紹介記事
日本のeスポーツのリアルな切片がここにある。「1億3000万人のためのeスポーツ入門」書評
この広がりの中には,実際の大会や選手の活躍だけでなく,「そもそもeスポーツとはどんなものなのか」「何が凄いのか」「どんな問題を抱えているのか」といった,いわば評論と分析の世界も含まれている。CEDECなどの開発者会議でもeスポーツ関係のセッションは増えているし,eスポーツを振興する新団体の設立も相次いで,講演会やコラム記事の数も増えた。
4Gamerにおいても但木一真氏による連載が掲載されているが,その但木氏が編著者となって書かれた概説書「1億3000万人のためのeスポーツ入門」が5月31日にNTT出版から発売された。本稿ではその概要を簡単に紹介したい。
「eスポーツはすごい」と連呼される中で
本書の紹介に入る前に,日本におけるeスポーツの現状について,筆者が感じていることを正直に書いておきたい。
日本のeスポーツが確実に「盛り上がり」を形成している一方で,率直に言えばそこに「胡散臭い」としか言いようがない思いを抱いているゲーマーも少なくないだろう。
これはある面において不可避なことだ。というのも,eスポーツが「文化」で留まっていた時代はもう終わっており,いまや「カネ」と切り離しては議論できないフェイズに入っているからだ。
実際,非ゲーム系の大企業がeスポーツに投資するのは,「トータルで見れば利益になる」と判断するためであり,年々世界的な競争が激化するゲーム産業側にとってみれば,「他人が遊んでいるのを見て楽しむというゲーム消費」としても解釈できるeスポーツは,生存戦略のひとつとして無視できないものとなっている。
そしてもちろん,もっとストレートに「eスポーツはこんなに儲かる」という話を具体的な数字で(経済規模などといった言葉を踊らせつつ)語る“識者”もいる。
そしてこのような文脈において「eスポーツを盛り上げるべし」と語られる際に表に出てくる言葉のほとんどは,「市場規模ウン千億円」「驚異的な成長率」「海外では行政との連携も」「大学にeスポーツ学科が設立」「プロプレイヤーをアスリートとして政府が認定」などといった類のものだ。
これらはゲームを知らないビジネスパーソンに「これは凄そうだ」と思わせるにあたっての常套句だが,当のゲーマーにしてみれば「知るか」の一言に尽きる言葉でしかない。ゲーマーにとってみればゲームは趣味であり,人生であり,つまりはカネには替えられないもので,そこに「ゲームは凄いんですよ,こんなにカネになるんです」と言われれば,経済の理屈は分かっていても,何かとても大事なものを踏みにじられているような気持ちになるのが当然だ。
これはeスポーツファンにとっても同様だ。自分が好きな選手が活躍したり,負けたりするのを見て一喜一憂するファンにとってみれば,「こんなにカネになるんです」などという話題より先に話すべきことがあるんじゃないのか,という気持ちになってしまうだろう。
eスポーツ元年とは,まさにそのような構図で「eスポーツはすごい」を連呼された日々だったと筆者は感じるのだ。
「1億3000万人のためのeスポーツ入門」と題された本書は,シーン全体の概説書という体裁を取っているが,実際には「当事者たちによる率直な見解や個人的体験,あるいは現実的かつ具体的な課題を,当事者本人が語ったもの」と評するのが分かりやすい。もちろんそこには,前述したような「大人の事情」が解説されている側面もあるが,それよりもさらに踏み込んだ話題が多い。以下,ざっくりと紹介していこう。
より具体的な事例を踏まえた論点提示
実を言うと本書のChapter1「なぜ今eスポーツなのか?」(但木一真氏)を読んだ段階では,「また景気の良いオトナ言葉を連呼するパターンか」というのが筆者の正直な感想だった。実際,内容としては経済規模であったり,協賛企業の拡大であったりといった,「おなじみ」の話である。
また現状の課題として「ゲームの暴力表現と,既存のスポーツ界(および「大人の世界」)との相反」は指摘されるものの,結論としては「変化する流行を知り,ユーザーの嗜好を理解するには,あなた自身がeスポーツを体験しなければならない」(P.39),「あなたが渦中に飛び込む」(P.40)という,「それはそうなんですが……」と言いたくなる提言でキレイにまとめられている。
もちろん筆者も「そこでビジネスをするなら現場を知っておくべき」という見解には100%賛同する。が,もはやeスポーツシーンは個人が多少頑張った程度で「見渡せる」ほど狭くない。むしろ「俺は現場を見たから分かるんだけどね」という最悪のバイアスを発生させる危険性にこそ留意すべきほどに,eスポーツシーンは世界中に広がり,もはや歴史と呼んでも差し支えないだけの時間を積み重ねてきた。そんな状況で「eスポーツを体験し,理解する」ことはそう簡単ではない。
だが本書を読み進めるにつれ,この但木氏の言葉は,厳しい現実を踏まえた,氏ならではの見解であることに気づく――それについては後ほど詳しく解説しよう。
「eスポーツ今昔物語」(謎部えむ氏)と題されたChapter2では,まず2018年の日本(≒今)においてeスポーツシーンで何が起こったのかが整理・解説されている。これだけでも資料的価値は高い。
一方で「昔」については2013年以前と2014年以降に分割し,かつ議論を日本国内に限っている。なるほど1972年にアメリカで開催されたという世界初(推定)のゲーム大会や1990年代のアメリカにおける盛り上がりに言及するのは,学術的には意味があるが,「今の日本のeスポーツシーン」を理解するために必要なものではない。一方で日本国内での動きは1980年代まで遡って簡潔にまとめられており,過不足のない構成と言える。
Chapter3の「eスポーツプレイヤーとは誰か」は,「ぷよぷよ」のプロプレイヤーとして有名なlive(りべ)氏が執筆。観念的な解説ではなく,自分自身の経験を綴った文章は,「主観的すぎる」(あるいは「すべてを語っていない」など)と批判され得るものだが,証言とは得てしてそういうものなのだ。
もちろん,Chapter3で語られることをもって「プロゲーマーは誰もがこう考えている」と考えるなら,それはまったくの間違いだ。だがそれは個々の読者の問題であって,書き手側の問題ではないだろう。
重要なのは,Chapter3が「このように考えるプロゲーマーもいる」という,ひとつの実例であるということだ。我々はどうしても「物理的ないし心理的に遠くの他人たち」をひとまとめにして考えがち(「アメリカ人は」とか「政治家は」とか)だが,アメリカ人が千差万別であるように,プロゲーマーも千差万別なのだ。この自明の事実を確認するためにも,プロゲーマーが示すさまざまな個人的見解を頭の片隅に入れておくことは,無駄に視野を狭めないための効果がある。
ちなみにlive氏の文章にはパワーワードが多く,「プロゲーマー」や「eスポーツ」という言葉に何とも言えない違和感を覚えている人は必読だ。一部を切り取ると誤解を招きやすい言葉が多いのであえて引用はしない。ぜひ自分で確認してほしい。
Chapter4, 5, 6はそれぞれeSportチームの経営者(西谷麗氏),日本テレビのeスポーツ番組「eGG」のプロデューサー(佐々木まりな氏),弁護士(高木智宏氏・松本祐輝氏)が執筆している。
この3つの章はどちらかというと「よくまとまったプレゼン」的な側面が強い。特にChapter4は「弊社はこんなにうまくやりました」「今後はこのようにして成長していきます」的なプレゼンになっているが,これはこれで仕方ないところだろう。Rush Gamingを経営する西谷氏が,経営者に相応しいとは言えない視点で論を進めるなら,チームの先行きに不安を覚える人がいてもおかしくない。
Chapter5は「TV番組でeスポーツを扱うことの意味と難しさ,将来性」についての問題が,とてもよくまとまっている。もちろんこれまた「日本テレビでは」「eGGでは」といった条件を付けるべき議論ではあるが,「eスポーツを日本のテレビ局が扱うことについての総論」を論じられる人が現在の日本にどれだけいるかを考えれば,貴重な個別事例と言えるだろう。
そのうえで特に現代のTV番組は暴力表現に対してセンシティブであり,「ほかのプレイヤーをキルする」系のゲームよりも,そういった表現がないゲームのほうがより詳細に扱いやすいといった指摘は,とても興味深い。
Chapter6はeスポーツに関する法的な議論を概説している。大半は大会におけるゲームの使用許諾(著作権),賞金関係(景品表示法など)や会場運営(風営法など)といったお馴染みの議論だが,これだけでもよく整理されて分かりやすく,何かと便利だろう。
また「チームと選手の適切な契約関係」についてもしっかりと言及されており,個別の具体例にこそ触れられていないものの,「選手とチーム間の契約関係のノウハウが蓄積されておらず,トラブルが生じた場合に円滑・適切に解決されないことが多い。さらに,そういった選手契約のトラブルの延長線上に,チームガバナンスの問題も生じてきている」(P.169),「チームとしてはなるべくチーム側に有利な条項を定めたいと考えることもあるかもしれないが,損害賠償金をことさらに高額に設定するなど,選手にとって明らかに不利な条項を設定した場合には,仮に契約書が有効に締結されていたとしても,それらの条項が法的に無効であるとみなされる可能性がある」(P.171)など,重要な指摘も含まれている。
「すぐ儲かる,すごく儲かる」のバイアスを越えて
さて本書の最後はDiscord内のeスポーツコミュニティである「Esportsの会」運営人である4人(但木一真氏,荒木稜介氏,松本祐輝氏,小澤脩人氏)による座談会である。
この座談会では「約束されたまばゆい未来」というよりは,むしろ現状に対する危機感や課題が数多く共有されている。
なかでも総務省が発行した「eスポーツ産業に関する調査研究報告書」(2018)の作成にも携わり,eスポーツのコンサルティングやマーケティングも行ってきた但木氏は「2018年以降,なぜ多くの人がeスポーツに興味を持ったかというと,なんとなく儲かりそうだったからです」(P.186),「そもそもの問題として,eスポーツに参入しようとする企業側が,動画サイトに広告を出稿したり,イベントのスポンサーになったり,インフルエンサーに出資したりすることの意味をよく理解していない場合があります。これらはデジタルマーケティングの施策なので,eスポーツ以前にまずはそれを学ぶ必要があります」(P.188)という指摘を行っている。
この指摘を踏まえてChapter1で但木氏が語った「変化する流行を知り,ユーザーの嗜好を理解するには,あなた自身がeスポーツを体験しなければならない」(P.39),「あなたが渦中に飛び込む」(P.40)という言葉を読み直すと,受ける印象はかなり変わってくる。つまりいまeスポーツシーンに関わろうとしている人たちの中には,想像を絶するレベルでeスポーツシーン(それどころかゲーム文化)に対するリスペクトを持たない人が,バカにならない規模で存在することを邪推できるわけだ。
実際,中央官庁が出す資料の中には,「eスポーツに注目している」「促進したい」と口にしながら,ゲーム文化や産業の現実を一顧だにしないものもある。
例えば筆者はかつて,とある講演会でとてもすごい組織の登壇者が発表の間ずっと「eスポーツの普及のためには,ゲームの印象を払拭する必要がある」を連呼するのを,呆然としながら聞く羽目になった。払拭する必要があるとされたのが「ゲームの悪印象」ではなく「ゲームの印象」というあたりがなかなか強烈である。
日本の“社会”は「ゲーム」という文化と産業に対し,今も基本的にネガティブな印象を抱いている。そこはまあいいが「ゲームはいらないからeスポーツだけよこせ」という主張には,どんなに丁寧な言葉を使ったとしても「おととい来やがれ」以外のコメントは出てこない。
つまるところ,日本のeスポーツシーンはまだまだこれからというだけでなく,この先,想像よりずっと大きな無理解が行く手を阻んでいるはずなのだ。Chapter2で謎部氏が指摘するように「課題があるだけ伸び代もある」というのは事実だし,そこに希望も持てるが,現状はなかなかタフだ。
確かに,これまで「ゲーム」と聞いただけで企画書や申請書を却下してきたような人たちでさえ,「eスポーツというのは,どうやらカネになるらしい」という興味は持つに至った。これは間違いなく前進だ。
だがここを起点に,なおも「そうですeスポーツはカネになるんです! だから我々もバスに乗り遅れないようにしましょう!」を繰り返すなら,「やっぱりカネにならなかった」瞬間に日本のeスポーツシーンは次の元年を待つことになる。そこは本書が指摘するとおりなのだと思う。
だからこそ本書のように,eスポーツのファンや,実際にシーンに関わっている人たちが,eスポーツの持つ魅力や課題,あるいは「自分が見ているeスポーツ」という論点について,もっと「語る」必要がある。
ゲームを知らない者に向けたパワポ資料に書かれる類の数字や言葉ではなく,また「現地で試合を見れば分かるし,見なくては分からない」などと逃げを打つのでもなく,「eスポーツとはこういうものなのだ」というところを,私見でも私的体験でも構わないから,もっと語って広げていく必要がある。
「1億3000万人のためのeスポーツ入門」は,決して「eスポーツビジネスを成功させる必勝本」ではないが,現場の知見を整理して示し,克服すべき課題としてどんなものがあるかも共有してくれている。
もちろん,本書を読んで「こんなものは俺の知っている日本のeスポーツの現状ではない」と感じる人もいるだろう。それはそれでごく自然なことなので,そういう違和感を持った人にも,ぜひ語ってほしい。現場の実情を踏まえて「日本におけるeスポーツは今どうなっていて,どうなり得るのか」を語る人の数は,一人でも多いことが望ましいのだ。
日本のeスポーツシーンが立ち向かうべき課題は多い。だが本書のような地道な努力が積み上げられた先に,未来はあると筆者は信じている。
「1億3000万人のためのeスポーツ入門」(Amazonアフィリエイト)
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