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帝を擁立し,押しも押されもせぬ大勢力となった我が陣営。代償として,やっぱり汝南は奪われちゃったが,それはもう仕方のない犠牲である。 次なる目標は,最大の対抗勢力である曹操を叩き潰すことだ。劉備もなんだかんだで具合に領土を拡げてはいるが,とりあえずは同盟を結んでいることもあるし,近々に脅威とはならないだろう。張魯にいたってはほっといても滅びそうなので無視。 ただ,叩き潰すなんて勇ましいことを言っても,当面はこっちが叩き潰されないようにするので精一杯。曹操軍の猛攻といったらもう凄まじい勢いで,次から次へと間断なく攻めてくる。許昌を取られた怒りがひしひしと伝わってくるかのようだ。そんな状態で「次は荊北を落とせ」なんて暢気に言われても,そりゃ無理ってもんですよ孫権さん。
かし忘れてはならないのが,ワタクシ周瑜の寿命の問題。前回はすっかり忘れていたが,周瑜って本当は210年にはもう死んでるんだよね。すでにして3年ほど長生きしているわけだが,これはやっぱり延命アイテムの「屠蘇延命散」が効いてるのでしょうなあ。買っておいて本当によかった。 だが,噂によると延命アイテムの効果はたかだか10年ほどらしい。そうすると,天下統一のためにはあんまりゆっくりと地盤固めをしてはいられないわけだ。中途半端なところでこの周瑜が倒れてしまえば,孫権軍は,呉は,伯符との固い約束はいったいどうなる? こんなことなら仮想モードでプレイしていればよかった,なんてこともちょっと考えたが,今さら言っても詮無きこと。できるだけ急いで頑張るしかない。
れにしても曹操陣営は固い。戦争要員も内政要員もいい武将が揃っている。これは正面から攻撃を仕掛けてもなかなか崩せそうにない……。ということで,ここは「計略」メニューを駆使していくことにした。 要するに,波状攻撃をかけてくる曹操軍から許昌を守るために最低限の人員だけ確保しておいて,残りの連中は曹操軍の各都市に諜報・破壊・扇動を仕掛けまくるという作戦である。魯粛,呂蒙,伊籍をはじめ,我が陣営には計略が得意な武将がわりかし揃っているのだ。こうやって力を削いでいかないと,なかなか曹操には勝てない。 さらに,防衛戦の際にも,もっと気を使うことにした。都市に攻め込まれると,各武将に下しておいた命令がチャラになってしまうので,地図で敵軍の動きを確認しながら野戦で迎撃する作戦をとる。戦いでの犠牲は多少増えるが,内政作業が途切れることもないので,差し引きプラスになるわけだ。 こうして地力を蓄え,見事汝南を奪回した我が軍。過酷な状況の中で,順調に荊北を手中に収めていく自分の手腕が怖い。次なる目標は新野あたりか。
野を奪ったあたりで,急な伝令が。孫権軍の重鎮,張紘死去の報だ。こちらも史実よりは多少長生きしたようだ。直接の部下ではなかったが,孫権軍にとって惜しい人を亡くしたのは事実。 余勢を駆って江夏,襄陽を連続制圧。これでようやく,孫権軍本拠地と地続きに戻ったわけだ。さすがに四方を敵に囲まれた状態だとキツ過ぎるので,やっかい事は周瑜に任せっきりで自分から領土を広げようとしない孫権様だが,せめてこちらの背後は守っていただきたい。 さらに許昌を"巨大都市"にすることに成功。巨大都市となった許昌では重歩兵が作れるようになる。とりあえず張魯の上庸を落として,「荊北攻略」の命をクリアしておこうか。
週間ですよ! たった一週間! 任務達成が期限からほんのちょっと遅れたくらいで,あの孫権ジジイったら嫌味ったらしい口調でネチネチと! 腹が立ったので,孫権様が言ってくる任務には,真面目に取り合わないようにしよう。どうせ周瑜の功績も名声も限界値まで達しちゃってるし。 しかし,ここで予想外のトラブルが。「荊北攻略」の任務を達成するため,それまで完全中立だった張魯に手を出したのが裏目に出た。都市が二つしかない弱小勢力と侮っていたが,なかなかに腰が強く,強烈な反撃を受けてすぐさま上庸を取り返されてしまう。 本拠を陳留に移した途端,今度は直属の配下である程普が死亡。そういえば最近,ずっと病気がちだったような。能力もそれなりに高く,いろいろと役に立つ武将だったのだが。合掌。
操領を奪った直後に起こる,恒例の猛攻撃を凌いだところで,今度は魯粛が死亡! 痛い,痛すぎる。しかしこう武将の訃報が続くと,自分の寿命がいつ尽きてもおかしくないような気もしてくる。 悲しみを乗り越えて,陳留を大都市にアップグレードさせる。これで"衝車"の作成が可能になり,都市攻略がだいぶ楽になった。小沛,寿春とテンポよく落としていく。 調子乗りついでに,中原に「戦役」発令! 普段はなかなか援軍を出さないしぶちんの孫権様も,戦役ともなればふんだんに軍勢を送ってくる。戦役では,通常戦闘に比べて計略の効果が少ないため,わりと真っ向勝負になるのだが,それでも我が軍はもう十分に曹操軍を圧倒できるほどに成長していた。半年以上に渡る戦いの末,孫権軍は見事戦役に勝利したのだった!
原を手に入れ,勢力図でも明らかに曹操を圧倒し始めた我が軍。孫権様も丞相の勅命を受け,その勢いはもはや止まらない。お次は大都市・ギョウを落とし,そこに本拠地を移動させた。 ギョウに行ってみると,「観星亭」という面白い建物があった。なんでも,天変地異を予測したり,武将の寿命がわかったりするらしい。天変地異はひとまずおいといて,飛びつくように自分の寿命を観てもらう。後何年,みたいに具体的な数字は出なかったが,やっぱりあまり長くはもたないようだ。天下統一が無理でも,せめて曹操だけでもなんとかしないと……。 ちなみに,何気なく黄忠の寿命も聞いてみたところ,「しばらくは大丈夫でしょう」と言われた。向こうは周瑜より30歳近くも年上なのにな。悔しい。
が長くないことがはっきりし,ますます猛烈に働く周瑜。20人以上の現役武将を,計略,内政,戦闘にフル回転させ,曹操を追い詰めていく。陳留の技術が上がり,井闌と霹靂車を作れるようになったのが非常に大きく,防御が最大の城壁でも瞬く間に破壊していく。自軍の都市もどんどん増え,孫権様の位も公,そして王と,どんどん上がっていったが。もはやそんなことはどうでもいい。 己の死を目前に控え,狙うは曹操の首一つ。曹操本人を追うように河北を制圧していくが,襄平まで追い詰めるも,なぜか荊南の曹操軍都市に逃げられる。すかさず本拠を柴桑に移し,長沙,武陵も奪取。すると今度は長安に現われる曹操。神出鬼没だ。 残る曹操軍の都市は,長安,安定,武都,天水,武威,西平の6都市のみ。対曹操戦は,そろそろ最終局面だ。しかし。この段階ですでに219年の半ばすぎ。「屠蘇延命散」の延命効果が本当に10年なら,そろそろ限界も近い。1都市ずつゆっくり落としている時間はないか……?
安を落として本拠にし,そこに10万以上の兵を結集させる。あちこちの都市で強化させたうえ,陳留で兵器を装備させた最強の軍勢だ。そしておもむろに戦役発動。 戦闘は年をまたいで数ヶ月に及んだが,張昭軍,黄蓋軍の援軍を得て,西北を孫権色に染め上げた。戦役は終わったが,しかし周瑜はまだ止まらない。長安に戻ったその日に,唯一残った曹操軍の都市,武都に進軍開始! 霹靂車,井闌を使いまくり,虐殺ともいえる戦いっぷりでついに曹操軍を滅亡させたのであった。
操軍を大陸の地図から消し,長安に凱旋した翌日,ついに周瑜の寿命が尽きた。タイミング的に出来すぎと思われるかもしれないが,恐らくは戦役や戦闘が発動中だったおかげで,さらに少しだけ寿命が延びたのではなかろうか。220年没,享年46歳。もう1滴も出ぬほど絞り尽くし,灰も残らぬほど燃やし尽くした壮絶な人生であった。 大望に突き動かされ,存命中にまさかの巨魁曹操打倒を果たしてしまった稀代の知将。惜しくも天下統一はならなかったが,史実での無念を大きく晴らせたプレイだったと申せましょう。青空に浮かんだ伯符と公瑾の面影にVサイン。
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