プレイレポート 三國志:豪傑大陸

第二回

周瑜公瑾
周瑜公瑾 後編
 コーエー「三國志X」プレイレポートの第2回。今回は周瑜リプレイの後半だ。目標は,周瑜の存命中に天下統一すること。史実では210年に36歳の若さで病没する周瑜で,207年からのシナリオでプレイを始めて,どのように中国大陸を統一しようというのか。う〜ん,あまり考えてなかった。
 前回,許昌(献帝がおわす都市)まで攻め落とした周瑜だが,その代償はかなり大きく,手薄となった背後の汝南,廬江,寿春といった要の都市を曹操に奪われる。おかげで周瑜の駐屯する許昌は曹操軍によって孫勢力から分断され,完全に囲まれて孤立してしまった(第1回「こちら」の写真参照)。213年,果たして周瑜はここからどう戦っていくのか?

献帝を擁立し,押しも押されもせぬ大勢力となった我が陣営。代償として,やっぱり汝南は奪われちゃったが,それはもう仕方のない犠牲である。

 次なる目標は,最大の対抗勢力である曹操を叩き潰すことだ。劉備もなんだかんだで具合に領土を拡げてはいるが,とりあえずは同盟を結んでいることもあるし,近々に脅威とはならないだろう。張魯にいたってはほっといても滅びそうなので無視。

 ただ,叩き潰すなんて勇ましいことを言っても,当面はこっちが叩き潰されないようにするので精一杯。曹操軍の猛攻といったらもう凄まじい勢いで,次から次へと間断なく攻めてくる。許昌を取られた怒りがひしひしと伝わってくるかのようだ。そんな状態で「次は荊北を落とせ」なんて暢気に言われても,そりゃ無理ってもんですよ孫権さん。

団体様いらっしゃい。こんな大勢やってこなくてもいいのに,というくらいの曹操軍。なんとか撃退しましたが 許昌は守っているものの,曹操は劉備を叩いて領土を広げ,勅命を真に受けて王に就任しやがりました。腹立たしい 曹操の猛攻がひと息ついたスキを狙って,なんとか宛を陥落せしめる。しかし,ここを守るのがまた大変そうだ……

しかし忘れてはならないのが,ワタクシ周瑜の寿命の問題。前回はすっかり忘れていたが,周瑜って本当は210年にはもう死んでるんだよね。すでにして3年ほど長生きしているわけだが,これはやっぱり延命アイテムの「屠蘇延命散」が効いてるのでしょうなあ。買っておいて本当によかった。

 だが,噂によると延命アイテムの効果はたかだか10年ほどらしい。そうすると,天下統一のためにはあんまりゆっくりと地盤固めをしてはいられないわけだ。中途半端なところでこの周瑜が倒れてしまえば,孫権軍は,呉は,伯符との固い約束はいったいどうなる?

 こんなことなら仮想モードでプレイしていればよかった,なんてこともちょっと考えたが,今さら言っても詮無きこと。できるだけ急いで頑張るしかない。

豪傑コラム:寿命と延命について
延命アイテムの一つ,五石散。価格は金6000と,大変高価。実際には,三國志の時代に流行した麻薬の一種

 各登場人物には寿命が設定されている。史実で老衰死や病死を遂げた人物の寿命は史実とほぼ同様の年に設定されており,戦死や事故死した人物は史実よりも幾分長めに設定されているようだ。
 周瑜のような,オススメシナリオから寿命が尽きるまでの猶予が3年くらいしかない武将の場合は,基本的に延命措置をとらなければならない。その最たるものが,特殊施設の「大商家」で取り扱っている延命アイテムだ。種類に「五石散」や「屠蘇延命散」などがあり,いずれも持っていれば10年ほど寿命が延びるらしい。また,別の特殊施設「観星亭」では,あらゆる武将の大まかな死期を予言してもらえる。


延命アイテムのひとつ,「屠蘇延命散」。これを持っていなかったらと思うとぞっとしますな。周瑜って早死にだよなあ たまに自宅に帰ると珍客が。義兄弟の契りを交わして以来,疎遠になっていた黄蓋だ。南海からわざわざ…… 曹操軍から,またまたお誘いがかかる。今度はカクが内通を勧めてくれたが,当然にべもなく拒否

しれにしても曹操陣営は固い。戦争要員も内政要員もいい武将が揃っている。これは正面から攻撃を仕掛けてもなかなか崩せそうにない……。ということで,ここは「計略」メニューを駆使していくことにした。

 要するに,波状攻撃をかけてくる曹操軍から許昌を守るために最低限の人員だけ確保しておいて,残りの連中は曹操軍の各都市に諜報・破壊・扇動を仕掛けまくるという作戦である。魯粛,呂蒙,伊籍をはじめ,我が陣営には計略が得意な武将がわりかし揃っているのだ。こうやって力を削いでいかないと,なかなか曹操には勝てない。

 さらに,防衛戦の際にも,もっと気を使うことにした。都市に攻め込まれると,各武将に下しておいた命令がチャラになってしまうので,地図で敵軍の動きを確認しながら野戦で迎撃する作戦をとる。戦いでの犠牲は多少増えるが,内政作業が途切れることもないので,差し引きプラスになるわけだ。

 こうして地力を蓄え,見事汝南を奪回した我が軍。過酷な状況の中で,順調に荊北を手中に収めていく自分の手腕が怖い。次なる目標は新野あたりか。

曹操軍にバリバリ計略をかましていく。都市の防御値を下げる「破壊」は,重ねて使うとかなり簡単に都市を落とせる 都市の近郊で曹操軍を迎え撃つ。戦闘中も,周瑜の「計略」は冴えまくり。火計,同討,混乱などを駆使し,敵を翻弄する 有名どこの武将を斬らねばならないときには,なんとなく感慨深いものが。登用できない場合はしようがないのだが

新野を奪ったあたりで,急な伝令が。孫権軍の重鎮,張紘死去の報だ。こちらも史実よりは多少長生きしたようだ。直接の部下ではなかったが,孫権軍にとって惜しい人を亡くしたのは事実。

 余勢を駆って江夏,襄陽を連続制圧。これでようやく,孫権軍本拠地と地続きに戻ったわけだ。さすがに四方を敵に囲まれた状態だとキツ過ぎるので,やっかい事は周瑜に任せっきりで自分から領土を広げようとしない孫権様だが,せめてこちらの背後は守っていただきたい。

 さらに許昌を"巨大都市"にすることに成功。巨大都市となった許昌では重歩兵が作れるようになる。とりあえず張魯の上庸を落として,「荊北攻略」の命をクリアしておこうか。

215年に張紘死亡! 史実より4年ほど長生きしたとはいえ,呉陣営にいるものにとってはショックです 江夏の太守だった夏侯淵を処断したため,夏侯一族から仇敵と目されることに。どのみち敵だから,どうでもいいんですが 技術開発の甲斐あって,許昌がついに巨大都市に。技術開発所も建設され,軍団を強化できるようになった。頼もしい限り

一週間ですよ! たった一週間! 任務達成が期限からほんのちょっと遅れたくらいで,あの孫権ジジイったら嫌味ったらしい口調でネチネチと! 腹が立ったので,孫権様が言ってくる任務には,真面目に取り合わないようにしよう。どうせ周瑜の功績も名声も限界値まで達しちゃってるし。

 しかし,ここで予想外のトラブルが。「荊北攻略」の任務を達成するため,それまで完全中立だった張魯に手を出したのが裏目に出た。都市が二つしかない弱小勢力と侮っていたが,なかなかに腰が強く,強烈な反撃を受けてすぐさま上庸を取り返されてしまう。

 ちなみに張魯とは,五斗米道なる宗教秘密結社の教祖様。曹操の"鶏肋"のエピソードで有名な,捨てるには惜しいけど食べようにも肉のない土地"漢中"を根城に,怪しげなムニャムニャを執り行っている勢力である。

 こっちは曹操の相手もしなきゃならないので,張魯にトドメを刺しに行くこともできない。何度か上庸を取ったり取られたりした挙句,結局こちらが折れ,張魯と和睦することに。屈辱だが,曹操攻略の方が優先事項だしな……。

 張魯問題が一段落し,今度は陳留に攻め込んだ。曹操は取り逃がすが,楽進,徐庶,徐晃,曹丕を捕らえる。が,ひとりも登用できず,惜しくも全員処断。周瑜を仇敵とみなす武将がどんどん増えていきますな。これも乱世の宿命なのでしょう。

 本拠を陳留に移した途端,今度は直属の配下である程普が死亡。そういえば最近,ずっと病気がちだったような。能力もそれなりに高く,いろいろと役に立つ武将だったのだが。合掌。

張魯領だった上庸を攻略し,これでなんとか荊北制圧の任務を達成。しかしこのせいで,張魯との抗争も勃発してしまう 許昌から攻め入れる都市はいくつかあったが,曹操本人がいるということで陳留へ。しかし捕らえることはできず なんか最近ずっと軽症だな,と思っていたらいきなり程普が死亡! かなり使用頻度の高い部下だっただけに,衝撃も大きい

曹操領を奪った直後に起こる,恒例の猛攻撃を凌いだところで,今度は魯粛が死亡! 痛い,痛すぎる。しかしこう武将の訃報が続くと,自分の寿命がいつ尽きてもおかしくないような気もしてくる。

 悲しみを乗り越えて,陳留を大都市にアップグレードさせる。これで"衝車"の作成が可能になり,都市攻略がだいぶ楽になった。小沛,寿春とテンポよく落としていく。

 調子乗りついでに,中原に「戦役」発令! 普段はなかなか援軍を出さないしぶちんの孫権様も,戦役ともなればふんだんに軍勢を送ってくる。戦役では,通常戦闘に比べて計略の効果が少ないため,わりと真っ向勝負になるのだが,それでも我が軍はもう十分に曹操軍を圧倒できるほどに成長していた。半年以上に渡る戦いの末,孫権軍は見事戦役に勝利したのだった!

新兵器・衝車の威力は抜群。すごい勢いで敵軍都市の城壁を破壊していく。事前の破壊工作に手間をかけずに済むようになった 中原地方にて,本リプレイ初の戦役発令。劉備と張魯の2勢力は様子見。まぁ,こっちの邪魔さえしなけりゃいいや 戦役はたっぷり半年ほど続いたが,結局我が軍の大勝利! 戦闘自体の爽快感は少ないが,やはり勝ったときは気持ちいい

中原を手に入れ,勢力図でも明らかに曹操を圧倒し始めた我が軍。孫権様も丞相の勅命を受け,その勢いはもはや止まらない。お次は大都市・ギョウを落とし,そこに本拠地を移動させた。

 ギョウに行ってみると,「観星亭」という面白い建物があった。なんでも,天変地異を予測したり,武将の寿命がわかったりするらしい。天変地異はひとまずおいといて,飛びつくように自分の寿命を観てもらう。後何年,みたいに具体的な数字は出なかったが,やっぱりあまり長くはもたないようだ。天下統一が無理でも,せめて曹操だけでもなんとかしないと……。

 ちなみに,何気なく黄忠の寿命も聞いてみたところ,「しばらくは大丈夫でしょう」と言われた。向こうは周瑜より30歳近くも年上なのにな。悔しい。

大陸でも一,二を争う巨大都市,ギョウ(変換できず)。都市のグラフィックもなかなかの迫力だ。いろいろと面白い建物もある 「観星亭」では,武将の寿命のだいたいのところを知ることができる。天変地異の予測もできるらしいが,それはまた今度 「大商家」にて「七星宝刀」が売っていたので,思わず軍の予算で購入する周瑜。まあ,自分へのプレゼントってことで

先が長くないことがはっきりし,ますます猛烈に働く周瑜。20人以上の現役武将を,計略,内政,戦闘にフル回転させ,曹操を追い詰めていく。陳留の技術が上がり,井闌と霹靂車を作れるようになったのが非常に大きく,防御が最大の城壁でも瞬く間に破壊していく。自軍の都市もどんどん増え,孫権様の位も公,そして王と,どんどん上がっていったが。もはやそんなことはどうでもいい。

 己の死を目前に控え,狙うは曹操の首一つ。曹操本人を追うように河北を制圧していくが,襄平まで追い詰めるも,なぜか荊南の曹操軍都市に逃げられる。すかさず本拠を柴桑に移し,長沙,武陵も奪取。すると今度は長安に現われる曹操。神出鬼没だ。

 残る曹操軍の都市は,長安,安定,武都,天水,武威,西平の6都市のみ。対曹操戦は,そろそろ最終局面だ。しかし。この段階ですでに219年の半ばすぎ。「屠蘇延命散」の延命効果が本当に10年なら,そろそろ限界も近い。1都市ずつゆっくり落としている時間はないか……?

遠距離から城壁や部隊に大ダメージを与えられる「霹靂車」。攻撃の命中率がちと低いが,それでも使い勝手はかなりいい 全方位に激しい射撃を浴びせられる「井闌」。射程距離も射撃回数も通常の飛び道具ユニットをはるかに上回る せっかく襄平まで追い詰めたと思ったのに,するりと逃げ出した曹操。え〜い,地の果てまでも追いかけてやる!

長安を落として本拠にし,そこに10万以上の兵を結集させる。あちこちの都市で強化させたうえ,陳留で兵器を装備させた最強の軍勢だ。そしておもむろに戦役発動。

 戦闘は年をまたいで数ヶ月に及んだが,張昭軍,黄蓋軍の援軍を得て,西北を孫権色に染め上げた。戦役は終わったが,しかし周瑜はまだ止まらない。長安に戻ったその日に,唯一残った曹操軍の都市,武都に進軍開始! 霹靂車,井闌を使いまくり,虐殺ともいえる戦いっぷりでついに曹操軍を滅亡させたのであった。

時間との勝負になった周瑜の戦い。今度は西北にて戦役を発令! 大勢力を集結させ,曹操軍の都市を次々に落としていく 戦役勝利後,息をつく間もなく最後の曹操軍の都市へ侵攻し,これまた勝利! 苦節13年,ついに曹操軍を滅亡させたのだ 曹操の滅亡を見てすぐ,息をひきとった周瑜。あとはほっといても天下統一できるというとこまできて,ついに力尽きた

曹操軍を大陸の地図から消し,長安に凱旋した翌日,ついに周瑜の寿命が尽きた。タイミング的に出来すぎと思われるかもしれないが,恐らくは戦役や戦闘が発動中だったおかげで,さらに少しだけ寿命が延びたのではなかろうか。220年没,享年46歳。もう1滴も出ぬほど絞り尽くし,灰も残らぬほど燃やし尽くした壮絶な人生であった。

 大望に突き動かされ,存命中にまさかの巨魁曹操打倒を果たしてしまった稀代の知将。惜しくも天下統一はならなかったが,史実での無念を大きく晴らせたプレイだったと申せましょう。青空に浮かんだ伯符と公瑾の面影にVサイン。

ゲーム年表(200年〜220年)

ゲーム内の出来事 史実
200   孫策が暗殺される
207 ゲームスタート 諸葛亮が劉備の臣下に
208 赤壁の戦い(イベント) 赤壁の戦い,孫権が合肥を攻撃
209 劉備が劉表軍を吸収 劉備が荊州の長官に,孫権が合肥攻略を断念
210 寿春を占領,曹操軍との全面対決へ 周瑜が死亡
211 劉璋軍滅亡,残り4勢力に 曹操が潼関で馬超の乱を破る
212   荀或が寿春にて死亡
213 曹操,王に任命
周瑜軍が許昌占領,献帝を擁立
汝南を奪われ許昌が孤立する
劉備が益州へ進攻
214 汝南奪回 劉備が成都を占拠,蜀の支配者に
215 張紘死亡
許昌が巨大都市に
曹操が漢中を平定
216 張魯と抗争後和睦,中原に戦役発令 曹操が魏王に
217 戦役に勝利,孫権が丞相に  
218 河北を制圧,孫権が公に 劉備軍と曹操軍,漢中をめぐる戦い
219 孫権が王に
西北に戦役発令
劉備が漢中王に,関羽が処刑される
220 戦役に勝利
武都を制圧(曹操滅亡)
周瑜死亡
曹操が死亡

中国大陸の惨状経緯(207〜213年)

 
 
         
あくまで曹操狙いを貫き,同盟を結んだ劉備の領土はとことん回避しての侵攻となった。中原と西北は戦役によって一気に制圧。曹操の紫色が消滅すると同時に周瑜の命も果てたのであった

■■K.サワノフ(フリーライター)■■
三國志といったらおヒゲの時代。ましてやジジイ武将が大好きなのだから,当然おヒゲも大好きに違いないと思っていたら,意外にもおヒゲ反対派らしい。「いつか三國志からおヒゲを全廃してみせる」という,危険思想の持ち主であった。

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