リリース
ボードゲームを題材とした演劇「ボードゲームと種の起源・拡張版」の公演が本日開始
ボードゲームと種の起源・拡張版 | |||
配信元 | The end of company ジエン社 | 配信日 | 2019/05/29 |
<以下,メーカー発表文の内容をそのまま掲載しています>
The end of companyジエン社
第13回公演その2
「ボードゲームと種の起源・拡張版」
会場:こまばアゴラ劇場
日時:2019年5月29日(水)〜6月9日(日)17ステージ
作・演出山本健介
ほうっておくと傷は広がる。
だからこの好きが、傷だったらよかったのに。
公演実施に寄せて
演劇とボードゲームの共通点は結構多いのです。実際に他者と時間と場所を共有しないとできないこととか。逆に言えば、今は実際に他者と時間と場所を共有しなくてもできることが多いという事なのかもしれない。世間から取り残された、親戚のようなつながりの、ボードゲームと演劇を、結び付けられるような公演になったらいいなと思っています。(作・演出/山本健介)
The end of companyジエン社は2019年5月29日(水)〜6月9日(日)、こまばアゴラ劇場にて、新作『ボードゲームと種の起源・拡張版』を上演いたします。
本作は2018年12月に上演された『ボードゲームと種の起源』の拡張版となり、観客の反応や上演後の考察を基に書かれる新作となります。
前作の『ボードゲームと種の起源』は、ボードゲームにおける「ルール(法)」と現実における「ルール」の比較が出発点となり、ルールを定義できずいつまでも完成しないボードゲームとそのテストプレイを繰り返す人々の、名前を与えられない「曖昧な関係性」を通して現代の多様化した家族の形や集団の在り方を描きました。
今作の拡張版では、前回から引き続いて高橋ルネ(チロル)、寺内淳志(中大兄)、名古屋愛(個子)、の3名が役どころをそのままに新たな関係を築いて登場します。
更に須貝英、善積元、中野あき、湯口光穂の4名を新たに迎え、「実際に会わないとできない」ボードゲームに魅せられた人々が「希望とは呼べない何か」を求めて集う姿を描きます。
会わずにできることが増えた昨今、実際に会うことを選ぶのは時代に逆行しているのか、新たな時代を築いているのか。演劇を単発で消化されるものではなく、連続した思索として上演するジエン社の挑戦にもご期待ください。
公演概要
The end of the company ジエン社 第13回公演その2
『ボードゲームと種の起源・拡張版』
作・演出:山本健介
2019/5/29(水)〜2019/6/9(日)
会場:こまばアゴラ劇場
タイムテーブル
5/29(水)19:30〜★
30(木)19:30〜★
31(金)19:30〜★
6/1(土)14:00〜/19:00〜
2(日)14:00〜/19:00〜☆
3(月)19:30〜☆
4(火)休演日
5(水)19:30〜☆
6(木)14:00〜/19:30〜☆
7(金)14:00〜/19:30〜☆
8(土)14:00〜/19:00〜☆
9(日)14:00〜/18:00〜
チケット
料金:
一般(前売・予約)3800円
一般(当日)4300円
18歳以下1000円(要身分証)
チケット発売日:2019年4月7日(日)12:00?
受付は開演の45分前
開場は開演の30分前
★・・・29日(水)、30日(木)、31日(金)19:30の回の終演後にアフタートークを行います(20分程度)
ゲスト:29日(水)渡辺範明さん(ドロッセルマイヤーズ)・30日(木)丸田康司さん(すごろくや)・31日(金)佐々木
敦さん(批評家)
☆・・・終演後にアフターボドゲ会を行います(30分程度)
※該当公演のチケットをお持ちのお客様がご参加いただけます
※トークゲストは決定し次第順次HPとTwitterで発表致します
上演時間
90分程度を予定
出演
須貝英
高橋ルネ
寺内淳志
名古屋愛(無隣館)
中野あき
善積元
湯口光穂(20歳の国)
スタッフ
美術:泉真
音楽:しずくだうみ
音響:田中亮大(PaddyField)
照明:みなみあかり(ACoRD)
舞台監督:吉成生子
衣装:正金彩
演出助手:寺田華佳
写真:刑部準也
Web・宣伝美術:合同会社elegirl
制作:加藤じゅんこ
総務:吉田麻美
協力:ECHOES
芸術総監督:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)/かまどキッチン
企画制作:The end of company ジエン社/(有)
アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽等機能強化推進事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会
作品のあらすじ
ほうっておくと傷は広がる。
だからこの好きが、傷だったらよかったのに。
好きな事は、もうしていた。私はゲームが好きだ。だからしている。
好きな事を見つけていた私たちは、それが好きだと認識する間もなく、飛びついていたのだ。わたしは飛びついた。幼少期から、それはあった。電源を遣わない、アナログなゲームはまとめて「ボードゲーム」と呼ばれている。私たちはいい歳を超えて、悪い歳になった今でも、それをしている。
ふと、「ボード」というのは何だろう。この机のことだろうか。この場の事だろうか。
今、この場にはいつもの顔見知りが四人。学生時代から変わらないメンバー。変わらない顔。わたしはボードゲームカフェを始めようとしていた。マンションの一室。卓は2つ。壁には蒐集したボードゲームの棚であふれている。
わたしが東京を離れ、職をやめて、この郊外に妻だと思っている女とこの地に越してきてからも、彼らと一緒の時間を過ごしている。故郷でも東京でもない場所で暮らし始めた。好きな事をするために。
ボードゲームをしている。
今日は【拡張ルール】で遊んでいる。既存のゲームにアレンジを加え、より広く、より深く、より楽しむために拡張したルール。それはわたしと友人らで作った。自分で作ったボードゲームカフェで、自分の作った拡張ルールで遊んでいる。
わたしは笑う。友人たちも笑う。ルールに守られて、私たちは笑っている。どうして笑っているんだろう。私たちの笑いの起源は、どこにあるんだろう。そしてこの笑いは、どこまで広がっていけるんだろう。カフェはまだ開かない。刺された傷口は、勝手に開く。
この好きが、傷だったらよかったのに。
いつまでも塞がらない傷が、どこまでも広がっていけばいいのに。
写真:2018年12月
『ボードゲームと種の起源』より
プロフィール
The end of company ジエン社
2007年10月設立。テキストを用いた路上パフォーマンスを行っていた山本健介(作者本介)が、演劇活動により特化する形で開始した演劇ユニット。初期作品は社会における無気力や惰性をテーマに創作していた。現代口語演劇を手法として作品を作る中で、「同時多発の会話」や「言葉を、空間に回収されないまま残留させる」などと言った、「ことば」を扱う技法をスタイルとしている。
活動実績
2011年3月「スーサイドエルフ/インフレ世界」(d−倉庫)
2012年1月「アドバタイズドタイラント」(d−倉庫)
2015年4月「30光年先のガールズエンド」(早稲田どらま館)
2016年7月「いつまでも私たちきっと違う風に
きっと思われていることについて」(アーツ千代田3331)
2017年1月「夜組」(池袋シアターKASSAI)
2018年2月「物の所有を学ぶ庭」(北千住BUoY)
2018年12月「ボードゲームと種の起源」(アーツ千代田3331)
山本健介【作・演出】
劇団以外の活動として、小説作品『白痴をやる』が2006年グラミネ文学賞佳作入選をはたす。また、映像の脚本も手掛けており、劇場アニメーション映画『REDLINE』では設定協力として参加。また、2011年冬に公開した石井克人監督作品『スマグラー』、2012年フジテレビ系列『東野圭吾ミステリーズ』、2013年大友克洋プロデュース『SHORTPEACE』に脚本で参加している。その他、携帯ゲームやVシネの脚本などを手掛ける。2015年「漂流劇ひょっこりひょうたん島」に宮沢章夫と合作で脚本参加。2016年「30光年先のガールズエンド」が岸田戯曲賞最終選考にノミネート。
前作「ボードゲームと種の起源」について
3331にて、ジエン社『ボードゲームと種の起源』。ボドゲをめぐる/を擬した、ゲーム作家の男と妹と女と妖精の話。シンプル?な設定をああもややこしく出来るのが山本健介。得意の過剰同時多発会話が控え目なかわりに、別時並行会話が多用されている。ゲームは恋愛と性愛の隠喩に幾重にも重ねられる。
劇後解説でも言ったが、僕はとにかくあの殺伐の先の切実が好きなので、それか凝縮されたような今作にもグッと来てしまった。対話がすぐに対決になってしまう、そして常にどちらも勝たない、あの感じ。言いたいことをどうしてもそのまま言えない、なのに言うべきでないことは言ってしまう、あの感じ。今回も震災後演劇だ。ずっと震災後なのだからそれが当然だ。山本健介はしつこい。彼はいつもあんな風にへらへらしているが、ほんとうはおそろしく肝の座った男なのだ。ああいう奴が本物だ。ジエン社は忘却に抗っている。あの時、あの後に、私たちの内に宿ったものを絶対に捨てるまいと彼は思っている。
佐々木敦twitterより
18年は『物の所有を学ぶ庭』と2本を上演したジエン社だが、どちらを選ぶか最後まで悩んだくらいどちらも素晴らしい内容だった。あまりメジャーでないコミュニティに集う人々をよく作品の題材に選ぶ山本健介だが、この作品ではボードゲームのクリエイターとその周辺に集まってくる人々を選び、その業界特有の、と同時に、人間が集まるとどうしても生まれてしまう普遍的な関係性の瑕疵を、抑えた筆致で鮮やかに描き出した。もともと上手い劇作家ではあったけれども、ここに来て、同時多発の会話からはっきりと次のフェイズに移行。水紋を最大限に広げるための最小数のポイントを見極める感覚が身に付いたと思う。それと、実は色恋に関するせりふが上手い人で、『物の所有を学ぶ庭』ではなくこの作品を選んだのは、こちらのほうがその点が良かったから。
徳永京子『演劇最強論-ing2018年振り返り』より
ジエン社の作品における言葉の構造を考えるのならば、まずはその時空間の捩れや発話体の存在の揺らぎや言葉のスピードの差異が問題とされなければならないだろう。
そしてその捩れや揺らぎや差異からみえてくるものは、自分の存在の不確かさだったり、人とのわかりあえなさだったりするのかもしれない。実際、ジエン社の舞台においてある言葉とある言葉とがシンクロするとき、それは言葉どうしが共鳴し合って結び付くというよりも、むしろ齟齬と齟齬とががちがちと噛み合っているような印象を受ける。
ただ、その隙間からぽろりと零れ落ちてくる言葉があって、それはたとえば最初に引用したチロルの台詞だったり、ニホの「今、私楽しいんだよ」という台詞だったりするのだけれど、それらの言葉はいつまでも残響として留まりつづけるような響き(重み)を持っていて、それはもしかしたら「沈黙」の側に属した言葉なのかもしれない。そしてジエン社における同時多発会話という手法は、この「沈黙」から浮き上がってきた言葉を掬い取るための、濾過機としての働きをしているのではないだろうか。もちろん掬い取られるべき言葉があらかじめ設定されているわけではなくて、きっと観る人によって掬い取る言葉は違ってくるだろう。
あるいは何の言葉も留まらないかもしれない。その差異までも含めて、ジエン社の作品における言葉(あるいは山本健介が書く言葉)は、不確かさの中にあってたしかな手触りを残しているように思うし、それは逆説的かもしれないが、言葉や存在の捩れ/揺らぎこそが生みだすものなのではないだろうか。
高須賀真之Twitter「ボードゲームと種の起源」より
公式サイト:http://elegirl.net/jiensha
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