけがえのない時間」というやつだ。そういうものを僕は息子ノクティスを通じ,追体験した。ノクティスに課せられた運命は実際のところ過酷なものであり,彼は不憫な青年だったが,きっと不幸ではなかったはずだ。

 そう思うのは,親のひいき目だろうか。


■■渡辺範明■■
ドロッセルマイヤー商會代表取締役。創作ボードゲームと雑貨をあつかうネットショップ「ドロッセルマイヤーズ」を経営するかたわら,アナログゲームを中心にさまざまなタイトルを手がけるゲームデザイナー&プロデューサー。現在は「ドラクエXI」(PS4版)にどハマり中。先月は遅ればせながら「ライフ イズ ストレンジ」にも手を出し,すっかりスクエニ漬けの生活を送っている。

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