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[TAF2012]アニメ評論家の氷川竜介氏が社会の変化とアニメビジネスの因果関係をひもとく。TAF2012シンポジウム「アニメビジネスの50年」レポート
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印刷2012/03/24 19:08

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[TAF2012]アニメ評論家の氷川竜介氏が社会の変化とアニメビジネスの因果関係をひもとく。TAF2012シンポジウム「アニメビジネスの50年」レポート

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 2012年3月22日,東京ビッグサイトにて開催された「東京国際アニメフェア2012」にて,シンポジウム「アニメビジネスの50年」が催された。

 このシンポジウムのプレゼンターは,日本動画協会データベースワーキング 座長/ビデオマーケット 取締役の増田弘道氏と,アニメ・特撮評論家の氷川竜介氏。内容は,日本で初めての30分テレビアニメとなった「鉄腕アトム」の放映開始(1963年)から,現在に至るまでの約50年間のアニメビジネスの歴史を,両氏が社会の変化を交えて振り返るというもの。


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増田弘道氏
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氷川竜介氏

 なお,氷川氏はこのシンポジウムの前提として,テレビアニメを成立させたのは「鉄腕アトム」であるとしたが,アニメビジネスの起こりを語るうえでは,1958年の映画「白蛇伝」(東映アニメーション)まで振り返る必要があると話した。

 鉄腕アトムは確かに毎週30分というテレビアニメの形を推し進めたが,それは手塚治虫という1人の天才の独力によって作り上げられたものでは決してない。ましてや,偶然生まれたものでもない。そこには白蛇伝が確立した年1本という前提としてのアニメビジネス,そして1945年の敗戦から立ち直ろうと息づく日本の世相が深く関係しているというのが,氷川氏の主張だ。

シンポジウムでは,まず前提として分析目標やアニメ業界の現状データが紹介された
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・1960年代

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 高度経済成長期のまっただ中であった1960年代は,町の景観がそれこそ月替わりで都市化していくような時代だった。急速に進む工業化は都心での人的リソースの必要性を産み,若い世代がその働き手として上京した。親元を離れ,林立した団地などに住まう若い夫婦達は,新たな家族の形として核家族化が進み,家族の絆を繋ぐ装置として,同時に子守役として,テレビが浸透していったのだ。

 1964年には首都高速道路の完成,東海道新幹線の開通といったインフラの整備によって,生活のスピードが大きく上昇する。さらに,東京オリンピックが開催されたことで,言うなれば世の中はイケイケムードになった。

 こういった時期に,テレビを通してお茶の間へと届けられた未来志向のSFアニメ,鉄腕アトムは,時勢にぴったりとはまり,人々に“科学の進化がもたらす明るい未来への展望”といった,ある種の共感覚を引き起こした。このある種の共感覚こそが鉄腕アトムの人気を裏打ちしていると氷川氏は語る。


・1970年代

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 しかし,1970年代に入ると,世代闘争やベトナム戦争,大規模な公害といった要因により,“未来が必ずしも明るいわけではない”というムードが世の中に漂い始める。それまでアニメのスポンサーを積極的に務めていた大手企業のイメージも“公害などをもたらす社会悪の根源”へと変わっていく。そうした価値観の変化は,テレビアニメの内容にも影響した。具体的には,主人公が戦う敵が単なるチンピラやギャングから,階級や掟の存在する大きな組織へと変化していったのである。

 こういった風向きの変化から,大手企業はテレビアニメのスポンサーから離れていってしまうのだが,アニメ業界は特撮業界が得意としていた怪獣やメカの要素を取り入れて,時代(ビジネスモデル)の変化に対応していく。そのことを決定づけたのは,1972年の「マジンガーZ」だ。ロボットアニメジャンルを確立させたこのタイトルは,関連玩具の“超合金”も大ヒットさせ,玩具メーカーがテレビアニメのスポンサーになるという流れをも生み出した。

 やがて1975年には,原作を持たず玩具メーカー主導によって企画されたオリジナルアニメ「勇者ライディーン」の放映が開始され,ここから1979年の「機動戦士ガンダム」につながる,“玩具を売るためにアニメを作る”というビジネスモデルが,確固たるものになっていったと,氷川氏は説明する。


・1980年から1990年代

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 1980年代に入ると,ソニーの携帯音楽再生機「WALKMAN」シリーズの登場に代表されるように,社会はコンテンツを個人で楽しむ“パーソナル化”の時代に入っていく。時を同じくして,ビデオデッキやファミコンが登場・普及し,テレビも家族全員で一緒に放送を見るというだけでなく,個人がディスプレイとして使う機会も増えていった。

 その一方でアニメも,アニメ専門誌やオリジナルビデオアニメタイトルの登場により,より専門的・分析的に鑑賞されるようになっていく。これはアニメというコンテンツ力そのものの増強へとつながり,“作品そのものの魅力”で勝負するような作品が生まれる要因となった。こうした流れの中で,OVAに代表されるような,アニメそのもののパッケージ販売だけで収益を得られるハイクオリティなタイトルが登場してくるのである。

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 アニメのハイクオリティ化は1990年代に入ってもなお続いた。氷川氏も,1995年の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」を,“セルアニメ”の技術の頂点と表現する。
 また,この時代は深夜アニメが隆盛した時代でもあった。「ああっ女神さまっ」のような,クオリティといわゆる“萌え”を共存させた原点のようなタイトルも多数生まれた。もちろん,この流れの中での,ビジネス的な成功例としての「新世紀エヴァンゲリオン」も忘れてはならない。

 これは余談だが,氷川氏は1990年代の作品と現在のデジタルアニメは,技術的な意味では別のものとして捉えているようだ。現在の作品とは比べることができないため,GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊などを“セルアニメ”の頂点と評したのである。


・2000年代

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 2000年代,ハイクオリティ化が進んだアニメは,パーソナル化の時勢とも相まって,“テレビありき”からやや脱却していく。インターネットインフラの整備により,アニメの送り手と受け手の双方に“デジタル化”という新たなパラダイムが訪れたことで,この流れはさらに加速した。

 自宅のテレビで鑑賞するものだったアニメは,PCやスマートフォンさえあれば場所を選ばずに観られるようになり,ブロードバンド回線の普及は,アニメの高画質のデータを手軽かつ即座に入手できる環境をもたらした。

 ちなみに,新海 誠監督が独力で作り上げたという約30分のアニメ「ほしのこえ」に代表される,いわゆるインディーズアニメの台頭もこの時勢を反映したものであると氷川氏は説明する。ほしのこえはプロとアマチュアで“ツールの差”がなくなったこと,そしてそれ以上に,アニメ制作を“集団作業から解放”したという意味で,重要な作品であるという。

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 そして今,こうした流れの中,アニメビジネスはまた従来のパッケージ販売では対応しきれない新しい局面を迎えているというのが,次の5年なり10年なりを見据えたときに,考えなくてはいけないことである。

 講演の最後に,氷川氏と共に歴史を振り返った増田氏は,「テレビは,20世紀に最も発展したメディア。それとともにあった日本のアニメビジネスが50年を迎え,枠組みが変わりつつある。そうした問題意識で,次の50年を考えていきたい」と述べた。

 また,氷川氏は「メディアの変化に合わせてアニメ自体の物語やキャラクターが変化し,その作られ方も変わっていくべき」と話し,今後はゲーム的マルチエンディング性を持ったアニメや,バージョンアップといった試み,そして新たなビジネスモデルが生まれるのではないかと予測し,シンポジウムを締めくくった。

 なお,このシンポジウムのベースとなったのは,氷川氏が自身の雑誌連載に加筆修正を施して同人誌として刊行している評論集「アニメビジネス48年の軌跡」である。

 氷川氏は,この評論集の中で,時代ごとに生じた社会環境の変化とそれに伴うアニメのパラダイムシフトに関して,あまりにも検証と考察が乏しいと指摘し,よく言われる“日本のアニメ産業の衰退”を防ぐには,過去に起きた事象と変化の連鎖を科学的に分析することが必要だと述べている。そうすることで未来を予測できるというわけだが,その考え方は,同じコンテンツ産業であるゲームにも同様に適用できる可能性が高い。本稿に興味を持った人は機会があれば目を通してみるのもよいかもしれない。

日本動画協会公式サイト

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