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9月25日,「Ultima Online」(邦題 ウルティマ オンライン)が正式サービス開始から満10年を迎えた。一口に10年といっても,その間,サーバーからカスタマーサービスまで稼動し続けているMMORPGのことであり,パッケージゲームが迎える10周年とはワケが違う。ゲームという寿命があまり長くない娯楽でありながら,多くの人々から長く愛されるというのは,とてつもないことだ。今回は,そんなUltima Onlineの誕生にまつわる話を紹介しよう。

Ultima Onlineが完成するまで

「10周年おめでとう!」 アメリカでは1997年9月,日本でも同年10月にサービスが始まったUltima Online。アメリカでは一足早く,カムバック・キャンペーンやアイテム配布といった行事が催されている
Ultima Onlineの生みの親である“ロード・ブリティッシュ”ことRichard Garriott(リチャード・ギャリオット)氏が,本作の構想を練り始めたのは,1990年頃のことだという。1992年に「Ultima VII: The Black Gate」を発売して一息つき,当時Origin Systemsを買収したばかりだったElectronic Artsを説得し,1993年頃に本格的にプロジェクトを進行させ,プロトタイプの制作が始まった。1992年には「Windows 3.1」が登場しており,インターネットが急速に普及していたことから,グラフィカルなオンラインゲームが十分に通用すると考えたわけだ。
初期の開発メンバーは,Ultima VIIの開発時に管理能力を評価され,のちにディレクターを任されたStarr Long(スター・ロン)氏,Ultima VII用ゲームエンジンのネットワーク化を行ったRick Delashmit(リック・デラシュミット)氏,そしてScott Phillips(スコット・フィリップス)氏, Ken Demarest(ケン・デマレスト)氏ら技術エンジニアである。
さらに,1995年に大学院を卒業したばかりでありながら,デザイナーとして起用され,Designer Dragonというハンドル名で「デザイナーのノート」と題した日記を盛んに書き続け,ファンとの架け橋になったRaph Koster(ラフ・コスター)氏が加わった。彼らにギャリオット氏を加えた6名が,Ultima Onlineを生み出した中核メンバーだと考えていいだろう。
最初はそれほど期待されていなかったUltima Onlineだが,1996年に始まったβテストには,8万人近いゲーマーが参加を希望した。「βテストで遊びたい人は,5ドルの小切手とともに応募用紙を送って下さい」と,βテストに参加するために料金を徴収するという処置が取られていたのも,今となっては驚きだ。
以前の取材時に,ギャリオット氏は「Ultima Onlineは,300人程度のプレイヤーを楽しませれば十分だと考えていた」と語っていた。だが,ローンチ時のメンバーが,広報担当やウェブデザイナーなどを含めると100人になっており,この直後にRick Vogel(リック・ヴォーゲル)氏が中心のLiveチームが増員されている。これらを振り返ると,予想がつかないほどの急展開でプロジェクトが巨大化していったことが分かる。
斬新なアイデアでMMORPGというジャンルを開拓した功労者

Ultima Onlineは,最盛期には23万アカウントほどを獲得していた。その後,EverQuestなどの登場によって伸び悩んだが,Ultima OnlineがMMORPGのジャンルに与えた,デザインやシステム面での影響は計り知れない
1996年には,Ultima Onlineより1年ほど先行する形で商業化されていた「Meridian 59」というMMORPGがすでに稼動していた。そもそも,MMORPGという造語が生み出されたのも,同作の開発元である3DO Studiosのマーケティング会議でのことだったらしい。このMeridian 59は大きな人気を獲得することはなく,ピーク時の最大同時アクセス者数が1万5000人。時代背景を考えるとMeridian 59のプレイヤーの総数は5万人にも達していなかったのではないだろうか。
それに対して,Ultima Onlineは半年で10万アカウントを突破し,ピーク時の同時アクセス者数は8万人にも及んでいた。「MMORPG第1作」の座はMeridian 59に譲るしかないが,Ultima Onlineは「初めて商業的に成功したMMORPG」といって差し支えないだろう。このUltima Onlineの成功をバネに,現在に至るまでのMMORPGフィーバーが始まったのは事実なのである。実際にMMORPGというジャンルがメジャーになっていく引き金の役目を果たしただけでなく,以下のような機能が盛り込まれており,ギャリオット氏の言う「実験的プロジェクト」という言葉に相応しい作品であった。
- 獲得/作成したアイテムをゲーム内で売買可能。それによって相場が変動する「ゲームエコノミー」の概念
- ゲーム内での仲間作りや共同作業を基礎にした「ソーシャルネットワーク化」
- 半恒久的な世界で自分の家や城を建てられるという「持ち家システム」による「バーチャル不動産」
- 日本語で入力しても他国のプレイヤーとダイレクトにコミュニケートできる「多言語翻訳機能」
見て分かるように,現在も脈々と受け継がれているものが多い。GM(ゲームマスター)をボランティアから募るといった草の根的な風味を残しながらも,ロールプレイングゲームの要素を根本から覆してしまった斬新なデザインやサービスなのだ。
Ultima Onlineがなくても「Lineage」や「EverQuest」などのサービスは始まっていたと思うが,MMORPG界がいまとはまったく別の進化を遂げていた可能性は高い。本作を初期段階から遊んでいた人であれば,新しい遊びに出会ったような,あの時の興奮を覚えているはずだ。
10年も前にオンラインゲームの新しさを感じさせてくれたゲーム
筆者がUltima Onlineに最も熱中していたのは,ちょうど拡張パック第1弾である「The Second Age」が出た頃だ。以下,すでに本連載で一度触れたことのある内容だが,10周年という節目に際して,いま一度話題にすることをご容赦いただきたい。
あるとき筆者がブリテインの波止場で釣りをしていると,パイの材料を集めに来た女性キャラクターと知り合った。後日,ゲーム内の彼女の家に招待され,遊びに行ったのだが,イタリアンチェックのテーブルなどが置かれた,Ultima Onlineで最も小さいタイプの小屋だった。話を聞くと,彼女の夫は現実世界でドイツの米軍基地に駐屯しており,週に一回の休暇日にこの小屋で落ち合ってランデブーを楽しんでいるという。彼女にとっては電話で話すよりも親近感があるとのことだった。
昨今のゲーム内なら何も珍しいことではないかもしれないが,このことは今でも筆者の記憶に鮮烈に残っている。Ultima Onlineには,オンラインゲームには,そんな使い方があったのだということに,心から驚き,かつ感心したのだ。丸3年,130回分の連載を挟んで今またこのエピソードを持ち出すのは,MMORPGをそれまでのRPGの延長として遊んでいた筆者にとって,これが文字通り想像を超えた出来事であり,そこから広がるMMORPGの奥深さ,可能性に初めて触れた衝撃の大きさゆえと理解してもらえれば幸いである。
もちろんUltima Onlineのすべてが成功したというわけではなく,市場の急速な拡大を予想できなかったことから,サーバーなどの設備投資や人員確保に振り回され,経営面でElectronic Artsに大きなダメージを与えている。また,「Ultima Online 2」や「Ultima X: Odyssey」などのプロジェクトが次々にキャンセルされるなどしており,名門RPG「Ultima」の資産は十分に活用されていない。
現在のUltima Onlineからは,初期の中核メンバーが離れており,今は運営能力に関して定評のあるEA MythicにLiveチームが受け継がれている。現在までに合計で八つの拡張パックがリリースされており,2007年6月には新しいグラフィックスとインタフェースを携えた「Ultima Online: Kingdom Reborn」(邦題 ウルティマ オンライン:甦りし王国)が発売された。さらに,次の拡張パック「Ultima Online: Stygian Abyss」も予定されている。ギャリオット氏という生みの親は去ってしまったが,まだまだ現役バリバリのサービスなのだ。
これまでUltima Onlineに関わってきた数々の開発/運営者達や,長らくゲームを遊び,育ててきたプレイヤー達に,心から10周年のお祝いを述べたい。
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