■まとめ
 「講義の内容から日本ゲーム産業の未来を考える」

 さて非常にためになる今回の講義だったが,話を聞いていてとくに考えさせられたのは,今後日本のゲーム産業が"何をもって世界の競合達と戦っていく"のか?という部分である。

 つまり一昔前は,ゲーム開発の勉強というと,最初はプログラムリストを入力して簡単なシューティングゲームを作り……みたいなものがいわば"定番"だったわけだが,実際,それが本当に"面白いゲームを作る才能"を磨く練習なのか? と問われると,どうしても疑問符が付く(もちろん,プログラムの勉強は大切だが)。

 そもそも今のゲーム制作を映画に例えてみると,それは「各社ごと(もしくはゲームごと)にカメラから組み立てている」ような物といえるのではないだろうか? そして,それは効率の良い作業工程とはいえないものである。
 確かに,凄い技術がゲームに革新的な要素をもたらす場合はある。しかし,そのような技術面で才能を発揮する人材と,ゲームの面白さ/仕組みの構築(レベルデザイン的部分)で才能を発揮する人材,それぞれにはまったく別のアプローチが必要になるのではないだろうか?
 映画の例でいうならば,「カメラを組み立てる才能が,すなわち映画を撮る才能なのか?」という話になる。もちろん,映画を撮るためにカメラの知識は必要だし,より映画向きのカメラを作るために映画そのもの知識が求められる場合もあるだろうが,組み立てる才能と撮る才能は,まったく別物のハズだ。日本においてその棲み分けが,しっかりとした理論体系の下になされているだろうか?
 日本のゲーム開発がローレベルな部分(つまり,カメラを作る部分)において,世界的に劣勢に立たされている昨今。なればこそそういったところに目を向けて,改めて日本の優位性,特異性を考えていかなければならないと思うのである。

 またそういう部分を考慮すると,今後日本国内のメーカーがDOOM3エンジンやHalf-Life2エンジンを購入して,PCゲームを開発していくというのは,非常に現実味のある話だ。
 実際のところ,日本の大手ゲームメーカーはコンシューマでしか(新規タイトルを)作らない,という幻想じみた風潮が,ここ数年は確実に存在したように思える。だが,それは単にビジネス上の理由(コンシューマのほうが儲かる)からであり,それが崩れつつある今,日本のゲームメーカーが"世界市場を見据えた"PCゲームの開発に取り組んでも,なんら不思議ではない。確かにローレベルな分野においては遅れを取ってしまったかもしれないが,ゲーム自体の作り込みや芸の細かさといった部分では,いまだ日本に一日の長があるのだ。
 最近では,ファイナルファンタジー XIのようにPCが先行で開発されるゲームも現れていることからも,そのような動きの可能性をうかがうことができるし,統合劇で業界を騒がせた当のスクウェア・エニックスに至っては,2003年の中間戦略発表で,北米に販売拠点を設ける計画を明らかにしている(もちろん,これが即座にPCゲームの開発と結びつくワケではない。現時点に限っては,コンシューマー市場を見据えての戦略だろう)。

 一昔前は世界のゲーム市場を牛耳っていた日本のゲーム産業。しかし,かつて世界の70〜90%ものシェアを誇った時代は過ぎ去り,日本ゲーム産業の世界的な地位は相対的に衰退している(現在は,約30%ほどのシェアだといわれる)。
 日本のゲーム産業は,自らの進むべき方向性を(開発者の教育レベルから)真剣に考えなければならない時期に差し掛かっているといえるのではないだろうか。今後,ゲーム開発事情が劇的に変化していく可能性を,ぜひ学生のみんなに感じ取ってもらいたいものだ。


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