今回紹介するのは,藤木久志の『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』である。日本の戦国時代の合戦において,捕虜が広汎に奴隷(下人)化され,売買されていたことを検証した本だ。
政治史から村落研究に活躍の舞台を移し,包括的な戦国時代研究で権威ともいうべき位置にいる著者は,フランク人の歴史をヒントとして,人々がこの時代の農業で安定的に食べていけないからこそ戦に参加し,戦場が戦国時代の庶民にとって「稼ぎ場」「生命維持装置」だったことを,豊富な古文書/古記録の読解を通じて論証していく。勝っている限りにおいて,戦は敵方の物や人を公然と略奪できる貴重な機会であり,例えば当時甲斐(山梨県)に住む人から見て,武田信玄のどこが偉大だったかといえば,大がかりな略奪機会を作ることで,領民を潤した点であるらしい。
戦国時代は兵農未分の時代である。江戸時代に「庄屋」あるいはそれ以下の村役人となる村の上層階級は,この当時,配下を率いて戦に参加する地侍であった。そして,上杉謙信の度重なる関東侵攻の実施時期に注目した著者は,そこに農閑期の就労機会を作り出す社会政策としての一面を想定する。よく知られているように,謙信は攻め込んだ関東に居座らず,しばらくすると越後へ帰っていったのだが,それはもともと領地の奪取でなく,略奪と口減らしが大きな目的だったからと考えるわけだ。
農閑期の戦争といえば,「天下統一II」を思い出す古参ゲーマーも多いことと思う。この作品の背景にあるのは,藤木氏以前にオーソドックスだった戦国時代観である。戦争がしたくても,兵農未分ゆえに農閑期にしかできなかったという推測だ。しかし,実際のところ農繁期に敵方の農地を荒らす/略奪するのは,農業の先進/後進地帯を問わず戦国の常識であったことが,明らかになりつつある。「武家奉公人」といった形で,戦争を生活手段とする庶民も大勢いたのだ。
戦場を稼ぎ場にするという論点から著者は,大名と契約して戦場周辺を荒らし回る傭兵集団としての「乱妨衆」,「雑兵物語」そのほかに書かれた武家奉公人の生計,戦の現場で将兵に食料を売る商人達の様子などを活写していく。また,日本の戦場で常識だった人と物の略奪習俗が,豊臣秀吉の朝鮮出兵でそのまま海外に持ち出されて猛威を奮ったこと,ポルトガル人が日本人奴隷を船で輸出していたことなどにも触れる。
アンボイナ事件(1623年,オランダがアンボイナ島のイギリス商館を攻撃)で戦ったのが日本人傭兵であったことや,シャム(タイ)の山田長政の話などは有名だが,16,17世紀の東南アジアには,得意失意は知らねども,大勢の日本人がいたのである。
最後に著者は豊臣秀吉の「惣無事令」(豊臣平和令)「刀狩令」について触れ,これらは最終的に,戦=略奪に依存する社会からの脱却を意図したものと結論づける。そして,その文脈に沿って朝鮮出兵を,内戦期間中,国内に充ち満ちた戦争のエネルギー,略奪=富裕化に対する欲望を国外に向け,ガス抜きを行うことで国内の平和を達成するステップとして使ったものと推定する。
時代劇のイメージや英雄物語的な戦国合戦観からはるかに離れたところで,“生きるための問題”として戦国時代の現実を検証する著者の仕事は,この本に限らず興味深い。戦国モノのストラテジーにしばしば顔を出す,現地勢力の「調略」や「工作」といったコマンドが,いったい何をしているのか想像できるわけだ。
惣村で,免税特権と引き換えに戦に出る「軍役衆」,また,室町時代後期からしばしば史料に登場する「足軽をする」という言葉が,村々から非正規兵を募って片方の陣営と契約し,敵方の村や町を破壊略奪する行為を意味するらしいことなどと併せ考えれば,戦国の合戦が大名同士のパワーゲームに留まるものではなく,多くの庶民の利害に組み入れられていたことが理解できるだろう。それが,我々の先祖が見聞し,また体験した時代の現実なのである。