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シブサワ・コウこと襟川陽一氏が東京大学で講演。染料会社から世界的なゲームメーカーになったコーエーテクモゲームスが見据える未来とは
染料会社からゲームメーカーへ。新しい業界で伸びた光栄
今回の講演は,理系・文系を問わず,技術とコンテンツに関わりのある人物を招く東京大学の講義「技術とコンテンツ」の一環として行われた。講義担当の廣瀬通孝教授に紹介されて襟川氏が登壇すると,学生たちから大きな拍手が起こった。
前述した通り,襟川氏はPCゲームの黎明期からシブサワ・コウ名義で「信長の野望」「三國志」といったタイトルを作り続けている。氏が設立した光栄(コーエーテクモゲームスの前身)がこの2シリーズをはじめとするタイトルでファンからの支持を集め,やがて世界的なゲームメーカーになったことは,4Gamer読者もご存じの通りだ。
襟川氏は学生たちに「ゲーム業界は成長し続けている珍しい産業。どうせ仕事をするなら,衰退していく業界ではなく,成長していくところを選んだほうがやりがいがある」とアドバイスした。これは襟川氏が染料会社からゲームメーカーへと業種転換した時に痛感したことだという。
襟川氏は栃木県の足利市にある染料問屋に生まれた。繊維産業が盛んな土地柄で,ゆくゆくは実家を継いで3代目社長になると目されていたという。
やがて氏は慶應義塾大学に入学。学生運動の激化からろくに授業も行われないような状況だったようだが無事に卒業し,中堅の商社に営業マンとして勤務した後,実家に戻って家業を手伝うこととなった。
しかしこの頃,国内の繊維産業は東南アジアからの輸入品に押されて下降線を辿る一方。いくら頑張ってもわずかな成果しか得られず,「自分にはビジネスマンとしての才能がないのか?」と悩む日々が続いたという。
襟川氏の奮闘空しく,家業の染料問屋は連鎖倒産に巻き込まれてしまう。サラリーマンになるか,それとも起業するかという岐路に立たされた襟川氏は,200万円をかき集めて染料を扱う会社「光栄」を設立したが,この選択を襟川氏は「大きな過ちを犯してしまった」と振り返った。
親が同じ業種で失敗しているにもかかわらず「自分ならうまくいく」という過信があったそうで,光栄は創業からわずか2年で経営難に陥ってしまった。
会社を畳むことも考えたそうだが,ちょうどその頃,本屋でPC雑誌を目にし,その可能性に魅せられたという。会社の状態が状態だけに,PCを買うような余裕はなかったのだが,恵子夫人(現コーエーテクモホールディングス代表取締役会長)から,誕生日プレゼントとしてシャープの「MZ-80C」を贈られたということだ。
独学でプログラムを勉強した襟川氏は,昼は財務管理ソフト,そして夜はゲームを自作する日々を送る。こうして生まれたのが,光栄初のゲームとなる「川中島の合戦」だ。武田信玄となって上杉謙信と戦うという,歴史シミュレーションの草分けと言える作品で,開発の動機は「歴史を生かしたゲームがなかったので,自分で作るしかなかった」とごく個人的なものであったという。
遊んでみると面白かったことに加え「自分と同じ30代の歴史好きで,歴史をテーマとしたゲームをやりたい人がいるんじゃないか」と考えた襟川氏は,PC雑誌に広告を出して「川中島の合戦」の通販を開始した(この頃,ゲームソフトは店頭ではなく通信販売が主流だった)。
その読みは的中し,全国津々浦々から購入代金が入った現金封筒が送られてきた。時にはダンボール一杯に詰められた現金封筒がトラックで運ばれてくるようなこともあり,郵便局員から怪しまれたりもしたのだという。このヒットから,襟川氏はゲーム制作に専念することを決意し,我々がよく知るゲームメーカーとしての光栄が誕生した。新しい成長業界を選んだことにより,大きなやりがいが生まれたというわけだ。
この頃はソフトの開発だけでなく,商品にするためのダビングやユーザーサポートまで襟川氏自身が行わなければならなかった。特に印象深いのが「ソフトが動かない! 金を返せ!」と声を荒げるユーザーへの対応だったという。
襟川氏が「テープデッキを綿棒とアルコールで掃除し,再度試してほしい」とアドバイスして電話を切ったところ,5分ほどして「動いたよ!」と連絡があっただけでなく,翌日には「ゲームが楽しくて昨日は徹夜したんだ! もっと面白いゲームを作ってくれ!」と励ましてくれた……というのだから,実に牧歌的だ。
ソフトを作るだけでなく,コンテンツを多面展開する会社へ。襟川氏が語るゲームの未来
続いて襟川氏が語ったのは「ゲームの未来」だ。ゲーム業界は黎明期から現在まで成長を続けているが,時代の流れに応じて手法を変えていく必要があると襟川氏は指摘する。
これまでゲームメーカーはソフトの開発だけをしていればよかったが,今後は「コンテンツを多面的に展開する会社」にならなければならないという。ゲームを出発点にし,映像や食品といった他業種との協業,そして「妖怪ウォッチ」と「三國志」がコラボした「妖怪三國志」のような展開が必須となっていく。
これはコーエーテクモゲームスに限ったことではなく,大手のコンテンツホルダーが目指すところであり,ディズニーが理想型になるとのこと。
プレイヤーの「お金の支払い方」も変化している。古くからの買い切り型に加えてF2P(基本無料)モデルが登場したのがいい例だ。「DEAD OR ALIVE 5」シリーズでは,F2Pを導入したことで1000万ダウンロード超のヒットとなり,新たなファン層の獲得に成功したという。
その一方で,開発予算は高騰が続き,襟川氏によれば「最低でも10億,すぐに20〜30億円になってしまう」という。海外の大手メーカーは最低100億円+マーケティング費用をかけているそうだ。「予算をいかに抑えるか」という取り組みもなされており,中でも開発を効率化するゲームエンジンの存在感が増していくとのこと。
最後に襟川氏は,学生たちに「好きなことを一生懸命行う」「伸びていく業界で思いっきり仕事をする」「幸せな家庭を築く」という信条を披露。「元気で明るく,前向きな気持ちで大きな野望を抱き,夢の実現に邁進してほしいです」と学生たちにメッセージを贈った。
目標は大名の個性をAIで表現。「信長の野望・大志」におけるAIの秘密
講演の後半では,コーエーテクモゲームスの技術支援部部長である三嶋寛了氏が登壇。「信長の野望・大志」のAIについて語った。
「信長の野望・大志」では,プレイヤー以外の大名をAIが制御する。AIはそれぞれの大名が持つ「志」(行動規範)に従って動き,時には怨恨から合理的でない判断を下すこともある。
開発に当たっては「大名の個性=史実で知られた振る舞い=目標を達成するための戦略」であると定義が行われ,大名の性格,周囲の環境が戦略策定に影響を与えるAIが作られていった。
そのうえで「2層のゴール志向型AI」「ズルをしないAIエージェントフレームワーク」「個性を高める要素」という3つの要素が盛り込まれていったという。
●「2層のゴール志向型AI」
本作のAIは,最終目標から中・長期目標を策定する「ゴール志向型ゴールプランニング」AI,そして中・長期目標を実現する具体的な方策(アクションプラン)を選ぶ「ゴール志向型アクションプランニング」AIという2層構造となっている。
例えば最終目標が「天下統一」であった場合,「ゴール志向型ゴールプランニング」AIが,“まずは周囲の尾張を統一,そこから美濃を攻略し,さらに上洛……”と中・長期目標を策定。そして「ゴール志向型アクションプランニング」AIが“尾張を統一するためには戦を起こす必要があり,そのためには鉄砲が必要で,鉄砲を買うための金を手に入れるため商圏を開拓する”と具体的な手法を選定する。
●「ズルをしないAIエージェントフレームワーク」
AIはゲームの全てを把握したうえで判断を下すことも可能だが,「信長の野望・大志」のAIはプレイヤーと同じ情報しか得られないようになっている。あらゆる情報を得た状態で判断するとAIが最強になってしまい,プレイヤーのモチベーションが削がれるためだ。
●「個性を高める要素」
社内でのテストプレイの結果,プレイヤーがAIの存在に気づかなかったことから,AIの個性と感情表現を強化する必要性が明らかになったという。高度なAIが無言で有名大名らしく振る舞ったとしても,その存在はプログラマーしか気づかないというわけだ。そこで,AIがどんな判断を下したのかを大名のセリフなどでプレイヤーに発信することにより,AIの個性を分かりやすくしたという。
こうしてAIが作成されていったわけだが,その最終目標は「全大名をAIプレイにした場合,史実通りのイベントが発生すること」にあった。
会場ではAIプレイの様子を収めたムービーが上映されたが,桶狭間の戦いからスタートし,信長が「天下布武」の目標を達成するため,足場を固めたり,周囲に攻め込んだりと中期的な行動を変えつつ,ついに上洛を実現し,最終的には「本能寺の変」イベントが発動して織田家が分裂するという,史実通りの流れとなっていた。開発チームの目標は達せられたというわけだ。
個人開発から,AIやプロシージャル技術の応用へ。ゲーム開発の現場が新たな段階へと移っていることが分かる講演だった。
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