― 連載 ―

奥谷海人のAccess Accepted

 アメリカ陸軍によって2002年にリリースされた「America's Army」は,商業ソフトなら大ヒットに相当する500万ダウンロードを記録している,希代の無料ゲームソフトである。最近でこそ,搭乗できるユニットが追加されたり,コンシューマゲーム機への移植も決まったりなど,さらなる大衆化が進められているが,2002年7月4日のリリース当時には,陸軍内外で大きく揉めていたようだ。今回は,匿名の開発者の手記をもとに,軍部が作ったゲームソフトの舞台裏を探ってみよう。


America's Armyの舞台裏

商業ソフトなら「爆発的大ヒット」と呼ばれていたかもしれないAmerica's Armyは,アメリカ陸軍の広報予算のたった1%(約22億円)の資金で,予想を大きく上回る成果を出したという

 最新の発表では実に500万人という正規ユーザーの登録数を誇る「America's Army」は,アメリカ陸軍が開発した,FPSタイプの軍事体験シミュレーションとして日本人ゲーマーの間でも有名だろう。Unreal Engine 2を使用した本格的なFPSながらも,新兵のリクルートが目的という広告用途でリリースされたため,無料でダウンロードできるうえに遊び放題。なぜかUbisoftがプレイステーション2用やXbox用に商業ライセンスを獲得し,2005年10月の発売を控えているなど,"ゲーム"として完全に認知されたようだ。
 2005年のE3(Electronic Entertainment Expo)でも,その存在感は大きかった。アメリカ陸軍はE3で,America's ArmyのエンジンをUnreal Engine 3にアップグレードすることを発表し,その最新グラフィックスに対応させた「America's Army:Special Forces Overmatch」と「America's Army:Striker Overmatch」という二つの拡張パックを,それぞれ2005年秋と2005年冬にリリースすることを明らかにした。
 また,32ビットと64ビットのアプリケーションを同時に処理できる,AMDが開発中のOpteron SuperComputerに対応する初のゲームソフトとなる見込みで,E3会場では,実際に88個のOpteronユニットからなるクラスターで構成されたサーバーで稼動していた。
 アメリカ陸軍の予算からすれば,ゲームの開発費など微々たるものではあるのだろうが,その効果や影響の凄まじさは,以前「こちら」(第27回:軍事訓練ソフトの恩恵とは?)でも紹介したとおりである。

 さて,このように順風満帆に見えるプロジェクトではあるが,裏にはいろいろな秘話が隠されているようだ。
 今回紹介するのは,以前アメリカ陸軍に雇われてAmerica's Armyの開発に携わっていた(と自称する)人物の話である。彼は,自分が体験したことを匿名で公式フォーラムなどに書き込んでいたのだが,今回彼への接触に成功し,翻訳の許可を得た。
 その内容は,内部の人間が書いたとしか思えない生々しいものだった。ここに翻訳文を掲載するが,もともとは2004年末に投稿されたものなので,それを踏まえてお読みいただきたい。


 私は,America's Armyの開発期間の大部分で,その開発に携わっていました。制作がピークにあったときで,だいたい27,28人くらいのスタッフがチームにいたと思います。
 さて,まだ開発中だった数年前の話です。陸軍はこのチームを,根本的に再編成することを決定します。その結果として多くの血が流され,才能ある人々が路頭に迷うことになりました。プログラムとデザインチームの人間はすべていなくなり,アートチームがほぼもぬけの殻となりながらも,かろうじて開発は継続されていたという状態だったのです。

 陸軍は,本当にゲーム開発のことなんて何も知りませんでした。知っているわけがないですよね,彼らの仕事ではないのですから……。そんな経緯があり,のちに私がプロジェクトに参加したとき,ゲームは良い形にはなっていませんでした。陸軍の人達は"経歴"にもかかわることなので,ゲームをなんとか世に出そうと必死の状態でした。
 実はもともと,このゲームは二つのプロジェクトに分かれていて,結果的にフルモーションビデオのほうは陽の目を見ることなく悲しい死を迎えています。ゲームを開発するということは陸軍にとって大きなリスクであり,失敗すると誰かの首も飛んでしまうことになったはずです。そのためか,ほかの陸軍のプロジェクトとは違ってよく面倒を見てくれましたし,我々が何かを作り出してくれるだろうと毎日じっと願っていたような状況でした。
 こうして,なんとか,(アメリカの独立記念日にあたる)7月4日という締め切りに間に合わせることができました。最後まで残っていたメンバーには,まだケツの青いようなスタッフも多かったのですが,誰もがこのプロジェクトを終わらせるのに,膨大な時間をつぎ込みました。パーフェクトなゲームが完成したとはいえないにしろ,悲惨な状況の中から奇跡を生み出せたという気持ちでした。

 ゲームの成功が明らかになるにつれ,陸軍は開発経緯の歴史を書き換えようと動き出します。Gamespyの統計ページでナンバー3の座を獲得しながら,「開発者達の素顔が全然見えてこない」などと騒がれていたころだったでしょうかね。陸軍幹部がインタビューなどに顔を出すようになり,"彼らが,どうやってゲームを作ったか"なんてことを話すようになりました。
 このことで,最初に"ゲームによる人材募集"というアイデアを出した海軍が反発し,陸軍と海軍との政治問題へと発展したようです。それだけでなく,陸軍内部の違う部署同士でいざこざが起きたりもしました。我々が夜を徹して作っていたときは誰も気にもとめなかったのに,軍部の年間広告費の1%にも満たない制作費で空前の大成功を収めた途端に,この有様です。このような状況は,私にとっては十分予想できていたことですけどね。

 今から1年ほど前のあるとき,突然陸軍が,列をなして海軍大学院を訪れました。完全な正装をまとい,大佐や弁護士までを引き連れていました。彼らは学校長のもとへと行き,同校の管理怠慢を批判したのです。
 論旨は,America's Armyはプロジェクトとして失敗であり,もともと計画に携わっていた同校が契約違反している,というものです。かなり激しいやり取りがあったようですが,両者とも,海軍大学院からは引いたほうが良いということで落ち着きました。
 陸軍はプロジェクトを持ち帰り,このときに開発メンバーの一部をチームから外しました。この出来事から1か月もしないうちに,開発スタッフは次々と辞職し始め,結局20人近くが去っていきました。

 今の時点で,陸軍が持っていたものを,再び揃えることができるのかどうかは分かりません。ゲーム開発に関して陸軍はまったくの無知であり,ゲーム開発者の扱い方にも慣れていないのです。
 プロジェクトに携わったAレベルのチームを持っていましたが,どうやって同じようなメンバーを揃えるのでしょうか。このプロジェクトには,二つのまったく違う文化が一つとなって,何かクールなことをやってみようという魔法のような時期がありました。こんなに早く崩壊してしまったのは悲しいことですが,仕方のないことだったと思います。もう一度言いますが,それは私も予想していたことですし,継続しないようにできていることが世の中にはあるものです。

 最後になりますが,私が経験できたことには満足しています。非常に価値のあることで,私にとっては本当に良い機会でした。誰の期待を受けることなく一度のチャンスに賭けた,ユニークで前代未聞のプロジェクトでした。ゲームや軍部の歴史のひとコマを作り出せたとも考えています。ゲームはパーフェクトではないかもしれませんが,費やした努力には誇りを持っています。多くの良い人達と苦楽を共にし,彼らも今後良いキャリアを積めることを願っています。

 以上が,駆け足で紹介した,America's Armyの歴史です。細かい話も省略せずにすべてを語れば,おそらく1冊の本が出来上がってしまいます。
 今日(こんにち,同作はまだまだ現役でがんばっているものの,あの事件から完全に回復したとはいえないようです。陸軍と海軍の両者が,あの件について司法省から調査を受けているというウワサも耳にしました。まだまだ話されるべき話も多いはずですが,今後どれだけのことが公開されるのでしょうか。
 このプロジェクトの開発は奇妙なアドベンチャーで,多くのゲーム開発者が体験できるようなものではないでしょう。ゲーム開発自体が珍商売ですが,陸軍のためのゲーム制作なんて,本当にシュールな経験でした。


E3では,さすがにUnreal Engine 3でグレードアップしたバージョンを見ることはできなかったものの,恒例の兵士の演習はもちろん,マウスまでが迷彩色に塗られているほどマニアックなブースが目立っていた

 これを,失職したらしいこの人物の"恨み節"と解釈するべきか,ただ開発中に自分が感じたことを記録しておきたいという"ポストモーテム"(事後分析)として解釈するべきかは,読者の皆さんの判断に委ねておく。確かに,America's Army 2.0以前のほうが良かったというプレイヤーの意見も耳にするが,ゲームに対する好みは人によってさまざまなので,はっきりと結論付けることもできない。
 いずれにせよここに書かれているのは,ボスが陸軍大佐だということを除けば,開発現場では日常茶飯事のように起こる,開発者達の葛藤であるのは間違いない。しかし,この前代未聞のプロジェクトがどのようにして進行していたのかが垣間見えるという意味で,実に興味深い内容といえるだろう。

 この手記的な文章が書かれてから半年以上が経った現在,アメリカ陸軍は,カリフォルニア州とノースカロライナ州に専属の開発チームを保有しており,前述のようにUnreal Engine 3への対応やコンシューマゲーム機への参入など,さらに多角的に展開している。ノースカロライナでは,"トム・クランシーシリーズ"でお馴染みのRed Storm Entertainmentに在籍していた開発者などが加わっており,ここでUnreal Engine 3でのプログラム作業が行われていると思われる。
 結局,この匿名の人物の心配とは裏腹に,陸軍は海軍からうまく引き継いでいるようだ。


America' Armyバージョンアップの履歴
2002年7月4日1.0(Recon)
2002年8月23日1.2.0(Operations)
2002年8月27日1.2.1(Operations)
2002年11月27日1.4(Operations)
2002年12月23日1.5(Operations)
2003年3月17日1.6(Operations)
2003年5月1日1.7(Operations)
2003年8月10日1.9(Operations)
2003年11月6日2.0(Special Forces)
2003年12月23日2.0a(Special Forces)
2004年6月1日2.1(Downrage)
2004年10月19日2.2.0(Vanguard)
2004年11月18日2.2.1(Vanguard)
2005年2月18日2.3(Firefight)


次回は,「ヒップホップジェネレーション」と題してお届けします。

■■奥谷海人(ライター)■■
本誌海外特派員。サンフランシスコ市内にある日系書店で,娘の日本語勉強用にと雑誌「小学一年生」(小学館)を購入したと話す奥谷氏。ところが,その付録にあった「ムシキング」に異常なほどの興味を示したのは,弟のほうとのこと。奥谷氏は,なんとか日本産の本物のカブトムシを入手しようと調べ回ったそうだが,その結果,米国への輸入が禁止されているらしいと判明した模様。それでもなお,「卵や幼虫なら日本から持ち込める?」と聞き回っているというのだから,根性があるというか分からず屋というか。それが持ち込めるのだとしたら,もはや"禁止"ではない思うのだが……。


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