連載 : ゲーマーのための読書案内


ゲーマーのための読書案内

すべては「接続ゲーム」のネタへ
第9回:『嗤う日本の「ナショナリズム」』→Webコミュニケーション全般

 

『嗤う日本の「ナショナリズム」』
著者:北田暁大
版元:日本放送出版協会
発行:2005年2月
価格:1071円(税込)
ISBN:978-4140910245

 

 今回は具体的な作品やゲームジャンルと少し違ったところで,我々ゲーマーにとって興味深い本を取り上げてみよう。北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』がそれだ。2ちゃんねる発の「電車男」や,ワールドカップにおける屈託のないナショナリスティックな応援風景などに見られた近年の風潮,ベタなロマン主義とシニカルなセンスとの共存関係を,その成立史に遡って分析したのがこの本だ。いささか先回りして我々ゲーマーにとっての関心事を挙げておくと,インターネットの掲示板で為される作品批評が,どうしてネガティブな評価に流れやすいのかという身近な問題に,大きなヒントを与えてくれる本でもある。

 時代的な風潮の変遷を述べるための出発点として,著者は1960年代の隘路ともいうべき連合赤軍事件(左翼過激派による立て籠もり/リンチ殺人事件)を取り上げ,これを,自分と世界との関係を考え,あるべき自分の姿を不断に追い求め続ける「反省」という思考が,終着点を見失ったまま形式主義に陥った結果と分析する。
 そして,理想の追求を広く他人に強いる「反省」の暴力性に反発する意識として,糸井重里を起点とする「コピーライターの思考」すなわち「抵抗としての無反省」があったとする。当時パルコの宣伝戦略などに見られた,広告であることを公言する広告などを通して表現される,消費社会へのヒネった肯定がその代表というわけだ。
 この「抵抗としての無反省」が,田中康夫の小説「なんとなく,クリスタル」に示された,肩肘を張らない,つまり抵抗であることをさほど強く意識しない消費社会への肯定姿勢である「抵抗としての無反省」を経て,1980年代には俗化していく。その結果が「ひょうきん族」というテレビ番組であり「ギョーカイ」という流行概念であり,川崎 徹というコピーライターであった。

 テレビを舞台装置とする流行が,アイロニカルな表現から社会批評性を脱落させていき,アイロニーは単純に面白いからという理由で使われる日常の道具へと変貌,テレビから学んだアイロニーを手に,今度はテレビにツッコむ視聴者が育つ。これが1990年代におけるインターネットの普及を迎えた時点での,コミュニケーション技法上の流行であり,いささかお行儀のよくない掲示板文化の前提となる。
 そして,1980年代を通して普及したポケベルと,その後継となる携帯電話によるコミュニケーションが,近代の「大きな物語」の共有に代わる「接続の社会性」を生み出していく。それは,権威の体系を参照しつつ自分の立ち位置を決めるのではなく,身近なコミュニケーション相手による承認と評価を重視する姿勢のことだ。
 掲示板における発言は,それを面白いと思って続きを書いてくれる人によってのみ,評価が定まるというシロモノである。そこに先ほどのアイロニカルな心象が一種の流行として加わるとどうなるか。最も簡単にその場を盛り上げ,自分の発言を気の利いたものとして評価してもらうための方法の一つが,悪口大会というわけなのだ。

 ではそんなアイロニカルなコミュニケーションで,どうしていきなりベタなロマン主義がもてはやされるのか。著者はベタの先行例として俵 万智の『サラダ記念日』に注目しつつ,アイロニーを基本ルールとして駆動される接続ゲーム(書き込みの連鎖)で,既存の発言を一気に引き離して超越的な位置に立つための短絡回路として,ロマン主義が導入されているのだと考える。
 もちろん,自分的リアルを重視するベタなロマン主義である以上,アイロニーのルールからは大きく外れており,掲示板の参加者には歓迎する者もいれば,否定する者も出てくる。しかし,そもそもアイロニーとて接続ゲームを成り立たせるためのメジャーな手段の一つにすぎなくなっているのであるから,ベタも面白ければ一つの書き込み戦略として成立してしまう。アイロニーを原則的なルールと考えて理詰めで捉えようとすると,今度はベタな共感性に足許をすくわれるという「一筋縄ではいかない」ところも,2ちゃんねる的な接続性コミュニケーションの特徴だ。

 さて,我々ゲーマーにとってとくに示唆的なのは,まさにこの,掲示板は接続ゲームだという見解である。掲示板が権威の体系や明確な裁定者を欠く以上,ともすればその場が面白いかどうかが価値のすべてになる。事の真偽や表現の適否は,たまさかそれを気にするコミュニケーション参加者がいるときだけ話題となるにすぎない。掲示板におけるコミュニケーションで,しばしば荒唐無稽な陰謀説が披露されたりするのは,事の真偽以前に場の盛り上がりやネタとしての面白さが,無意識に選択されるからである。また,近年よく耳にする「空気よめ」という倫理(?)も,接続性によって各自の位置が確立されるという意識の,端的な表明といえる。

 いまやインターネットはゲームライフに組み込まれており,オンラインゲームにいたっては,Webコミュニケーションを内包する形で発展を続けている。そこで起きる現象や話される事柄を捉えるためのリテラシーは,ゲーマーにとって欠くべからざる心得の一つといえよう。成立史への理解はともかくとしても,Webコミュニケーションを支配する原則についてヒントが得られるという意味で,この本の一読をぜひお勧めしたい。

 

感動もスキャンダルもネタにすぎないということで
という説もまた,ネタになっていくわけです。

 

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■■Guevarista(4Gamer編集部)■■
無駄な読書の量ではおそらく編集部でも最高レベルの4Gamerスタッフ。どう見てもゲームと絡みそうにない理屈っぽい本を読む一方で,文学作品には疎いため,この記事で手がけるジャンルは,ルポルタージュやドキュメントなど,もっぱら現実社会のあり方に根ざした書籍となりそうである。


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