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[TGS 2016]記念講演「未来へ引き継ぐCESA設立の思い 〜CESA 20年の歩みと将来〜」聴講レポート。5人の重鎮が語ったCESAのこれまでと今後の展望とは
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印刷2016/09/16 02:46

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[TGS 2016]記念講演「未来へ引き継ぐCESA設立の思い 〜CESA 20年の歩みと将来〜」聴講レポート。5人の重鎮が語ったCESAのこれまでと今後の展望とは

 東京ゲームショウ(以下,TGS)の主催者である一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)の設立から,今年(2016年)で20年を迎える。それを記念した講演「未来へ引き継ぐCESA設立の思い 〜CESA 20年の歩みと将来〜」が,TGS 2016の初日となる9月15日に行われた。
 パネルディスカッション形式で行われたこの講演では,5名のパネリストが過去20年間に日本のゲーム業界が辿ってきた道のりを振り返りつつ,次の20年に向けたCESAのビジョンを語った。

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●パネリスト
カプコン 代表取締役会長CEO 辻本憲三氏
コーエーテクモホールディングス 代表取締役会長 襟川恵子氏
セガホールディングス 代表取締役社長COO 岡村秀樹氏
カプコン 代表取締役社長COO 辻本春弘氏
SMBC日興証券 株式調査部 エンタテインメント・メディアチーム シニアアナリスト 前田栄二氏

●モデレータ:
カドカワ 取締役 浜村弘一氏 


市場規模の拡大と技術の進歩がもたらしたCESA設立の必要性


 ディスカッションは,CESAが設立される数年前の日本のゲーム業界を振り返るところから始まった。1993年当時はスーパーファミコンの全盛期で,今なお名作として語り継がれるタイトルが続出,そして1994年には初代PlayStationとセガサターンが登場している。

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SMBC日興証券 株式調査部 エンタテインメント・メディアチーム シニアアナリスト 前田栄二氏
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 当時,外側からゲーム業界を見ていたという前田氏は1990年以降の株価チャートを示し,バブル経済がはじけて日経平均株価が下がる中,コンシューマゲーム市場は1993年まで規模を拡大していたと指摘。そして続く1994年には,プラットフォームの転換という端境期を迎えたため,逆にゲーム関連企業の株価が下がったのだろうと分析した。

 プロダクトマネージャーとしてセガサターンの開発を手がけていた岡村氏は,当時のエポックメイキングだったセガ(現セガゲームス)のアーケードゲーム「バーチャファイター」の3Dグラフィックス技術を,いかにコンシューマ機に落とし込むかを考えていたという。

カプコン 代表取締役社長COO 辻本春弘氏
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 一方,辻本春弘氏は,当時のカプコンが2Dグラフィックスに特化したために3D技術に出遅れていたとし,どうやってキャッチアップしていくかを考えて苦労した結果,2年ほど遅れて1996年に初代「バイオハザード」が生まれたと語った。
 なお,この頃の2Dから3Dへのグラフィックスの変化がもたらしたインパクトについて,前田氏は昨今におけるVRの台頭に近かったと表現している。

セガホールディングス 代表取締役社長COO 岡村秀樹氏
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 続く1995年のゲーム業界について,前田氏は端境期を乗り越え,再び成長傾向が見られるようになったと指摘。
 また,岡村氏は1994年に松下電器産業が発売した3DO REALを挙げ,「誤解を恐れずに言えば,それまで玩具の延長だと思われていたコンシューマ機に,大手家電メーカーが参入した。つまり現在のように,技術の進化がエンターテイメントの進化にリニアに影響する時代の萌芽がそこにあった」とした。
 辻本春弘氏は,ゲームを供給するメディアがCD-ROMとなったことで,原価が安くかつリピート生産がスピーディになり,そのおかげでチャンスロスや在庫の問題が減少したことなどから,業界全体の流通や収益構造が大きく変化したことを挙げた。

 しかし,そのように市場規模が拡大し,技術の進歩により幅広い表現が可能となった結果,存在感を増したゲームは,かつて1960年代から1970年代のテレビ業界がそうだったように,社会から問題視されることが多くなっていたのだ。
 この事実を受け,当時すでに存在していたアーケードゲーム業界の団体であるJAMMA(日本アミューズメントマシン協会)と,主にPCゲームを扱うCSAJ(コンピュータソフトウェア協会)が協力し,ゲーム業界の地位向上などを目指して1995年にCESAの設立に乗り出したのである。

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この図でCESAの前身のように表現されているCSG(コンシューマソフトウェアグループ)には,ビジネスソフト関連企業も参加していたとのこと。そのためゲーム企業だけの団体としてCESAを設立しようという動きが生じたという
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コーエーテクモホールディングス 代表取締役会長 襟川恵子氏。会場では,CESAを社団法人として設立するにあたり,襟川氏自身が尽力したエピソードも披露された
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 CESAの初代会長には,当時のKONAMIの代表取締役社長だった上月景正氏が選出されたが,それはアーケードゲームとPCゲームの双方に関わりがあったからだと辻本憲三氏は説明。異なる二つの団体が協力しなければならず,かつコンシューマゲームもファミコン誕生から10年が経過し勢いがあったため,それらを一つにまとめ上げるのに最もふさわしい人物だったという。また襟川氏によると,メンバー各自の個性が強かったのは確かだが,「ゲーム業界を盛り上げていこう」という思いのもと,一致団結していたそうだ。

CESA設立発起人メンバー一覧。日本のゲーム業界ではレジェンドとされる人物が名を連ねている
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カプコン 代表取締役会長CEO 辻本憲三氏
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 一方,当時のコンシューマゲームには専門の総合展示会が存在せず,世間にアピールする機会が少なかった。そこでCESAが企画したのが,TGSというわけである。
 TGSの大きな特徴は,バイヤーだけに向けた内容ではなく,一般日を設けて多くのゲームファンに門戸を開いたところである。結果として初回のTGSは10万人を超える来場者数を記録したわけだが,辻本憲三氏はこのときの判断こそが,その後のTGSを繁栄させた要因の一つであるとした。

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 前田氏によると,1996年から1997年にかけて世界のゲーム販売本数が3億本となり,売上高の試算は1兆円に達したという。当時はハードもソフトも日本製のものが中心だったが,市場規模ならアメリカのほうが大きく,情報発信もアメリカ中心に移行しつつあり,そこに「本家は日本だ」と言わんばかりに登場したTGSは「まさに世界にアピールする存在」だったという。

会場では,最初のTGSのマップや出展風景なども披露された
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 1997年は「ファイナルファンタジーVII」が発売され,PlayStationが大きく躍進。世界のゲーム業界における日本の存在感がより強まった。
 また1998年にはネットワーク機能を持つコンシューマ機としてドリームキャストが登場。岡村氏は,家庭でネットワークを使うことはハードルが高いと分かっていたが,最初からコンセプトに据えてチャレンジしたと語った。
 その発言を受けて辻本春弘氏は,ソフトメーカー各社もネットワーク対応を本格的に考え始めたとし,カプコンでも1998年から1999年頃に初代「モンスターハンター」などの企画開発に着手したことを明かした。

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CESAが達成してきた成果と今後の課題


 そうやってコンシューマゲームが発展していく裏側で,TGSは決して順風満帆ではなく収益性に問題があったという。そこで1997年に,CESAのイベント委員会委員長に就任した襟川氏は,徹底的なコストカットとプラットフォーマーからの出資の取り付け,そして出展各社からの広告収入などで,収益性を改善。
 とくに入場料の値上げについてはCESAのメンバーの大半から「来場者減少につながる」と猛反対を受けたが,襟川氏は「それだけで来場者が減るほど魅力がない展示をするつもりか」と絶対に譲らなかったというエピソードも披露された。

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1998年当時のTGSの会場マップ。現行の会場マップとほぼ変わらないことが確認できる
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 辻本憲三氏はTGSが抱えるもう一つの問題として,ゲームというエンターテイメントの性質上,来場者の平均滞留時間が5〜6時間と長めになっていることを挙げた。例えばこれが自動車の展示会であれば,滞留時間が1時間くらいなので,同じ時間開催していてもTGSより回転率が高い。しかもここ数年のTGSは,幕張メッセの全ホールを使って開催しており,これ以上同時入場者を増やすのは困難な状況だ。
 それは,この20年間でゲーム市場の規模が拡大した結果なのだが,そうした中でどうやって来場者の満足度を上げるかは,自分達のパッケージビジネスに直結することであり,今後はもっと重視しなければならないと辻本憲三氏は話していた。


 2000年にはPlayStation 2,2001年にはゲームボーイアドバンスとゲームキューブ,そして2002年にはXboxが,新たなプラットフォームとして,それぞれ登場。とくにグラフィックスの向上に伴ってリアルになっていく暴力的な表現に,良くも悪くも社会の関心が集まるようになる。

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 ここでCESAはレーティング制度を導入することとなるのだが,当時CESA会長を務めていた辻本憲三氏はそれに先駆けて,まず映画倫理委員会(映倫)に相談したという。レーティングの区分にはさまざまな議論が生じたが,最終的にはCERO(コンピュータエンターテインメントレーティング機構)に設定してもらったところ,それ以降,大きな問題は生じていないという。
 また襟川氏は,ゲームのレーティング審査には時間がかかることや,世界各国で基準が異なるといった問題点を指摘。海外展開にあたっては慎重に調査を進めなければならないとした。

 ゲームと言えば,海賊版や中古販売といった著作権に関わる問題もある。CESAはこれらの問題とも戦ってきたが,襟川氏は今後も引き続き対策を続ける必要があるとする。
 また辻本憲三氏は,一時期はCESA,CERO,そしてACCS(コンピュータソフトウェア著作権協会)のそれぞれで,著作権問題に関する会議に出席していたエピソードを披露。とくにACCSの活動により,それまで80%あったコピー率が25%まで低減したと話していた。

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 そのほかにもCESAは,さまざまな課題をクリアしている。昨今では,JASGA(ソーシャルゲーム協会)との合併や,CEDECの発展,CESA白書の充実,ランダム型アイテム提供方式運営ガイドライン(いわゆるガチャのガイドライン)の作成などが挙げられる。
 これらについて現CESA会長の岡村氏は,「技術が進化して新しいビジネスモデルや遊び方が登場すれば,改善すべき新しい課題も出てくる」「ゲーム産業の発展にどれだけ寄与できるかがCESAの使命」と説明。

 前田氏は,とくにガチャのガイドラインについて,ゲーム業界の外側にきちんとアピールできた点を評価する半面,世界に向けた情報発信という側面ではTGSの存在が薄れてきているのではないかという課題を提示した。
 また辻本春弘氏は,業界団体として人材育成に注力したいと語る。例えば産学連携により,優秀な学生を即戦力として業界に呼び込めるよう取り組んでいくとのことだ。

 講演の終盤には,襟川氏と辻本憲三氏からも,今後のCESAに対する要望が寄せられた。襟川氏は,ゲーム業界がもっと国家からの支援を受けられるような活動をしてほしいとのこと。例えば諸外国では,国を挙げてプログラミング教育に力を入れたり,経済活動の一環としてゲーム開発を支援したりしている中,日本は極めて遅れていると指摘した。
 また,ゲーム開発が通常の工業製品の生産などとはまったく過程が異なることを挙げ,もっと適したワーキングスタイルの提案も行っていかなければならないとした。

 辻本憲三氏は,自身が50年間ゲーム業界に携わってきた中で,世間一般の消費に対する価値観が変わったことを指摘。すなわち50年前は,代金に対して形のある物が手に入らないゲームなんて商売にならないと言われていたが,今,多くの人は普通にゲームプレイやゲームにまつわるサービスに代金を支払うようになっているというわけである。そうした知的価値にお金を払う傾向は,今後もどんどん強くなっていくだろうと辻本憲三氏は語り,とくにゲーム業界はその状況にチャレンジしやすいとした。

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 先輩二人の発言を受け,岡村氏は,先日のリオデジャネイロ・オリンピックの閉会式に,日本の安倍晋三首相がマリオのコスプレで登場したことについて分析。安倍首相がゲームキャラクターに扮したことが世界的に認知されたことは,まさに日本のゲーム業界が知的価値を築いてきたことの証明であるとした。
 また岡村氏は,プレゼンスが低くなっているとは言われていてもゲームは日本の代表的な産業であるという自覚,そして襟川氏と辻本憲三氏が指摘するような働き方や価値観の変化といった,いわば環境が変わったときに貪欲に行動することが必要であるとし,そこにはまだまだCESAが活動する余地があると語った。

 辻本春弘氏は,CESAが2010年に「TGSをアジア一のゲームショウにする」というスローガンを掲げたことに言及。今後はアジア各国のゲーム産業と共に,日本のゲーム産業が発展していくことを考えているとし,TGSもアジアと共に成長させていきたいとの意気込みを語った。

 最後に,パネリストを代表して岡村氏があらためて挨拶の言葉を述べた。岡村氏は,CESAとTGSはようやく成人式を迎えたところと表現。古くからある工業製品などの団体と比べると,機能も影響力もまだまだ限定的だが,ほかの団体の活動を参考にして,自律的でありつつも隣接産業や行政の支援も受け,したたかに成長していきたいと展望を述べて,講演を締めくくった。

一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)公式サイト

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