さて,まずは長い歴史を誇るUOの過去についてちょっとお話ししよう。その昔,ウルティマ オンラインには“フェルッカ”と呼ばれる危険な世界しか存在しなかった。フィールド上でのPK(Player Kill=ほかのプレイヤーを攻撃すること)や盗みといった危険な行為が自由に行えるフェルッカでは,信じられるのは己のプレイヤースキルのみ。一瞬の油断が死を招き,自分の死体から金目のアイテムをごそごそと漁る殺人者の姿を,幽霊になったまま恨めしげに見つめることしかできないという恐ろしい世界だ。
だが,そんなハードな世界観に魅せられた,腕に覚えあるプレイヤー達がこぞってブリタニアの住人となっていった。PK行為を重ねるプレイヤーにはシステムから賞金がかけられ,その首をはねて持ち帰ればゲーム内通貨と交換できた時代すらあったと言えば,その状況を想像できるだろうか?
ベテランプレイヤーの中には,1990年代の終わり頃,Yamatoシャードで行われたギルド大戦(※)のことを思い出す人もいるだろう。最盛期には200名対200名ほどの戦いとなり,負けたギルドは最終日に処刑,その場で解散させられるという苛酷にして凄惨な戦いが繰り広げられたのである。
日本シャードがない時代からプレイしていたベテランユーザーが,日本シャードの開設と同時にお引越し。その際に元Bajaと元Napa Valley(どちらも海外シャード)の二つに別れて,戦争が行われたのがYamatoWarの発端。
Yamatoシャードに当時存在していたギルドの9割近くがどちらかの派閥に加わって,対人戦を楽しんだ。通りすがりのPK行為とは異なり,お互いが色分けしたローブに着替え,時間と場所を決めて戦闘を開始するというスタイル。当時は日本もADSLサービス開始前でPCのスペックも低かった時代ゆえに,プレイヤーが集まるとラグもひどく,どちらの派閥にも大量の死者が出た。アイテムを失わない「保険システム」もなかった時代だけに被害もひどかったが,Yamatoの多くの住人が熱く燃えて,この戦争を楽しんだ。
やがて,いくらなんでもそれでは厳しすぎるということで,フェルッカと瓜二つだが,より安全な「トランメル」をはじめとした新エリアが次々とが導入されていった(厳密には,「フェルッカ」という名前が作られたのもそのときだ)。かくして,現在ウルティマ オンラインでプレイヤーが行動できるのは,「フェルッカ」「トランメル」「イルシェナー」「マラス」「徳之諸島」の五大陸となり,それぞれの大陸は「ムーンゲート」と呼ばれるポータルを通じてのみつながることとなる。
イルシェナー,マラス,徳之諸島の三つは後の拡張パックにより追加された,UOの歴史の中では比較的新しいエリアだ。だが,PK行為が原則不可能なこれらの新大陸が追加された現在でも,フェルッカには,そこでしか手に入らない数々のメリットを求めて日々多くのプレイヤーが危険と隣り合わせを承知で乗り込んでいく。何度も泣きながらフェルッカから帰ってきた経験のある筆者は声を大にして言いたい。UOの真髄はフェルッカにあり! なので新規プレイヤーの方々は,“Young”の称号が取れた暁には,ぜひともあちら側の世界を一度は体験してほしい。きっと泣きながらトランメルに帰ってくることになるだろう。UOKRでフェルッカがどのようなグラフィックス的変貌を遂げたかを確認するためだけにも行ってみる価値はあるはずだ。