― 連載 ―


大般若長光(だいはんにゃながみつ)
 十三代征夷大将軍・足利義輝 
Illustration by つるみとしゆき

 将軍というと,基本的な剣術などは身につけていたとしても,一流の武芸者として活躍することはなく,どちらかといえば軍の後方にあって大局を見据え,陣の統率をとるイメージが強い。しかし,中には武芸を極めた将軍もいた。それが十三代征夷大将軍の足利義輝(1536-1565年)である。
 義輝は1536年3月31日,室町幕府第十二代将軍であった足利義晴の息子として生を受けた(幼名は菊童丸)。当時,幕府の力は失墜しており,幼少期の義輝は父の足利義晴と共に京都を落ち延び,将軍家といえども苦渋の生活を味わうことになった。
 11歳で父の足利義晴から将軍職を譲られると,義輝は室町幕府と将軍の権威の復興のために,一生を捧げることになった。
 しかし不運は続く。就任してまもなく三好長慶が畿内に一大政権を確立し,義輝は京都を追われることに。さらに1550年,父・義晴が近江で死去してしまう。しかし,度重なる戦の結果,義輝は敵対していた三好長慶と和睦して,彼を室町幕府の要職に迎え入れ,京都に返り咲くことになった。この時点で完全な傀儡政権に成り下がっていたとする説もあるが,筆者はそうは思っていない。
 というのは,義輝は将軍として有力大名達の争いの仲裁などを買って出ることも多く,有名なところでは武田信玄と上杉謙信,島津貴久と大友宗麟の調停役なども行っているし,こうした政治活動が実を結び,織田信長,上杉謙信,大友宗麟,斎藤義龍などは上洛して義輝と会見していた。その際に,大友宗麟にいたっては火縄銃なども献上しているのだ。ほかにも,自分の「輝」の字を,毛利輝元,伊達輝宗,上杉輝虎(上杉謙信)に与えたり,前名の義藤から「藤」の字を,細川藤孝や足利藤氏に与えたりもしている。単なる傀儡政権だったとすれば,誰が名前などもらうのだろう。当時の状況を考えると,将軍としての強い権力があったかどうかは不明だが,義輝が強い権威を持っていたことは間違いなさそうである。

 剣豪将軍 

 義輝の別名に「剣豪将軍」というものがあるが,これは文字どおり,義輝が剣術に優れていたことを示す名前だ。
 義輝に剣を教えたのは,鹿島新当流の開祖である塚原卜伝であると伝えられている。塚原卜伝といえば,三大古流剣法の一つである香取神道流を学んで,鹿島新当流を開いた剣豪だ。香取神道流や鹿島新当流では,相手の刀を受け止める表の型を練習するそうだが,それとは別に裏の型があり,これは刀を傷めず相手の戦闘能力を奪うことに終始していて,敵の攻撃をやりすごして頚動脈や腱を斬るというものだ。もちろん,実戦で使われるのは裏の型である。ちなみに義輝は鹿島新当流を学んで奥義を伝授されたというのだから,相当な使い手であったと思われる。
 剣豪としての義輝を語るうえで,彼の死に際のエピソードは欠かせない。1565年,松永久秀と三好三人衆(三好長逸,三好政康,岩成友通)は,義輝のいる京都二条の御所に夜襲をかけた。このときの御所は建設が完了していなかったため侵入は容易で,さらに夜ということもあり警備も手薄だったという。
 異変に気がついた義輝は,収集していた古今の名刀を十数振り持ってこさせると,鞘から抜いて床に突き立て敵と戦った。次から次へと向かってくる敵を斬り殺し,刀の切れ味が鈍ると,突き立ててあった刀を引き抜き,次の敵を斬りかかったという。一説によると,義輝があまりに強すぎたために,敵兵達は刀で倒すことは不可能と判断し,戸板や畳を倒して義輝を重みで動けなくし,その上から槍で突いてようやく倒したという(自害したという説もある)。ちなみに,義輝の辞世の句は下記のものになる。

「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」

 将軍と室町幕府の復権を願って奔走した剣豪将軍の無念が,よく伝わってくる句である。

 大般若長光 

 義輝の所有した代表的な刀に,大般若長光がある。これは備前長船長光が鍛えた刀で,その中でも名刀中の名刀といわれる逸品だ。ちなみに「大般若」という名の由来は,室町時代の鑑定価格で「600貫」の高値が付けられ,般若経が「600巻」あることにかけて,大般若長光と呼ばれるようになったそうである。なお以前に「こちら」で紹介した小豆長光は,兄弟にあたる名刀である。
 当時,権力者達は美術品としての日本刀を好んだ。切れ味はもちろんだが,作風の良かった大般若長光は,美術品収集家には垂涎の名刀であり,義輝の死後はさまざまな有力者の手を渡り歩くことになる。織田信長や徳川家康といった時の権力者のものとなり,長篠の合戦で手柄を上げた奥平信昌に下賜され,やがて家康の養子となった松平忠明へと受け継がれていった。明治維新以降も松平家に秘蔵されていたが,後に流出。昭和14年に帝室博物館(現・東京国立博物館)が所有することになった。当時の東京都知事の月収が5350円であるなか,5万円の値が付いたそうで,さすがは「大般若」長光といったところである。
 なお,古い時代の日本刀は,使われるうちに擦り上げられて短刀になってしまうことが多いが,大般若長光は当時の面影をとどめている点も大きな魅力。刃長73.6センチの名刀は,価値,姿共に昔と変わらぬまま,現存しているのだ。

 

獅子王

■■Murayama(ライター)■■
先日飲み仲間と共に,朝から高尾山登山を楽しんだというMurayama。一時間かけてたどり着いた山頂で,しこたま酒を飲んできたというのだが,その後,某SNSの地域コミュニティのオフ会にも参加し,暴飲暴食をしたというのだから,元気な人である。ちなみにその後は,自宅で高尾山組と再び飲み会を開催。お開きとなったあとも,さらに一人で酒を飲み続けていたという。……そんなネタを,彼の某SNSの日記で確認したわけだが,当連載の原稿よりも誤字脱字が少ない件について,近々話し合わせてもらいたいところだ。

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http://www.4gamer.net/weekly/sandm/058/sandm_058.shtml