連載 : 奥谷海人のAccess Accepted


奥谷海人のAccess Accepted

2006年11月15日掲載

 3DfxのVoodooグラフィック搭載カードの登場で本格的に花咲いた3Dゲームの話題をお届けしたのが,2週間前の当連載,「第101回:10年を経た3Dグラフィックスカードの歴史」だが,それからさらに過去に,5年,視線を伸ばしてみると,現在の我々に非常に身近なものがその頃に誕生していたことが分かる。それがオンラインゲームサービスである。今回は,当時の大手ゲームメーカーが送り出した「Sierra Network」と,同じ年に設立されたSilicon & Synapse社について話をしてみよう。後者は,やがてオンラインゲームに大きな変革を起こす,Blizzard Entertainmentの前身。この対照的な2社の興亡を中心に,インターネットによるオンラインゲームサービスの15年間を振り返ってみよう。

 

オンラインゲームの15年史

 

15年前に誕生した
総合的オンラインゲームサービス

 

 まだ,ほとんどの人がWWW(World Wide Web)という言葉さえ聞いたことのない1991年,当時のゲーム業界最大手だったSierra On-Line(現在はVivendi Gamesアメリカ支部であるSierra Entertainment)によって,「Sierra Network」というオンラインゲームサービスが開始された。
 その当時の情勢を考えたとき,現在のファンタジー系MMORPGの直系の先祖であるテキストベースのMUD(Multi-User Dungeons)はすでに1980年代からあったし,GEnieのようなオンラインゲームサービスもとっくに存在していたので,なにもSierra On-Lineが最初にオンラインゲームを始めたわけではない。しかし,RPGからシミュレーション,そしてトランプやテーブルゲームといったさまざまなコンテンツを揃えていたうえに,「ゲーマー同士が友人となってネットワークを形成する」というソーシャルネットワーク型のゲームサイトであったなど,かなり時代の先を進んでいたと言うことはできる。

 

ゲーマー同士でのチャットなども可能という,かなり先駆的なオンラインゲームサービスサイトのSierra Network。画像は,巨大テレコム企業AT&Tに買収された後のImagine Networkのフロントページである

 1991年といえば,まだ14.4kbpsのモデムが300ドルもした時代だ。Sierra On-Lineは前年に,マウスとカーソルによる史上初めての“ポイント&クリック”型のアドベンチャー,「King's Quest V」を大ヒットさせている。Sierra Networkもその流れに乗ったグラフィカルなフロントページを採用し,さまざまな建物をクリックすることでゲームルームやチャットルームなどに飛べるようになっていたのだ。
 そのグラフィックスからも分かるように,Sierra Networkは子供を対象にしたものだった。あまり良い表現ではないが,正確を期するなら“裕福な子供”とでも言うべきだろうか。なにしろ当時は,インターネットに接続することが一般的ではなく,電話料金やプロバイダーへの月額使用料に加え,Sierra Networkには1時間あたり6ドルの参加料金がかかったのである。

 読者の想像どおり,このビジネスモデルは当時の市場に受け入れられるものではなかった。毎年のように赤字が続き,1989年に上場を果たしたSierra On-Lineにとって,かなりの負担となっていたことは想像に難くない。そのため,1994年にはAT&Tへ総額1億ドルでSierra Networkを譲渡しており,このとき「Imagine Network」に名前が変わった。とはいえ,買ってはみたもののAT&Tはこのオンラインゲームサービスの運営にさしたる熱意を持っていなかったようで,1996年にサービスは終了している。
 Sierra On-Lineは,AT&Tから得た資金を元手に,MicrosoftやNintendo of Americaのあるワシントン州へ活動の場所を変えたりしたが,悪化する経営の流れを止めることができず,やがてCUC Internationalという会社に身売りすることになった。1996年末の話だ。

 

 

Battle.netの誕生が風向きを変えた!

 

1994年に発売された「Warcraft」で,Blizzard Entertainmentは大いに注目を集めることになる。1996年の「Diablo」,1998年の「StarCraft」と大ヒット作を連発し,その知名度はゆるぎないものになった

 Sierra Networkが運営を始めた1991年に,後にオンラインゲームサービスに大きなインパクトを与えることになる会社が産声を上げた。Silicon & Synapseという,いかにももっともらしい単語を組み合わせた企業名だが,ゲームシーンではまったくの無名。これが後のBlizzard Entertainmentである。
 当初,「Rock N' Roll Racing」や「The Lost Vikings」といったタイトルを他社に提供していたが,1994年に一時的にChaos Studiosへと社名を変更した直後,Davidson & Associatesというパブリッシャに1000万ドルで買収された。その年の末にリリースされた「Warcraft」は大きな話題を呼び,Davidson & Associatesはとても良い買い物をしたことになる。
 Warcraftは,プレイヤーも敵もリアルタイムで生産や攻撃を行う“リアルタイムストラテジー”(RTS)のはしりで,1992年にWestwood Studiosから発売された「Dune II: The Building of a Dynasty」に大きな影響を受けたのは疑いない。しかし,Westwoodが1995年に時間をかけた野心作である「Command & Conquer」をリリースすると,Blizzardも負けじと「Warcraft II: Tides of Darkness」で対抗。1998年には難航していた「StarCraft」をついにリリースし,同作はたちまちブロックバスターとなった。

 

 そんなWarcraftシリーズで波に乗っていたBlizzardは,1997年1月に「Battle.net」という無料のオンラインゲームサービスをスタートさせる。その中核の役割を担ったのが,アクションRPGというジャンルを打ち立てた「Diablo」である。
 グラフィックスは2Dで,しかも640×480ドットという低解像度モードしかサポートしていないため当時でもいささか古臭い雰囲気のDiabloだったが,何十体という敵モンスターを瞬時になぎ倒していくアクション性の高さやリアクションの良さが多くのゲーマーを魅了した。現在の韓国系MMORPGに受け継がれているクリックゲームの元祖とも言うべきものだろう。
 良くも悪くも,前評判はほとんどなく,アメリカのメディアからあまり相手にされていなかったタイトルだったにもかかわらず,半年で約150万本というビッグセールスを記録している。そして,そのオンラインモードを独占的にサポートしていたBattle.netの地位もゆるぎないものとなっていくのだ。

 

 

避けられない無料化の流れ……

 

1997年末の時点で,Battle.netには125万人のユニークユーザーがいた。当時,最も人気があったゲームサービス「MSN Gaming Zone」の会員数が60万人であったことを考えると,その集客率は相当なものだったといえる

 それまでのOSに比べ,はるかにインターネットへの親和性の高い「Windows 95」が登場することよって,ネットワークはより身近なものになっていった。1996年にはMicrosoftが「Internet Gaming Zone」(現 MSN Game Zone)を立ち上げたが,市場はすでに「MPlayer Interactive」「DWANGO」「Heat.net」「Total Entertainment Network」といった企業が乱立する群雄割拠の時代に入っていたのだ。Imagine Network以降,この分野の主導権を握っていたのは,America On-Lineのゲームサービス,「AOL Games」だった。
 そんな中,Battle.netは,すでに起業していたオンラインゲームプロバイダー各社に強烈なプレッシャーをかけることになった。これらプロバイダーの多くが,月額料金を徴収するか,プレミアゲームで利益を得るというビジネススタイルを採用していたからだ。
 もともと「ファンサービスの一貫」として運営が行われていたBattle.netは,収入はオンライン広告でまかない,サービスは完全に無料。勝負はすでについていた。ほかのサービスプロバイダー達は,1997年度の収益が軒並み赤字に転落するという事態に追い込まれてしまったのである。MPlayerやDWANGOはインターネット技術をライセンスすることで,セガのHeat.netは「Engage」や「Gamestorm」といった他社と提携したりすることで生存を図っていたが,現在まで残っている会社はごく少数である。

 

 ゲーマーだけでなく,インターネットを使う人々にとっては“無料であること”が基本になっている。Google EarthやGoogle Calendar,YouTube,mixiやMySpaceなどなど,ありとあらゆる分野で無料を維持しているサービスが急成長してきたという事実がそれを裏付ける。
 現在,MMORPG市場でも基本料金が無料で,アイテムの購入やゲーム内広告によって成立するタイトルが増えている。プレイヤーに金銭的負担がかからないシステムの確立は,今後もオンラインゲームが成長を続けていくためには避けられないものなのかもしれない。Sierra NetworkからBattle.net,そして現在へと続くオンラインゲームサービスの流れは,そのことを如実に物語っているのである。

 

 


来週は「ゲームではないゲーム」について。お楽しみに。

■■奥谷海人(ライター)■■
本誌海外特派員。週末は,他人の庭に池を作るために精を出していたという奥谷氏。一日かけて直径4mほどの大きな穴を掘ったらしいが,ツルハシなど20年ぶり握ったとのこと。当然のごとく永らく使っていない筋肉が痛み,朝はベットから起き上がるのさえつらいらしい。「指の節々が痛んで,タイプするのがタイヘン」ということだが,慣れてないことはしないほうがいいということである。そもそも,なんで他人の庭に池など掘っていたのだろう?


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