― 特集 ―

「東方」制作者インタビュー「シューティングの方法論」第3回

Interview and text by 八重垣那智

 商業タイトルが数えるほどしかない「PC専用シューティング」というジャンルに向け,同人という立場から,定期的かつ精力的に,完成度の高い新作を発表し続けているZUN氏。そんな氏に,シューティングの本質と,そこに流れる思想を語ってもらいつつ,PCにおける(FPS以外の)シューティングの将来を模索する本特集は,第1回第2回と進み,ついに最終回を迎えることとなった。

 今回は,ある程度話題が東方から離れることも覚悟のうえで,シューティングというジャンルに携わる制作者の立場から見えるものについて,聞いていきたい。また同時に,その先にあるものが何なのかも,ZUN氏の発言から考えていくことにしよう。

ZONE D(DEVELOPER)

■制作者から見るプレイヤーの姿

4Gamer:
 ここからは,少し抽象的に,ゲーム開発者としての考え方を聞いていきたいと思います。
 一般論として,シューティングには始めるまでのハードルが高い印象があります。シューティングをより広い層にプレイしてもらうために,制作者として何か取り組んでいることはありますか?

ZUN氏(以下ZUN):
 難しいですねぇ(笑)。
 ほら,シューティングをやらない人にシューティングをやらせようとすると,返ってくる第一声はまず間違いなく「難しくてできないよ」じゃないですか。
 あれはね,できないんじゃない。難しくてできないんじゃなくて,「やりたくない」んです。そのシューティングに魅力を感じてないんですよ。
 でも「これどう?」「面白いよ?」って言ってくれた人に「面白くないよ」「やりたくないよ」と言ったら角が立つ。だから「難しくてできないよ」って言うんですね。それはきっと,優しさとかそういうものなんでしょうけど。

4Gamer:
 ああ,それは世のシューターのほぼ全員が味わった経験じゃないでしょうか。

ZUN:
 しかし,それを真に受けて「そうか,難しくてできないなら,やさしければやるんだ!」という感覚はマズいんです。そうではなくて,やりたくないと思っている人達が「面白そう」と感じる魅力を,作る側が作らなきゃならない。

4Gamer:
 そういう「やらない人」には「最後まで行けなくて何が楽しいの?」と言われることがあります。

ZUN:
 だとしたら,作る側は,クリアはできるようにしておくべきです。もちろん,その先も考えなきゃいけませんし,一方でクリアしなくても面白くできるとは思いますけど。

4Gamer:
 ただ,シューターが味わっているシューティングの面白さというものを,「クリアできる」ことから伝えられるだろうか,という疑問は感じます。

ZUN:
 シューターが感じているのと同じ面白さを味わわせる必要はないでしょう。というか,できないですよ。シューティングというのは,ある程度の腕があって初めて面白いと感じるジャンルでもあるので,その感覚を,やらない人にいくら説いても,絶対に分かってもらえないでしょうね。
 それって,一流のスポーツ選手が死にそうな形相で練習してるのを「何が楽しいの?」というのと同じことです。あれは,たぶんですけど,本人は楽しいんですよ。
 そこまで到達しないと分からないものを,到達していない人に説いちゃいけない。そこまで引っぱっていくのもいいんですけど,その前にまず,ゲームとしての魅力が絶対条件だと思います。

4Gamer:
 ゲームとしての魅力,という話をすると,プレイヤーは必ずしも全体を見て魅力を感じるのではなく,それこそゲーム性だけ,キャラクターだけを見て,そこに魅力を感じる場合もあると思います。

ZUN:
 そうですね,僕は東方で,作る側としてそこをとくに注意しています。ゲーム性だけ,キャラクターだけ,あるいは世界観だけを見て,プレイヤーがそこで止まってしまわないようにしているつもりです。

4Gamer:
 それが,先のRPGの例(編注:第1回参照)であった,ゲームの分離や分解を避けるということですね。

ZUN:
 まあ,プレイヤーは分離させがちなんですけどね。ただそれでも「キャラクターが魅力的だからゲームが面白くなる」「ゲームが面白いからキャラクターが魅力的になる」という関係性は絶対にあるはずです。
 プレイヤーの中でシューティング部分とストーリーを分離させてしまっては,かなりマズい。東方においては,絶対にこうならないようにしようと。

4Gamer:
 長く東方に触れているプレイヤーほど,シューティングだけ,キャラだけといった感じで分離してしまうような印象を持っていますが,そのあたりはどうでしょう。

ZUN:
 確かに何作も続けていると,遊ぶ人も同じような人が多くなってきます。するとこちら側もある程度,プレイヤーが“分かっている”ことに甘えて「分かっているだろうから,こんな感じでいいのかな」が出てきちゃう。これをそのまま放置すると,分離が起こってきてしまうから,毎回毎回考え直してみないといけないなと思うわけです。

4Gamer:
 その考えを延長していくと,今の技術と手法で過去の作品をリメイクしたくなってきたりはしませんか?


ZUN:
 確かにそうなんですけど,それをやると大変ですからね。はっきり言って,大変さの度合いは新作を1本作るのと同じ。だったら,新しいの作ったほうが楽しそうだなと。
 昔のものをリメイクすれば,自分にはものすごく勉強になると思うんです。きっと僕はかなり成長する。でも,遊ぶ人はどうだろう? 喜ぶ人はいるかもしれないけど,そうじゃない人もたぶんいる。だったら,同じ労力なんだし,新しいものを作りたいですね。
 選択肢として悪くはないんけど,今のところその予定はまったくないという感じですか。だいたい,昔のゲームは,あんまり覚えてないですし(笑)。

4Gamer:
 追加ディスクみたいなものはどうでしょう? 映画のディレクターズカットのような,制作者がやりたかった部分を追加した完全版のようなものを出すという考え方もあります。

ZUN:
 それって付け足して出す場合ですよね? 実は,花映塚で追加ディスクを出してもいいんじゃないかとは思ったんですよ。キャラを増やして出して。そもそも増やしやすい構造はしているんですけど,ただ,その作業をする時間はない。
 もし僕が二人いて,片方が新作の企画を考えている間,もう片方がやってくれるならいいですけど。新しいことを考えているときには,ほかのことをやる余裕なんて一切ないのが一番大きな理由かもしれません。

4Gamer:
 あるいは,MODではないですけど,それこそ同人的に二次創作(編注:ある創作物の世界を利用して,別個の創作を行うこと,あるいはその結果。オリジナルの創作物を「一次創作」と捉える流れから生まれている)で誰かが追加できるようにするというのも考えられますが。

ZUN:
 ああ,キャラを簡単に追加できるようにして,「勝手にキャラ増やしてください」ってアプローチはありかもしれないですね。
 ただ,付け足して出すって行為には,商業的な臭いがどうしてもつきまといます。たぶん見た人は,「簡単に儲けようと思ってるな」と思うんじゃないかなと。しかも,そう思われる割に,実態はなかなか簡単じゃないのがまた問題で。この時点でもうマイナスポイントが二つもあるから,なかなか踏み切れない。
 追加ディスクだ,完全版だというのは,本当に商売っぽく見えるし,実際商売ですよね。喜ぶ人はいると思うけど,それを実行するヒマがあるなら,違うことをやろうかなって。

4Gamer:
 確かに,ファンはそういった気配に敏感かもしれません。

ZUN:
 作り手が本当にあざといかどうかは別の話ですよ。本当に,どうしてもやりたかったことがあったり,時間とかの理由で入れられなかった要素をやっぱり入れてみたかったりはします。あと,バランスが悪かったから調整してみたりとか。
 でも,一つのゲームでやりたかったことをやり過ぎたりしないほうがいいのかな,とも思いますね。むしろそこは,あえて残しておくぐらいのほうが,次の意欲になるのかもしれない。あるゲームを「完全」といえる状態まで持っていったら,次をまたイチから作るときに大変かなと。

4Gamer:
 だからアーケードのような,あからさまにダッシュだターボだというような形は取らないわけですね。


ZUN:
 そこはそのとおりです。前に言いましたけど,続編だって作ってません。もちろん,それぞれの作品が過去の作品とつながっていないかというと全然そうじゃなくて,つながりまくっているんだけど,でも続編じゃない。ゲーム自体はちょっとずつ離れています。

4Gamer:
 そこまで「続編ではない」ことにこだわる理由はなんでしょうか。

ZUN:
 シューティングで「続編」というと,パワーアップされているイメージが必要なんですよ。続編になったとき,前作よりもパワーアップしたイメージがないと,続編としては何か不完全な感じを受けてしまう。
 でも東方は,毎回同じようなものを同じようなペースで出しているだけ。パワーアップしてるわけじゃないんです。同じように見えるだけで,全然違うものなんだけど,でも東方という意味では同じ。そういうことをやれるのが同人のいいところですね。

4Gamer:
 シリーズではなく,通し番号がついていないから,どこからでも入りやすいというのはあります。

ZUN:
 商業の続編だと,まず前作のファンを満足させなきゃいけない。
 でも東方は商業ではなくて,同人ですから。プロデュース面とか,そういうところに縛られていないのが,ゲームにも出ていると思うんですよ。言い方はよくないかもしれないけど,“お客に対する卑屈さ”は出ていない。ちょっと傲慢なくらいの感じが出てるんじゃないかと(笑)。

 しかし,それはそれでリメイクというか,リフレッシュされた過去作品というものは,プレイヤー側も得るものがかなりあるのではないかと考える。アーケードのシューティングだと,家庭用への移植という過程で(確率的にはまれだが)完成度が向上するといった例が見受けられるからだ。
 もっとも,アーケードの家庭用移植では,アーケードの正確なクローンとしてのニーズ,バグも含めたオリジナル尊重という価値観が優先される。それゆえ,必ずしもリフレッシュやブラッシュアップが歓迎されるかというと,難しい部分はあるのだが。

■「面白いゲームを作れば売れる」は幻想

4Gamer:
 ZUNさんの場合,ゲーム会社に勤めるプロのゲームクリエイターという側面と,同人クリエイターという側面の,二つの顔を持っています。この二つの立場から,遊ぶ側,もっといえば買う側の意識の違いというものを,考えたことはありますか?

ZUN:
 答えになっているかどうか分かりませんが,面白いゲームを作れば売れるというのは幻想の話で,「面白いという評判が広まれば売れる」が,今はたぶん正しいですね。要するに,クチコミで広まれば売れるという感覚です。
 買っている人も皆,「これは面白いから買う」と感じていると思うんだけど,でも本当にそうかと考えてみると微妙で。聞いた評判が前作を指したものだったり,商業タイトルの場合は,ヘタするとタイトルが同じだけで,プロデューサーが違っていることすらあります。

4Gamer:
 今はインターネット社会ですから,昔よりも,余計にその傾向になっているかもしれませんね。

ZUN:
 いろいろなゲームを遊んで,その結果「面白い」と評価したものがクチコミによって伝わればいいんですけど,当然そんなわけにはいきませんから。そういう意味では,面白いという評判が立ったもの勝ち,もしくは売れたもの勝ちみたいな現実も,なくはないですね。

4Gamer:
 商業タイトルは言うまでもなく商売ですから,「問屋さんの伝票をいくつ集めるか」というところに流れや構造が集約されています。

ZUN:
 商業だと「店に売れればいい」ですよね。それってとどのつまり,「一番影響力があるのはゲーム雑誌や発売前のレビューである」こととイコールだったりして。ああいうところで高い評価を受ければ仕入れてもらえる。だから, レビュアーの好みの影響が大きくなって,あまりゲームと関係ないところに狙いどころが進んでいってしまうんですよね。

4Gamer:
 ただ,それは最近の同人タイトルでも同じことが言えませんか? 同人ショップという存在が台頭してきた結果,そこで特集してもらうとかいったことが,売るための常套手段になっているような印象も受けます。

ZUN:

 確かに,同人ショップの人にちょっと紹介してもらえたりすれば話題になりますから,そのショップ限定の小冊子を付けたりするようなところはありますよね。そうやって「推してもらう」流れになるのは,同人としてやっぱり嫌だなあってのは,個人的には感じます。

4Gamer:
 即売会などの同人イベントではどうですか?

ZUN:
 同人イベントでものを買うときって,たいていサークルの名前で買いますよね。中を見ないで買うというか。うちはゲームなんでしょうがないですけど,並んだらすぐ買って出て行かないと,次の人に迷惑ですし。
 そうなると,中身がいいから買うというというのとは,かなり違う話になってきます。

4Gamer:
 ある意味,商業作品以上にクチコミの世界になってしまいますね。後悔したくないなら,とりあえず買っておけ,みたいな。

ZUN:
 並んでダメなものだったら,次に影響するとは思いますけどね。
 断言はできないけど,大きなサークルが増えてきて,商業に似た固定化があるのかなといった印象はあります。

4Gamer:
 上海アリス幻樂団も「大きなサークル」の一つであるわけですが。

ZUN:
 シューティングゲームで,あんなに並ぶのはあり得ないといつも思ってますけどね(笑)。
 ただ,東方がシューティングで,オリジナルで,日本をテーマにしてるのは,自分の中では自慢だったりします。典型的な日本のゲームにして,「これは日本で作ってるよ」ってイメージを打ち出して,しかも遊ぶ人を選ぶ弾幕シューティングをわざわざ作っているというのは,うちのサークルの自慢です。自分しかいないサークルですけど。

4Gamer:
 同人サークルに対するファンの存在の話が出てきましたが,東方の場合は硬派なシューティング寄りの人と,世界観やキャラクターに寄った人が,両立しているように見えます。相反する要素のファン,両方をつかんでいるのは,ユニークで面白いと思うんですが。

ZUN:
 そうなんですよ。シューティングとしてうちの作品を遊ぶ人と,キャラクターを重視して遊ぶ人と,かなり前から二分化してますね。

4Gamer:
 この分化についてはどう考えていますか? 先ほどの「シューティング部分とストーリー部分に分離」というのではなく,あくまでゲーム全体を享受しているプレイヤーの間で生じている分化についてですが。

ZUN:
 僕の意見を述べるとすれば,「分かれているところを大切にしたい」になりますね。シューティングに寄っている人と,キャラクターに寄っている人を両方抱えているというのは,ゲームがいろいろな面を持っているという証だからです。
 プレイヤーが分化しているというのは,東方の中だけで「自分達はキャラじゃなくて弾幕が好きなんだ」と意見を言える相手がいるということでもあります。偏ったゲームではなかなかこうはいかないですよね。

4Gamer:
 なるほど,それは面白い視点ですね。

ZUN:
 キャラ寄りで東方を見ている人の中でも,調べてみると「オレはこの作品からやってて,こんなに詳しい」ことに優越性を感じている人がいたり,何かの拍子で新しく入ってきた人がいたり,層があるんですね。こういうのも大切に残していきたいと思っています。

4Gamer:
 そういう人達の真ん中で振り回されると感じたりすることはありますか? 「世界設定の統一性」が期待されていることをプレッシャーに感じたり,制約を受けたりとか。

ZUN:
 東方はシューティングなので,ストーリーは細かく設定していないですし,中身をそれほど深く伝えているわけでもないから,そういったプレッシャーみたいなものはありません。
 こんな状態ですから,遊んだだけだと,キャラの相関とかがよく分からない。だからいろいろな人が二次創作という形で補完しようとしますよね。
 ただ,僕は周りの二次創作を見てないんです。見てない状態で進んでいる。だから,そういったもの関係なしに次を出します。すると,僕とは解釈の違うものが当然生じてくるんですけど,意外と皆,僕の作ったストーリーを受け入れてくれる。キャラの性格がちょっと変わっても,しばらくしたら受け入れて馴染んでくれる。これは凄くありがたいです。

霧雨魔理沙(きりさめまりさ)というキャラクター(左)は,直線的攻撃的な性格付けがなされているという意味で,どの作品においても同じだが,言葉遣いは作品ごとに微妙に異なっていたりする

4Gamer:
 例えば魔理沙の口調とか,そういう感じですね。

ZUN:
 ええ。確かに変わってますね。でも一方で世界観とかは,結構緻密だったりするんですよ。ゲームがゲームだから,説明し切れないだけで。
 実は,東方ではぎっしりといろいろ設定されています。その大きな世界から,重要なところだけ切り出している感じですね。世界の一部を切り出したものがゲームとして出ているから,突然遊ぶと面食らう“常識”があったりするわけです。

4Gamer:
 とはいえ,分からないなりに楽しめたりします。あれはなぜなんでしょう?

ZUN:
 出てくる内容の多くが,現実にあるものだからでしょうね。日本人なら分かるようにはしてあるんですよ。まだ何も説明してない部分は結構ありますけど,そもそも説明不要かなってところもなくはないですし。
 「こういうキャラクターがここに住んでて……」という設定ではなく,「1面ボスがこうだったから2面ボスはこう」ってところから発想してしまう場合が多いんですね。やっぱりシューティングなので,面構成からキャラクターを作る。そこで変な設定を持ち出すと,面構成との辻褄が合わなくなってしまうから,そこはあえてゲーム優先です。

4Gamer:
 結論として,ファンは東方の何に魅力を感じていると考えていますか? 意地悪な言い方ですが,未開のブームを先取りしたい人や,面白いものを発掘した事実を自慢したい人が騒いでいると見ることもできると思います。

ZUN:
 それは凄く多いですよ。シューティングってジャンルには,そういった,大きなブームを嫌っている人も多いですし。
 何かを見つけて盛り上げていくのに,盛り上がったら「なんか違う」って手を引いてしまう人がいる。「これ面白いよ」って広めるんだけど,ちょっと人気が出るとそのゲームは嫌いになる。また違うゲームで「今度はこっちが面白いよ」って。
 ほかの人がクリアできないところを,自分ならできるからいいのに,ほかの人もできるようになったらダメみたいな。そういうのがどこかにありますよね。自分でもたまに,そう思うときがあって,自分はクリアできるんだけど,ほかの人は「やってらんないよ」って文句をいうくらいが快感というか。

4Gamer:
 そういった人達による批評を,どう捉えていますか? 一般論として,インターネット上では批判が多くなりがちなわけですが。

ZUN:
 文句を言われるようなゲームというのは,それだけ言ってくれる人がいるわけだから,実は凄いんですよ。本当につまらないゲームには,誰も何も言ってくれない。クリエイターが一番恐れているのはそこなんです。何の話題にもならず,スルーされてしまうのが最大の恐怖です。スルーされるくらいなら,皆で叩きまくってくれたほうが全然いい。
 ただ,そういった批判から改善点が出てくるかといえば,それは微妙です。否定的な意見に耳は傾けますけど,そこで否定的な意見を肯定的に変えようとするのは,危険だと思います。

4Gamer:
 それはなぜですか?

ZUN:
 否定的な意見が,言う側にも言われる側にもプラスになっている場合が多々あるからです。例えば,花映塚に対して否定的な意見を言っている人がいるとしますよね。このときその人は,花映塚に対して満足ではないんですけど,“シューティングについて語れる”点では満足な状態にあるかもしれない。もしそうだとしたら,そこは大切にする必要があります。
 だから,「ここはそうするべきだ」と言われて,「はい直します」ってわけにもいかないし,反対に「ここはいい」って言われて「なら次もそうします」というのもマズい。「なぜこの人達は,そういう否定的,あるいは肯定的な意見を出すに至ったのか?」という点を,自分の中で考えて次に昇華していくのが一番大切だと考えています。否定的な意見を聞いて,それを改善していくやり方ってのは,完全に商売としてのやり方でしかないので。
 幸いにして,僕は東方を同人でやっていて,冗談抜きで,全然売れなくてもいい状態にあります。だからどうとでもなる。自分の中でこうなるべきだって思ったことを突き詰めていく。せっかく趣味でやっているんですからね。

 世の中には,シューティングゲームのルーツと発展がアーケードの世界でほぼ純粋に育まれてきたことを背景にした,ある意味「アーケードシューティング至上主義」のような思想がある。アーケード以外のプラットフォームにおけるシューティングは傍流,あるいは劣化コピーと見なされる雰囲気が存在するのだ。そして伝統的に,スコアを競争するシビアな文化やシステムがそこにはあり,スコア競争で頂点に位置づけられるプレイヤーの中には,それこそ身を削るようにして点数を稼ぎ出している人もいる。
 そうした主義主張がある以上,PC用,しかも同人ソフトである東方の存在そのものが反目されることは十分に起こりえる。このことについて,失礼を承知で聞いてみたところ,結局はそれも立場の一つでしかないとのことだった。
 PC版シューティングと距離を置きたがる人達から,距離を置かれているという時点で,東方は存在価値を獲得している。だから,その人達の距離感を大切にすべきで,無理にプレイヤーとして引き込む必要はない――これがZUN氏の主張である。東方を認めない人にとっても存在価値があるというのは,かなり興味深い考察ではないかと思う。

 

タイトル 東方花映塚 〜Phantasmagoria of Flower View.
開発元 上海アリス幻樂団 発売元 上海アリス幻樂団
発売日 2005/08/14 価格 1000〜1500円程度
 
動作環境 OS:Windows 2000/XP(+DirectX 8.0),CPU:Pentium以上[Pentium III/800MHz以上推奨],メインメモリ:128MB以上,グラフィックスチップ:DirectX 8.0以上に対応,グラフィックスメモリ:32MB以上,パッドコントローラ推奨

2005 (C)opyright ZUN. All rights reserved.