― 特集 ―

「東方」制作者インタビュー「シューティングの方法論」第2回

Interview and text by 八重垣那智

 「東方」制作者であるZUN氏に「シューティングの方法論」を聞いていく本特集。本誌でもレビューで取り上げた「東方花映塚 〜Phantasmagoria of Flower View.」(以下花映塚)と,ZUN氏個人のシューティング観を掘り下げた第1回に続き,今回は,東方という一連の作品群を,ZUN氏がどうやって作ってきたのかについて,じっくりと聞いていくことにしたい。
 非常にユニークかつ重厚な氏の思想が,伝われば幸いだ。

ZONE T(TOHO)

■「ゲーム」とは何なのか

4Gamer:
 第2回では,東方という一連の作品群について聞いていきたいと思います。全体として気をつけていることや,何か作者としてのルールといったものはありますか?

ZUN氏(以下ZUN):
 東方ってシリーズものだと思われるというか,勘違いされることが多いんですけど,「東方はシリーズ」とは一度も言ってないんですよ。「プロジェクト第何弾」とは言ってますけど,それでも「○○2」だ「3」だってやりかたはしてない。まあ,見る人が見ればシリーズなのかもしれませんけどね。
 ただ,僕の中ではシリーズではない。前回の作品を好きだった人が,次も好きになるとは限らないというのが,東方とシリーズものとの大きな違いと考えています。

4Gamer:
 ゲームが変わると,キャラの使い勝手がガラリと変わってしまったりしますよね。

主人公キャラと説明して差し支えない,博麗霊夢(はくれいれいむ)ここ数年の“変遷”

ZUN:
 ヘタすると絵も違う。「こいつ誰?」っていうくらい。「急に絵がうまくなった」って,毎回言われてます。どれだけ最初が悪かったのかと(笑)。
 絵だけでなく,曲とかも全部そうですね。「極端に変わる」って。

4Gamer:
 それは,仕方なしに変わってしまうんでしょうか,それとも意図的に変えているんでしょうか?

ZUN:
 どうしても変わっていくものだと思っています。というか,変えていますね。勉強してますし。
 で,変わってほしくないという人も当然出てくるじゃないですか。「前のほうが良かった」と言う人が必ずいる。でも,関係ないんです。僕はどうしたって変わりますから。ゲームに対する考え方すら,おそらく変わっていると思うんです。それは悪いことじゃない。あまりにもコロコロ変わるとおかしいですけど,作品を一本出すたびに「いや,やっぱりこうだ」って考え直すのは,正しいことだと思っています。

4Gamer:
 変わることによって,過去の自分との矛盾が生じることは怖れませんか?

ZUN:
 その瞬間瞬間は,常に一つの「思っているところ」に向かって,矛盾がないようにやっていますけど,長い目で見ると,絶対に矛盾は出てくるものです。そもそも,考えが固まり過ぎてしまって,そういった矛盾が生じないほうがマズいんじゃないか。そういう感じで捉えています。
 僕が今考えていることは,あくまでも今考えていることだから。昔はちょっと違ったかもしれないし,これから先に変わるかもしれない。端から見ている人は「この人変わっちゃたな」と思うかもしれないけど,変わらないほうがおかしいですね。

4Gamer:
 先ほどシリーズではないと話していましたが,今ある世界やキャラを流用しつつ形を変える,例えばキャラだけを取り出して,別ジャンルのゲームを作るといった商業的手法があると思います。

ZUN:
 そのやり方は一番ストレートですね。あるゲームのファン層をそのまま持ってこれる。それは分かりやすいし,狙いやすいし,市場がハッキリしています。「このぐらいのニーズが見込めるのであれば,この規模で作ればいい」って感じで,商業的な計算が完全に成り立ちますよね。ただ,そういう,ゲームの一部だけを切り出すようなことは東方ではしたくない。

4Gamer:
 それはなぜでしょう?

ZUN:
 ゲーム性やシステム,あるいはキャラクターだけでゲームが成り立つとは思っていないんですよ。パッケージとか紹介文とか,すべてひっくるめたものが一つのゲームだというのが根底にありますね。そのどれを取り出してみても,そのゲームであるという状態が一番いいなと。タイトル画面だろうが,メニュー画面だろうが,ゲームオーバーで名前入れるとこだろうが,全部が全部そのゲームらしい感じだと,遊んでいて面白いんです。

 このあたりの氏の意見は,ファンなら「東方萃夢想 〜Immaterial and Missing Power.」の立ち位置を考えることで納得できるはずだ。これは,黄昏フロンティアという同人サークルとの共同制作で生まれた,格闘ゲームに近い“宴会型東方弾幕アクション”。東方第7.5弾と,外伝的に位置づけられた同タイトルは,キャラクターのメインイラストがZUN氏によるものでないうえ,そもそもシューティングですらない。
 ただ「キャラだけ使い回して格闘ゲームを作ってみました」という安易さは,ここにはない。タイトルはもちろん,キャラの掛け合い,流れるストーリーは,確かに東方であり,紛れもなく東方が展開されていることが,プレイすればすぐに分かるようになっているのだ。もっとも,生粋のシューター(編注:シューティング好きな人のこと)で,格闘ゲームの経験が乏しいようなタイプの人だと,あまり楽しめないという問題はあるのだが。

「東方萃夢想 〜Immaterial and Missing Power.」
(C)Copyright 2004 黄昏フロンティア/上海アリス幻樂団

■シューティングとプレイ時間の関係

4Gamer:
 次はゲームの実制作や,調整の部分の話に入っていきたいと思います。ZUNさんの,ゲームの尺というか,プレイ時間についての考え方を教えてください。個人的には,花映塚の対戦プレイは短時間集中型で,好感を持っているのですが……。

ZUN:
 花映塚より前までは,クリアに結構時間がかかりますね。Normalモードをクリアすると30〜40分ぐらい。Extraモードだけでも15〜20分ぐらいかかってしまう。それぐらいでも,いいっちゃいいんですけど。
 でも,20分というのは,クリアできるからちょうどよかったりするんです。クリアできなくてその長さ――最近のゲームってみんな長いんですけど――それだと,よほど好きじゃないと投げ出しますよね。何百回もやってやっとクリアできるってゲームが,1プレイ20分じゃちょっとキツイかも。

4Gamer:
 しかも,たいていはラスボスで死んでしまって,引っ込みがつかなくなったりします。

ZUN:
 そうそう。序盤でダメだったらあきらめがつくんですけど,最終面まで来て突然難しくなって。シューターは口を揃えて「それが面白い」って言うんですけど,時間を考えると厳しいですよね。体力的にも厳しい。

4Gamer:
 時間だけでなく,そうした達成感と難度のバランスについては,ゲームの作り手側からあまり研究されていない印象を受けます。

ZUN:
 初プレイでクリアできちゃうのはいくらなんでもどうかと思いますけど,家庭用なら,2〜3回挑戦してクリアできないとつらくなるんじゃないでしょうか。ただ,シューティングの場合は,クリアしてしまうと,後の楽しみはスコア稼ぎとかになっちゃうんですよね。

4Gamer:
 そのあたりの,広義のプロデュース手法そのものが,あまり論じられたり構築されたりしていないと感じるのですが。

ZUN:
 シューティングに関してはそうですね。たぶんその理由は,アーケードにしかシューティングがないことにあると思います。アーケードだと初プレイをやさしくするようなことはできないし,そもそも1プレイが長いと儲からない,早いうちにプレイヤーキャラを殺す必要があるわけです。
 アーケードではしばらく,1プレイ3分という時代が続いていたじゃないですか。だからとにかく殺さなきゃいけないんですけど,殺しすぎると誰もプレイしてくれない。結果として,今はだいたい,2面ぐらいで終わらせるってルールができましたよね。昔は3面でというのが多かったけど,今は2面ですよね。

4Gamer:
 確かに最近のアーケード版シューティングは,1面と2面の難度の差が大きいです。とくにボスの違いが目立ちます。

ZUN:
 しかも,2面どころじゃなくて,2周目からもまた難しくなる。コンシューマ向けのRPGとかシミュレーションとかだと,成長を引き継いだり隠しアイテムが出現したりして,2周目になると簡単になるやつって多いじゃないですか。でも,シューティングは難しくなる。
 なぜシューティングだけそうなっちゃったのかって考えると面白いですね。2周目は1周目が物足りなくなった人向けっていう発想で,遊んでいるプレイヤーが強くなっているなら,「じゃあ2周目は難しくてもいいや」になるのかもしれない。

4Gamer:
 シューティングだと,それこそ2周目のように,難度を上げて厳しくする方法は色々構築されていますけど,簡単にして遊んでもらうための手段が乏しいように感じます。このあたりについてはどう考えていますか?

ZUN:
 シューティングにプレイヤーを導入させるのは非常に難しくて,「こうやって遊べばいいよ」って直感的に分かるゲームって,実はかなり少ないんです。
 今のゲームって,チュートリアルがあるのが当たり前で,たいていは説明書読まなくても遊べるようにできているじゃないですか。何か新しく出てきた要素があると,そこで何をするか教えてくれる。個人的には,あの手法には冷めるものを感じていて,作品世界へ没入しようとする,まさにそのタイミングで町の人に操作説明とかされると「何でこうなんだろう?」と思ってしまいます。もっとも,そのおかげで説明書読まなくても遊べるわけですけど,もっといい方法あるんじゃないのかなぁと思わなくもない。
 ああいったのを導入するんじゃなくて,説明がなくても遊べるくらい,単純というか自然なのが理想かなって思っています。

 筆者はかなりの数のシューティングをプレイしているが,改めて言われてみると,シューティング初心者にオススメできる,遊び方を学びながら楽しめるタイトルが,その中に見当たらないことに気づいた。単純な操作系,射ち込みの爽快感,攻撃と避けのメリハリ……。誰にでも理解しやすいスコア稼ぎのシステムがあって,ほどほどにやさしく,それなりに弾幕もあって,自力でそこそこ攻略や上達が望めるという,理想的なタイトルは存在しないように思う。本当に厳しい現実だ。
 個人的には,うまくなっていく快感を発見することさえできれば,人はシューティングを理解してくれるような気がしている。だから,自分の得意なゲームを勧めて効率よくアドバイスして,上達を実感してもらえれば,シューティングの魅力は伝わるのではないだろうか。

■自分で腹が立つ要素はゲームから排除する

4Gamer:
 難度を左右する重要な要素として,ランダム性というものがあると思います。東方におけるランダム性への考え方を教えてください。

ZUN:
 ランダムの要素は,一言でいえば「諸刃の剣」ですね。プレイヤーは「ランダムだから面白い」とは,あまり考えないと思うんですよ。
 ランダムだともう単純に,学びづらいじゃないですか。とくに,ランダムで一番マズいのは「運悪く死んだ」「運良く勝った」ってだけになってしまうこと。花映塚だと,ああいうゲームなので,ちょっと例外になるんですけど,いわゆる普通のシューティグで「運悪く」「運良く」だとちょっと寂しい。

4Gamer:
 確かに,確率性のあるものを増やしていくと,ゲームの結果の確実性と相反していき,満足しづらいプレイの生まれる可能性が上がってしまいます。その折り合いはどうやってつけているんでしょうか?

ZUN:
 上手くプレイしたらスコアが上がらなきゃならない。でもランダムがスコアに絡んでくると,適当にやっても上手にやっても同じぐらいのスコアというゲームになりかねない。ランダムは,そこが怖いです。ランダム面というのは本当にその最たるもので,ステージ単位で運のいい悪いが決められちゃうので,もうダメですね。花映塚の一人プレイでは,先ほども話したように位置づけがちょっと異なるので,ランダム面をやっていますけど,普通のシューティングだとダメです。
 例えば,弾の発射される方向がランダムとか,そういう細かいランダムなら,まだ許されると思うんですよ。で,ボスの攻撃方法とか,面とかがランダムで変わるようになってくると,かなり大きな差が出てきます。

4Gamer:
 東方においては,どういった調整がなされていますか?

ZUN:
 ランダムには相当気を使っています。ランダムで弾を巻くところでも,ただのランダムにはしてません。避けやすさのためでもあるんですけど。全方向のここが何%,こっちは何%といったように,割合を全部決めています。プレイヤーが「またランダムだ!」と思っても,実は意外に簡単だったりとか,隙間があったりとか。このあたりは考え方というよりは,今まで僕が学んできたテクニックでいろいろとやっている感じですね。ランダムというものを,ちょっとこちら側でコントロールしています。

4Gamer:
 そこまでしてランダム要素を出す理由は何でしょう?

ZUN:

 ランダムがないと「毎回同じじゃん」と思われてしまうからですね。ある程度「これはランダムですよ」ってのも見せていくんです。
 ランダムだから「安心できない」もしくは「気合入れなきゃいけない」と思わせたい。でも,だからといって,それで死んだときに,運が悪かったとは思わせたくないから,「あそこに行けばよかったのに」という答えが見えるようにしておく。そういうのは残しておくべきです。

4Gamer:
 運の要素があったとして,プレイヤーは「運の良さは実感したいけど,逆はゴメン」というように考えると思います。

ZUN:
 ランダムが入ってくれば,どうしても運が悪いという状態は発生してしまうんですけどね。それでも,こちらからはそれなりにコントロールしています。もちろん東方だけじゃなく,どんなゲームでも,そういうことは考えられていると思いますよ。こういうと偉そうかもしれませんけど,プレイヤーが思っている以上に,作る側はいろいろなところに気を使っているんです。

4Gamer:
 ランダムを含めた難度はどうやって調整していますか?

ZUN:
 弾幕って,数を多くしたり,速くしたりすれば難しくなるとよく勘違いされるんですけど,だいたいの弾幕において,難しさというのは相当考えて作られています。難しくなればなるほど,パターン化されて考えられている。
 花映塚にも,そういう要素はありますよ。ランダムで出てくる弾の向きも,実はだいたいが自機を向いていて,白い弾はこの角度,もっと大きい弾は角度が狭い中でランダム……とかいった感じになっています。消せない弾はランダムの幅が狭いとか。要するに誘導できるわけで,それに気づけばかなり避けられるはずです。

4Gamer:
 確かに,一定のリズムというか,そういうものをつかむと避けやすくなりますね。

ZUN:
 だから花映塚でも,本当にランダムな弾の中をずっと避け続けるという場面は比較的少ない。ぱっと見るとランダムばかりな印象を受けるかもしれませんけど,実は多くないか,多くてもまとめて消せるかのどちらかになっている。ただのランダムな弾幕を避けていくのってそんなに面白くないから,花映塚では比較的配慮しています。
 もっとも,それが分かりにくくて,ランダムの弾幕をくぐり抜けるゲームと思われている節があるのは問題ですね。気をつけてはいたんですが。

4Gamer:
 そういうことに気づくのもシューティングの楽しさの一側面だと思うので,お話はよく分かります。

ZUN:
 そもそも,仮に気づかなくても,何となく避けやすい,消しやすいを感じてくれたらいいな,というのが花映塚にはありましたしね。
 東方を作るときには,以前からそういうところに気をつけています。一番簡単で分かりやすい基準は,僕が自分で遊んでみて腹が立つかどうか。腹が立ったら,それは削除しちゃう。というか,どうやってそこを腹が立たないように回避するかを考えていくと,いろいろと考えが出てきますね。なんだかんだ言って,制作者が自分でさんざん遊ばないとダメですよ。

4Gamer:
 最近の弾幕シューティングだと,どう対処していいのか,見た目には分からないということも多い気がします。パターン化はされているんですが,殺し方の研究が年々進歩しているというか。

ZUN:
 難しくしていくと,そうなっていきますね。動かないと死なないか,ちょっと動くと死ににくくなるとか,そういう「死なないパターン」ってあるじゃないですか。
 例えば,プレイヤーキャラを殺すためにパッと速い弾を撃ちますよね。すると,初めての人はまず間違いなく死ぬんだけど,実はちょっずつ動いてけば死なない。こういうパターンを頼りに,制作者側が作ってしまうゲームが多いんですけど,そんなの常識的に考えたら全然分からないですよ。死んだ後でも分からないと思う。
 でも,シューティングをやっている人は,パターンを理解しているから,ヘタしたら初めてでも分かってしまう。「速いのが来たってことは,ちょっとずつ避ければいいんだっけ」と。
 “やっている人基準”で殺し方の研究がエスカレートしていくのは,面白くないですね。ゲームに美学があるとするなら,美しくない。美しい解法じゃないですよね。

4Gamer:
 それは,死んだときになぜ死んだか分かるようなパターン化が重要ということですか?

ZUN:
 ミスした瞬間に,プレイヤーの誰もが解法を理解できるのが理想です。解法が本当に“気合”しかなかったとしても,それならそれで,「これは気合で何とかなりそうだ」と思わせる必要があります。「気合入れてもどうしようもなさそう」じゃ,手に負えないわけです。プレイヤーには実力差がありますから,どうしてもこの問題は生じてしまいますけど,極力少なくしたい。納得したやられ方にするというのが目標ですね。

4Gamer:
 そして,東方においては,納得できるかどうかの判断をZUNさんが自分で下す,ということですね。

ZUN:
 ええ。「どうしていいか分からない」というのは,何より僕がそうなったときに腹が立つわけですよ。だから必ず調整します。単なる操作ミスであっても「動かしすぎた」「動きが遅れた」ことが理解できなければ,それは納得できる死に方ではないんです。

4Gamer:
 それでも作り手としては,意地悪にプレイヤーを引っかけてみたくなったりしませんか?

ZUN:
 たまには,そういう気持ちになったりもしますよ。誘導して誘導して,ここで「はい,レーザー」とか(笑)。
 ただ,それくらいなら,ムカつくのは最初の1回だけ。そこで解法を覚えてしまえば解決できるものですからね。死んだときすぐにプレイヤーが納得できるなら,少しくらいの意地悪はいいんじゃないかなとは思っています。

 筆者も「仕事でゲームを作る人」だったりするのだが,同じ作り手側に立つ者として,遊んでもらう,楽しんでもらうという根源的な部分が,ブレていない点に感心させられた。
 作り手は,仕掛けや難題を用意することで,悪くいえばプレイヤーを弄ぶ誘惑に負けてしまいがち。にもかかわらず,しっかりコントロールできているのだ。
 とはいえ,少し前の話にも出てきたように,アーケードのシューティングでは,現実問題として多くの人を3〜5分程度でゲームオーバーにさせるノルマがある。ここでの理論は,現在流通しているシューティングゲームに対しては理想的に過ぎて,当てはめづらいことも,踏まえておくべきだろう。

■東方が縦スクロールである理由

4Gamer:
 東方はシューティングとして,かなり本格派であるわけですが,何か,制作にあたって大きな影響を受けたシューティングはあるのでしょうか? もっと広く捉えて,大きな影響を受けたゲームでも構いませんが。

ZUN:
 東方を作るうえで,最も影響を受けているのは「ダライアス外伝」(1994年,タイトー)ですね。今でも一番引きずっています。ちょうど大学生になって,時間があったとき,最初にそれがあった。好きなゲームとしては「ストリートファイターII」(1991年,カプコン)とかもありますけど,ゲーム作りに引きずってはいないですね。

4Gamer:
 横スクロールタイプのタイトルが真っ先に挙がるというのは,ちょっと意外な感じがしますが……。

ZUN:
 意外ですか? 「縦」と「横」って,昔も今も,僕は全然区別してないです。そもそも,「縦か横か」って考えたことがない。
 正直,不思議なんですよ,「縦シュー」「横シュー」って区別しなきゃならないのが。そんなに違うものですかね?

4Gamer:
 ほとんどの人は違うものと認識していると思います。画面を回転させて,縦シューを横向きでプレイしてみたことが何度かあるのですが,完全に別物です。何というか,非常に気持ち悪い。

ZUN:
 確かにそういう意味では「ゲーム性が違うかな」ぐらいの感じはありますけど。でも根元は一緒で,原点にはスコア稼いだりクリアしたりすることがあるだけだから,差はないと思いますね。だから,縦だの横だのと騒ぐのは,純粋に不思議だと思います。

4Gamer:
 しかし,それでも画面の流れ方が違うわけですから,そこに明確な違いはあると思うのですが。

ZUN:
 うーん,違いというか,それぞれ利点はありますよね。例えば,僕が横スクロールで作るとしたら,「空」を大切にすると作りやすいだろうなと思うんです。横から見ると,すごくいい空気感があるというか,地面と空が見えて気持ちがいいじゃないですか。上空に上がっていくと夕陽が見えるとか。あくまでたとえ話ですけど,そういうことを大切にすると思うんです。縦じゃ絶対にできませんしね。縦だと太陽出そうにもちょっと……ってのがありますし。
 そういうところ,あんまり考える人っていないのかもしれないけど,結構重要かなと。ゲームを作品として見たとき,そこを生かさないと,横にする意味はないと思います。

4Gamer:
 逆にいえば,世界の表現として太陽や地面を出したくなったら,横シューを作るかもしれないということですか?

ZUN:
 地面があるとすれば,横のほうがそれを表現するには有利です。縦に地形があると,変なパズルゲームになっちゃいますし。だから,横にするなら,僕は絶対に地面とか太陽とかを生かす。そこを盛り上げていくゲームを考える。そういう発想になると思います。単純に,今回は縦でいこう横でいこうって発想は,まずしない。
 東方が縦になっている理由は,縦のほうが向かっていくイメージが出るから。キャラクターの魅力を出すときには,対立の構図のほうがいいからですね。そして,対決の構図としては,左右に置いて見るよりも,上下のほうが迫力が増す。僕は今でもこう思っているから,東方は縦のままです。

■シューティングと3Dと敵配置

4Gamer:
 東方では,背景で3Dを利用しています。「縦か横か」と同じくらい,この3Dという手法の功罪両面はシューターの間で語られることが多いわけですが,3Dについての考えを聞かせてください。

ZUN:
 3Dにすると,表現力が広がっていいと思います。僕は3Dに対して凄い肯定的です。表現の幅が増えることに,問題は何もないと思う。3D化することによる弊害は確かにあるんですけど,それは解決できる弊害。3Dにしない,できないというのは作る側の時間的技術的な問題だったり,いろいろあると思いますけど,3D化することには利点があると思いますね。

「東方永夜抄 〜Imperishable Night.」のラスト2面では,奥へ進む,左右のどちらかへ進むというギミックが,3D背景の動きによって実現されている

 例えば永夜抄(編注:「東方永夜抄 〜Imperishable Night.」のこと)のラスト2面だと,中身は完全な2Dですが,ああいう解決の仕方もあると思うんですよ。背景とゲームは完全に分離しちゃっているんですけど,建物の奥へ進んでいくというゲームの物語内容を表現できているから,全体としては分離していないわけです。

4Gamer:
 ダイナミックに3Dの背景を動かすと,背景に配置される敵,例えば戦車などを敵に置きづらくなり,2D背景とはゲームの構成が大きく変わる可能性があります。こういった点については,どう考えていますか?

ZUN:
 僕なら,戦車を置きたければ「3Dはやめよう」になりますね。逆に,戦車を配置することを第一の目的にしてゲームを考えていけば,たぶん戦車が映える背景とか,表現方法を思いつくと思うんですよ。2Dとか3Dの前に,まずそれをやらないとダメですね。
 先ほどの話もそうですけど,まず縦だ横だ,2Dだ3Dだってのは,順番が違う。やりたいことが「戦車の表現」なら,最初から戦車にする。戦車から考え始めたら,ひょっとするとできあがった作品はシューティングじゃなくなるかもしれない。でも,そうやって考える人が,非常に少ないのは残念です。

4Gamer:
 敵の常識的な出方に対する安心感というものは意識しませんか? 敵を同時に出して,どちらを先に倒すのか迷わせたりする配置とか。

ZUN:
 「どこかで出てきたような敵配置」を否定はしません。お約束な敵配置をやったことによって,喜ぶ人がいると考えるなら,やってもいいのかなと思います。そのお約束感は,それも味といえば味。ただ,それによって単調になってしまうと,苦痛ですね。
 でも,こんなこと言っておきながらアレなんですが,東方では道中の緻密さをほとんど考えていません。東方で一番重要なのはボス戦なので,ボス戦以外はかなり適当なんですよ。ボス戦をあそこまで重視して作っているのは,東方が一番じゃないかってくらい。

4Gamer:
 実はそこが一番,ダライアス外伝の影響を受けているところだったりしませんか?(笑)。

ZUN:
 そうかも(笑)。

■東方サウンドの原点

4Gamer:
 音楽に関してはどうでしょう。ZUNさんは東方のプランナーやプログラマーであるだけでなく,作曲者でもあるわけですが,サウンド面で影響を受けた人などはいますか?

ZUN:
 ゲームミュージックを作りたかったくらいなので,もちろん好きですよ。でも,僕が今演奏している曲で参考にしているのは,ゲームミュージックではありません。
 色々ありますけど,例えば「姫神」とか……。ジャズとかも好きですね。基本的にはインストゥルメンタルで,歌がないのがほとんど。世界中の,いわゆるワールドミュージックを集めたりもしているので,音楽CDの枚数でいくと凄いことになってます。

4Gamer:
 ゲームミュージックからの影響はとくにないのでしょうか?

ZUN:
 ゲームミュージックで影響を受けたといえば,これは間違いなくZUNTATA(タイトー)ですね。曲調が影響を受けているかっていうと,今お話したようにそういうわけじゃないんですが。
 曲に対する考え方……ですかね。サントラCDで,例えばポエムなものが入っていたりとか,ちょっと哲学的なものを語っていたりとか。普通のゲームサントラって,言い訳じみたものが書いてあったり,「ここではテクノでポップなものが必要で……」とかあったりするじゃないですか。そういうんじゃないところが,なんかいいなぁと思ってます。

4Gamer:
 その影響で,ZUNさんが制作される音楽CDは物語調の仕立てになっているんですね。

ZUN:
 そうですね,ZUNTATAの影響を受けています。
 ほら,あの頃(編注:1990年前後)のゲーム音楽って,どの会社にもバンドがあったじゃないですか。あれは大抵は聞いてますね。矩形波倶楽部(コナミ)の新作だとか,SST(セガ)とかアルフ・ライラ・ワ・ライラ(カプコン)とか,名前が付いてるのは,ほぼ全部買ってました。その中で,ZUNTATAだけ特殊だったんです。

4Gamer:
 ゲームと直接関連したところも聞かせてください。ゲームミュージックとしての東方サウンドは,どのタイミングで上がってくるものなんでしょうか? あらかじめストックしておいたりするのですか?

ZUN:
 そこはもう,完全に同時ですね。「このステージを作る」と決めたときに,曲とステージと流れを決める。順番にできていくんです,頭から。

4Gamer:
 すると,1面の制作中だとラスボスは決まってなかったりする場合もあるのですか?

ZUN:
 いや,全体は決まってます。まず全体像を決める。決めた後に順番に作っていく。こういうキャラがいて,こういう曲が流れて,こういう背景で,というのが最初に決まります。
 その次に曲を作ってみるわけですけど,時間もテクニックも自由が利かないですから,こういう曲を作ろうと思ったときに,そのとおりになる保証はないわけですよ。できあがった曲が,あまりにもイメージと合わなければボツになりますし,合わないけどいい曲なら,ちょっと背景とかキャラを,曲に合わせて変えていくという感じですね。このやり方はどうなのかとも思いますけど,僕の中では曲のウェイトが大きいので,こういう流れになるんです。

4Gamer:
 花映塚では,曲の印象がこれまでと違いますが,いま話してもらえたのと同じ作り方ですか?

ZUN:
 花映塚だと全然違いますね。1キャラと1ステージの対応で,物語展開としてのステージがないから,作りにくい。背景にも展開がありませんし。ああなるともう,好き勝手作るしかないです。キャラのイメージで作るしかないから,ゲームと合うかどうかは,ある程度はどうしようもない状態というか,ある意味「合わないキャラは合わない」と割り切っていますね。
 花映塚の曲は,ちょっとループまでが長めになっているので,一曲としてそれなりに面白いものになってくれたらいいなと。そういう感じで作ってます。

 念のため復習しておくと,ダライアス外伝は,シューティングとしてもアーケードゲームとしても,かなり面白いポジションにあるゲームとして捉えておきたいタイトルである。インタビューでも触れているが,ダライアス外伝において,スクロールシーン(道中)の構成はかなり間つなぎに近く,プレイ時間の大半はボス戦に費やされる。これはシリーズの原点である「ダライアス」がマルチスクリーンを利用したシューティングの新しさを表現していたのに対し,ダライアス外伝では,通常の1画面でプレイするように変わったために到達した,外伝独自のコンセプトと解釈できるだろう。
 また,サントラCDはサントラCDで,各ステージボスの簡単な写真とゲームストーリーを除けば,インナーは曲のモチーフに関する抽象的な哲学の講釈で埋め尽くされている。曲調も,テクノ系ではあるのだが,当時の一般的なゲームミュージックとはかなり離れた内容だった。
 ちなみに,ここまであえて触れてこなかったが,本記事の章建てが「ZONE」なのは,言うまでもなく,ダライアス外伝を踏まえてのギミックである。

 ……と,最後はダライアス外伝豆知識くさくなったが,ここでひとまず休憩としたい。振り返ると,第2回は東方という蓄積,いわばこれまでの話だった。最終回となる次回は,抽象論や観念論に踏み込むのを厭わず,開発における理念やZUN氏の今後の活動へと話を進めていく。
 近日中に掲載するので,しばしお待ち願いたい。

 

タイトル 東方花映塚 〜Phantasmagoria of Flower View.
開発元 上海アリス幻樂団 発売元 上海アリス幻樂団
発売日 2005/08/14 価格 1000〜1500円程度
 
動作環境 OS:Windows 2000/XP(+DirectX 8.0),CPU:Pentium以上[Pentium III/800MHz以上推奨],メインメモリ:128MB以上,グラフィックスチップ:DirectX 8.0以上に対応,グラフィックスメモリ:32MB以上,パッドコントローラ推奨

2005 (C)opyright ZUN. All rights reserved.