― 連載 ―


天逆鉾(あめのさかほこ)
 伊邪那岐命と伊邪那美命 

Illustration by つるみとしゆき
 古事記や日本書紀によると,世界ができた頃は天と海が分かれているだけで,ほかには何も存在していなかった。そこで大地を作る使命を持った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神は,天と地の掛け橋である天の浮橋から天沼鉾(あめのぬぼこ)を降ろして大海原をかき混ぜた。すると,天沼鉾より滴り落ちた塩が固まり,おのころ島が生まれた。伊邪那岐命と伊邪那美命は,おのころ島へ降りると契りを結んで日本列島を生んだという。なお,伊邪那岐命と伊邪那美命はの二神は大海原をかき混ぜるときに天沼鉾の柄でかき混ぜたため,槍の刃が天を向く形(通常,槍は下を向く形が正常)となったことから,天沼鉾は天逆鉾(あめのさかほこ)と呼ばれている。

 坂本竜馬と天逆鉾 

 一説によると天逆鉾は,伊邪那岐命と伊邪那美命から大国主神(おおくにぬしのかみ)に渡され,大国主神は天逆鉾を使って国土を平定。見事国造りを完成させた。その後,大国主神の隠居と共に天逆鉾は邇邇芸命(ににぎのみこと)へと譲渡され,国家平定に役立ったらしい。
 大地を作り,国を作り,国家の平定に活躍した天逆鉾だが,実は神話だけの産物ではない。伝説では邇邇芸命が地上に降臨したときに,鹿児島県は霧島の高千穂峰の山頂に天逆鉾を突き刺し,天下の平和を願うと同時に,二度と鉾が使われることがないように祈ったといわれている。
 神々によって振るわれてきた天逆鉾だが,実は大きな関わりを持っている人物がいた。それは幕末の志士,坂本竜馬である。日本人初の新婚旅行を行ったとされる坂本竜馬は,なんと霧島を訪れていた。そして,誰もが(恐れ多くて)抜けなかった天逆鉾を坂本竜馬は引き抜いてしまい,その様子を姉への乙女への手紙で語ったという(その手紙は桂浜の竜馬記念館で見られるとのこと)。これが後の彼の人生に影響したかは不明だが,なんとも大胆な行動である。

 実在する天逆鉾 

 邇邇芸命が地上に降臨したとき,鹿児島県は霧島の高千穂峰の山頂に天逆鉾を突き刺したと前述したが,実際に今でも山頂には天逆鉾は突き刺さっている。詳細は不明だが奈良時代にはすでに存在していたらしい。とはいっても実物は火山爆発による災害で折れてしまい,現在あるものは地中の柄の部分のみがオリジナル。それ以外の部分は作り直されたもである。
 刃の行方については,災害後に村人に発見されて島津家に献上され,荒嶽神社に奉納されたようだ。今でも荒嶽神社では御神体として天逆鉾の刃の部分が奉られているが,残念ながら模造品であるとのこと。
 古事記や日本書紀には天逆鉾の形状に関する記述がないので,天逆鉾の形状は不明。そこで高千穂峰山頂や荒嶽神社のものを参考にするしかないが,高千穂峰の山頂のものは地中の柄のみが本来のもので,それ以外は後から作られたうえ,制作課程においてデザインも大きく変えられているらしい。参考までに高千穂峰山頂のものを紹介すると,三つの穂先を持ち,刃の直下の柄の部分には鬼のような顔が掘られている。一方,荒嶽神社のほうで奉られている御神体は刃の部分のみで刃は一枚,ややふくよかな形状をしている。後者のほうがしっくりくるのだが,読者諸氏はいかがだろうか?

 ちなみに実際の刃の行方を調べてみたのだが,荒嶽神社から千足神社へと移され,さらに近隣の小学校校庭の祠へと移され,当時の軍へと渡り,人手に渡ったという。ここまで落ち着かない御神体というのも珍しいが,ぜひとも柄と刃を一つにまとめて,本来の形を取り戻してもらいたいものである。それとも,天逆鉾が完成したとき,何かが起こってしまうのだろうか?



■■Murayama(ライター)■■
今日は本連載のデザインを担当している編集部のGyokuroに,Murayamaの第一印象を聞いてみよう。「ええと……遊び人? いい意味で遊び人。20年後も変わってなさそう」。ちなみに,この二人が実際に会ってしゃべったのは1日だけ。たった1日で,そんな印象を持たれるMurayamaって……。