― 連載 ―


 孫悟空の誕生 

Illustration by つるみとしゆき
 孫悟空は,日本でも知名度の高いヒーローの一人。三蔵法師,猪八戒,沙悟浄,白馬とともに天竺を目指して冒険する「西遊記」は,多くの人に愛されている物語である。
 はるか昔の中国では,神々の住む須弥山を中心に八つの山と海があり,その外側には大海と東勝神州(とうしょうしんしゅう),西牛賀州(せいごかしゅう),南贍部州(なんせんぶしゅう),北倶蘆州(ほくぐるしゅう)の四つの島があると信じられていた。
 その東勝神州の敖来国(傲来国と書く場合もある)にある花果山の頂上には,高さ三丈六尺五寸,周囲二丈四尺の岩があった。この岩は世界ができたときからそこに存在しており,長い年月と共に霊気を蓄えるようになった。ある日,岩が弾けたかと思うと中から毬くらいの石が飛び出し,風を受けると一匹の石猿が生れたのだ。
 石猿はめきめきと頭角を現すと猿達の王に君臨し,名前を美猴王と改めた。そして花果山や水簾洞を舞台に自由気ままな生活を送るようになる。が,楽しい暮らしの中で美猴王はやがて尽きてしまう寿命に不安を覚えるようになったのである。そんなとき,一匹の猿が仏/仙人/神は輪廻から外れていると美猴王に教えた。これを聞いた美猴王は,永遠の命を手に入れるべく仙人の弟子になることを決意すると,猿達に別れを告げて旅立っていった。
 南贍部州に到着した美猴王は,須菩提祖師という仙人に弟子入りした。そのとき須菩提祖師から"孫悟空"という名前をもらっている。ちなみにネーミングは中国では猿を胡孫と呼ぶことから,そこから一文字を取って姓を「孫」とし,名の「悟空」は,須菩提祖師の門弟は「広大智慧」「真如性海」「頴悟円覧」の12文字から一文字をとって名をつけることになっていたが,,美猴王は10番めであったことから「悟」,須菩提祖師は空の道の第一人者であったことから「空」の字をもらって「悟空」とつけられたものである。こうして弟子入りした孫悟空は,10年かけて変化の術を中心に仙術を習得すると,筋斗雲に乗って花果山へ帰っていったのである。

 如意棒の入手 

 あまり物語に触れているとスペースがいくらあっても足りないので,肝心の如意棒に話を移そう。花果山に帰った孫悟空は,かつて自分が住んでいた水簾洞が魔物に荒らされているのを見て,これを撃退し,猿達を武装させようと考えた。が,猿達に見合った武器は調達できたものの(といっても町から盗んできた),どの武器も孫悟空には軽く感じられて満足できなかった。そこで数々の宝物が収められているという東海龍王敖広の宮殿へと向かい,武器をもらうことにした。龍王は不遜なやつだと思いながらもいくつかの武器を見せたが,どの武器も軽く孫悟空は満足しなかった。それを見ていた龍王后は敖広に「そんなに重いものがほしいなら,かつて海底をならすために使った重さ一万三千五百斤の"神珍鉄"をくれてやればいい」と耳打ちした。
 宝物庫へ案内されて神珍鉄を見た孫悟空は,実は武器ではないことを知らずにそれを手に取ると,大いに喜んだ。ちなみに神珍鉄に「如意金箍棒」と彫られていたことから,以後,西遊記では如意金箍棒(にょいきんこぼう)または如意棒と呼ばれている。
 ちなみに孫悟空は武器だけでは物足りないと,南海龍王敖欽からは鳳凰の羽根の付いた紫金の冠,西海龍王敖閏からは黄金の鎖かたびら,北海龍王敖順からは蓮糸で編んだ歩雲履をせしめている。ほぼ強奪に近い形だったこともあって,龍王達は孫悟空を処罰してほしいとの手紙を玉帝に送ることになる。
 この先は皆さんもご存知の通り,孫悟空のヤンチャぶりに天界の神々や仙人が手を焼き,釈迦の力によって五行山に孫悟空は封じ込められる。やがて三蔵法師に解放され,ともに天竺を目指して冒険することになるのだ。

 如意金箍棒とは? 

 如意金箍棒は別名,天河鎮定神珍鉄と呼ばれている。所有者の意の如く伸縮自在で,両端に金の飾りがついた棒であることから,如意金箍棒と呼ばれる。最初の所有者は治水に優れる夏王朝の禹王で,彼はこれを使って川や海底(天の川という説もある)の底をならしていたのだそうだ。禹王のあとは水を司る龍王のものになり,伸縮自在という特性を生かして,測量などにも使われていたらしい。当初,如意棒は武器ではなく,測量や治水の道具であったのだ。ちなみにその伸縮自在性は上は神々の住む三十三天に達し,下は十八地獄に至るそうで,ほぼ無限といえそうだ。
 如意金箍棒を武器として使ったのは孫悟空が初めてであり,通常は手に持っているが,そうでないときは楊枝程度の大きさにして耳にしまっている。形,重量,特性についての記述はどの書籍でも共通だが,実は色に関しては諸説あるようで,多いのが赤,銀,黒の三色。日本では赤や黒が多く,中国では銀色である場合が多い。このあたり掘り下げて調べてみると,面白い発見がありそうだ。



■■Murayama(ライター)■■
昔のバス停(の看板)は重りが付いていただけで,その気になれば引きずって移動可能であった。かつてMurayamaの祖父は,毎日バスから降りるたびに,自宅のほうに10センチくらいずつバス停をずらしていたという。やがてバス停の支柱が地面に埋め込まれて固定されることになったとき,バス停の位置は本来の場所ではなく,Murayamaの祖父が移動させた場所に確定,自宅からとても近い位置にバス停が落ち着いたらしい。ヤンチャな一族だなぁ。