― 連載 ―


干将・莫耶(かんしょう・ばくや)
 名工,干将と妻の莫耶 
Illustration by つるみとしゆき

 中国の春秋時代に,干将(かんしょう)という一人の刀鍛冶がいた。彼は名工と称されるほどの人物で,多くの優れた刀を鍛えたとされている。
 ある日のこと,呉王である闔閭(こうりょ)は干将を呼び出すと,1本の剣を作るように命じた。王にふさわしい剣を作る。そんな大役を仰せつかり,干将は最高の材料を揃えて剣を作り始めた。その仕事ぶりは神懸かりともいうべきものだったが,なぜか材料である金属が溶け合わず剣を完成させられない。
 そんなとき,妻の莫耶(ばくや)が「今回は類い希なる名刀を作らなければならず,そのためには神の助力が不可欠でしょう。太古の昔より,神の加護を得るには神への貢ぎ物が必要です。必ず名剣を完成させてください」と話すと,自らの身を炉の中に投じてしまった。突然の出来事に干将は驚いてしまったが,なんと先ほどまで交わることがなかった金属が混じり合い,剣を鍛えられるようになったという。鬼気迫る作業を終えると,そこには2振りの剣が出来上がっていた。干将は陽剣(雄剣)に「干将」,陰剣(雌剣)に「莫耶」と名付け,莫耶のみを闔閭に献上したという。
 人身御供によって鍛えたとは衝撃的な話ではあるが,莫耶が炉に飛び込んでいないとする説もあり,そちらでは二人の頭髪と爪を自分達の代わりとして炉に放り込み,剣を鍛えたとしている。

 もう一つの干将・莫耶 

 干将・莫耶の逸話には,異なるエピソードもある。こちらは楚の王に頼まれて干将が剣を作るという話。この話では,莫耶は炉に飛び込んではいない。無事に2振りの剣を完成させ,莫耶のみを王に献上するところまでは同じだが,実はこの話が楚の王にばれてしまい,2本の剣を手に出来なかった楚の王は怒り狂い,干将は殺されてしまう。

 干将は死ぬ直前,身重の莫耶に「松は石上に生え,陽剣はその背にあり」との言葉を遺していた。やがて生まれた子供は眉間の間が一尺もある異相の持ち主であったため,眉間尺と名付けられ,すくすくと育っていった。ある日,父の死について莫耶から真相を聞いた眉間尺は,父の遺した言葉を頼りに陽剣,干将を見つけ楚の王への復讐を誓ったが,眉間尺が復讐を誓った頃,楚の王は眉間尺を危険な存在であると思い始めていた。そこで楚の王は「眉間尺を捕らえて殺した者には褒美を出す」と話し,多数の部下を派遣した。
 眉間尺は刺客をものともしなかったが,このままでは復讐を遂げられない。なかなか敵討ちの機会を得られないまま過ごしていた眉間尺のもとに,かつての父の親友が訪れた。どうしても敵討ちをしたいなら,おまえの首をよこせ,その首を持って楚の王の元へと行き,代わりに敵討ちをしようと話した。眉間尺は干将を使って自らの首を切り取ると,絶命してしまった。
 首は父の親友によって楚の王の元へと届けられた。首はその場で釜ゆでになったが,眉間尺の首はなぜか煮えなかった。その知らせを聞いた楚の王が釜を覗くと,眉間尺の生首は口を開いて何かをフッと吹いた。口の中に含まれていたのは陽剣,干将の切っ先で,楚の王の首は釜の中に落ち,さらに眉間尺の首は楚の王の首に襲いかかりると,食い破ってしまったそうだ。

 広く親しまれる干将・莫耶の話 

 干将・莫耶のエピソードには,たくさんのバリエーションがある。これはアーサー王の伝説と同じように,中国で多くの人々に親しまれた結果,派生系が生まれたと見られている。一方,日本では干将・莫耶はあまり親しまれてない内容に見えるが,調べてみると松尾芭蕉の歌に詠まれるなど,一部の文人達に愛されていたようだ。
 さまざまな資料を調べてみたが,形状についてはほとんど記述が見られず,唯一判明したのは干将は黒んでいて亀甲模様があり,莫耶は薄く曇ったように見える剣だったということだ。まだ刀剣の鋳造技術が発達していなかったことを考えると,やや肉厚の無骨な剣であったに違いない。なお春秋時代以降は干将・莫耶は皇帝の宝として保管されれいたそうだが,陳王朝の時代に失われてしまったという。

ニッカリ青江

■■Murayama(ライター)■■
今週末(9月16〜18日)に開催される東京ゲームショウ2005で,MurayamaはMythic EntertainmentのステージでMCを務める予定である。「ダーク・エイジ・オブ・キャメロット」のプレイヤーも,そうじゃないという人も,当日はMurayamaの軽快なトークを聞きに行こう。