連載 : ゲーマーのための読書案内


ゲーマーのための読書案内

推理ドラマはキャラか物語か?
第10回:『Xの悲劇』→推理アドベンチャー

 

『Xの悲劇』
著者:エラリイ・クイーン
訳者:宇野利泰
版元:早川書房
発行:1988年5月
価格:777円(税込)
ISBN:978-4150701413

 

 1980年代以降の「知のタコツボ化」を嘆くまでもなく,そのジャンルに興味のある人には常識でも,興味のない人はぜんぜん知らない話というものはゴロゴロしている。例えば筆者・虹川は軍艦(Warship)をすべて「戦艦」(Battle Ship)と呼んじゃう人のことを「ありゃりゃ」と思ったりする一方で,フェアレディZとRX-8の実車を見ても,どっちがどっちだか分からない。そっちのほうが問題でしょうとか,RX-8じゃなくてRX-78だったら分かるんでしょ? とかいったツッコミは,甘んじてお受けするとして。
 今回取り上げる『Xの悲劇』は,本連載初のフィクションなわけだが,本格ミステリーの古典的傑作として隠れもない作品だ。著者であるエラリー・クイーン(ここで紹介する本の表記ではエラリイ・クイーン)にしてもミステリー小説史上でトップクラスの有名作家であり,お前ごときがいまさら何を解説するのだ? というくらいの存在である。
 ではあるが,ミステリー小説,とくに海外作品のファンでない限り,実際にはそれほど広く読まれていないと睨んでいる(アガサ・クリスティは知っていてもクイーンは知らないという人は,けっこう多いんじゃないだろうか)。主にそうした人を意識し,PCの推理アドベンチャーゲームのことも念頭に置きつつ,ひとくさり語りたい。

 「X」に限らず,初期クイーンの作風における最大の特徴は,「フェアプレイ」の精神にある。作中で探偵が推理に使う手がかりは,必ず本文に記述され,読者にも与えられる。だから読者が十分に注意深く論理的であれば,作中の探偵と時を同じくして真相にたどり着けるはず。つまり,読み手は読むことを通じて探偵と推理ゲームで競争しているのだ。
 デビュー作からしばらく続く「国名シリーズ」(『ギリシャ棺の謎』のように,国名をタイトルに冠した作品群)では,作中に「読者への挑戦状」が織り込まれている。「ここまでに手がかりはすべて提示したから犯人を推定してみろ」という印が,作中にしっかりと表示されているわけだ。
 たいていの読者は「挑戦状」の後の解決編で,さりげなく見逃していた小さな記述が,実に大きな意味を持っていたことに気づかされて大きな驚きを感じることになる。この「心地よいショック」が,本格ミステリーの大きな魅力といえるのは確かだろう。

 ところが,そうしたフェアプレイの精神や論理性では良く出来ている国名シリーズ初期作品を,あるとき読み返してみると,一抹の物足りなさを感じている自分に気づいた。それは端的に言うと「犯人のドラマ」の欠如だ。もちろん,謎解きの鮮やかさを求めて読んだかつての自分は,十分に楽しい読書体験をしたのだが,最近になってクイーンに手を着けたという読者にはむしろ,この「どこか物足りない」感覚をよく理解してもらえる気がする。
 事件の軸となる人物関係からは外れた,脇役といっていいような人物が犯人として指摘される。そのあと「論理的に,この人物のみが犯人であり得る」から犯人であるとの推理が,探偵の口から語られ,物語の幕が閉じる。確かに心地よいショックはあるのだけれど,昨今の推理ものテレビドラマや映画に慣れた意識で見てしまうと,犯人がせいぜい道具立ての一つにしか見えないような,そういう味気なさをも感じてしまうのだ。
 実際(と言っていいかはともかく),クイーン自身がその後長編の作風を徐々に,やがては大きく変えていくことなる。また「クイーンの影響を受けている」と自認する,現代日本の「新本格」派の推理小説作家の作品の多くでは,ドラマ性を深める犯人の心理描写や,心理ホラーとして読ませる被害者の心理描写が豊かになっている。こうした点で,クイーンの初期作品に一部見られる味気なさが,論理性を重視した推理小説で不可避の問題ではない,ということには触れておきたい。

 一方国内のミステリーアドベンチャーゲームや,推理小説を原作とするドラマの傾向に目を移すなら,こちらは,犯人を含むキャラクターの描写に力点が置かれている半面,論理性には乏しいものが多い。語られるのは結局のところ「殺人事件を素材にしたドラマ」であって,論理性からもたらされる驚きは,添え物的な扱いのことが多い気がする。
 もちろん貴重な例外もあって,かつてハドソンがNEC PC-8801向けに出した「暗闇の視点」(捜査ファイルのみから犯人を指摘する,純推理テキストアドベンチャー)などがそうなのだが,これは2作めがついに出なかった。
 実を言うと筆者・虹川はファミコン時代に「プレイヤーが本当に推理しないと,真のエンディングに行けないミステリーアドベンチャー」を目指した「殺意の階層」の制作に関わったことがある。いまでこそカルト的に評価されることもある作品だが,当時はその意図があまり理解されず,残念な思いをしたものだ。
 言ってしまえば,最初期クイーンが論理性偏重であるのに対し,日本の推理ゲーム/ドラマの多くはドラマ性偏重,論理性過少。「もっと推理を,論理的なショックを!」と長いこと思っていた。
 そうした渇望感は,近年「逆転裁判」シリーズでかなり満たされることになった。背景に十分なドラマ性持ちながら,事件の真相そのものでは十分に推理の楽しさを感じさせてくれる作品だと思う。このシリーズで本格ミステリーと共通する「論理的な心地よいショック」に目覚めたという人も,多いのではないだろうか。

 さて,ここで話は「Xの悲劇」に戻る。この作品は,国名シリーズとは別の4部作の第1作に当たる。この4部作は,引退した老シェークスピア役者「ドルリイ・レーン」を探偵に据えた連作となっている。当時はクイーンがバリバリ長編を書きまくりつつ,作風を微妙に変化させ始めたころでもあり,キレの良い論理性とドラマの重厚さが絶妙に噛み合っている。
 ミステリー小説を紹介するうえでネタバレは禁物なので,ごく軽く。舞台となるのは1930年代のニューヨーク。雨の日の混雑する市電に,同僚や友人とともに乗り込んだ,倣岸不遜な株式仲買人。彼はおよそ例のない,奇妙な凶器で毒殺される。混迷する捜査を尻目に,やがて第2の殺人が……という舞台設定だ。

 本作では中心的に嫌疑が向けられる人物の,苦悩や陰影が比較的深い。犯人逮捕後の「舞台裏にて」という章で語られる犯人の過去と犯行動機もかなり重いもので,論理のための単なる舞台仕立てといった感じは受けない。
 それでいて,論理性の鮮やかさにも際立つものがある。とくに,物語の中盤となる裁判シーンだ。ここで行われる論証の明晰さには,知的興奮を掻き立てられずにはいられないはずだ。
 本作はかなり長いのだが,読者が中だるみしかけるところで,大きな刺激が用意され,再び作品にのめり込ませる構成だ。ここまで読んでくれば,その後大きく流れを変えるドラマと,意外な犯人像に向けて一気に結末まで楽しめるだろう。
 本格ミステリ,その復興としての「新本格」は,優れたゲームのプレイと通底するところのある娯楽だと思う。また,プレイヤーを心地よい驚きに導いてくれる推理ゲームの登場を,願ってやまない。

 

湯煙とか
グルメとか
美人OLとか?
いや,それはそれでよいのかもしれませんが。

 

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■■虹川 瞬(ライター)■■
「ニューアカ」の消長とヲタクの誕生に,パーソナルコンピュータと深く関わりながら立ち会ったPCゲームライター。当サイトでは「シヴィライゼーション4」の連載記事でおなじみだが,予想もつかないことに詳しいあたりが世代の刻印か。ライター業に留まらないスキゾな生き方が,どこまで狙いどおりでどのへんが単なる成り行きなのか,いつか聞いてみたい気がする。


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